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ポン・ジュノ監督初の英語作品『スノーピアサー』
2013年に劇場公開されたSF映画『スノーピアサー』。『パラサイト 半地下の家族』(2019)で外国作品として初のアカデミー賞作品賞受賞を含む4冠を達成したポン・ジュノ監督が指揮した作品だ。ポン・ジュノ監督にとっては、『スノーピアサー』は初の英語作品。「キャプテン・アメリカ」シリーズで知られるクリス・エヴァンスと、ポン・ジュノ監督の盟友であるソン・ガンホ、『グエムル-漢江の怪物-』(2006)にも出演したコ・アソンらがメインキャストを務めた。
『スノーピアサー』は2016年にドラマ化が発表され、ポン・ジュノ監督もドラマ版のプロデューサーに就任。米国では2020年5月17日(日)より放送開始となり、日本でも5月25日(月)にいよいよNetflixで配信を開始する。ドラマ版のあらすじとみどころは以下の記事からご覧いただきたい。
今回は、ドラマ版『スノーピアサー』のベースとなったポン・ジュノ監督による映画版の魅力に迫りたい。『パラサイト』と同じく経済格差を扱ったこのSF映画はなぜ魅力的なのか、ネタバレありで解説していく。
以下の内容は、映画『スノーピアサー』の内容に関するネタバレを含みます。
映画『スノーピアサー』ネタバレ解説
再生産された格差社会
映画版『スノーピアサー』の舞台は2031年。ドラマ版の設定よりも10年前に設定されている。地球温暖化を食い止めるため、人類は化学薬品のCW-7を世界中に散布したが、むしろ世界に氷河期が到来し地上は雪と氷に覆われた。
一方、ウィルフォード産業の代表であるウィルフォードという人物はこの事態を見越し、永久機関列車“スノーピアサー”を建設。列車は2014年に出発し、以降17年にわたって走り続けている。人類は、この列車に乗り込んだ人々を残し、ほとんど絶滅してしまっていた。
つまり、永久に稼働できるエンジンを持つスノーピアサーはさながら“ノアの箱舟”であり、そこに乗り込んだ人々は人類にとって残された最後の希望であるはずだ。だが、スノーピアサーでは、現実の資本主義社会がそうであったように、またも格差社会が再生産されていた。
最後尾からの反乱
チケットを購入してスノーピアサーに乗り込んだ人々は、列車の前方に陣取っている。おそらく高価なチケットを購入した人たちだろう、クラブにプール、美容院にサロンなど、氷河期とは思えない優雅な生活を嗜んでいる。板前が握るお寿司まで出てくる。
そして最後尾の車両には、無賃乗車でスノーピアサーに乗り込んだ人々が押し込められている。貧困層の人々がひしめき合い、劣悪な環境下で、けれど助け合いながら生き延びている。最後尾の乗客たちは銃を持った兵士によって統制され、前方車両から送られてくる“プロテインブロック”なる食料が支給されている。
ようかんのような見た目のこの食料は最後尾車両の通貨がわりにもなっているが、実はその正体はゴキブリを加工したもの。格差社会の現実は、想像を上回るグロテスクさを孕んでいるものだ。一方でこのプロテインブロックには、時折“赤いメモ”が混入しており、革命を促すキーワードが綴られている。
明らかになっていくスノーピアサーの真実
これらの言葉を信じた主人公カーティスはいよいよ仲間たちと決起を実行する。監獄セクションに収容されたナムグンとその娘のヨナを目覚めさせたカーティスらは、次々と前方車両へと進軍していく。映画『スノーピアサー』の凄いところは、スピード感あふれる展開の中で、次々とスノーピアサーの、つまりこの社会の真実が明らかになっていく点である。
プロテインブロックの真実もそうだが、人々がクロノールと呼ばれるドラッグに毒されていること、実は水族館が存在しており寿司が食べられること、小学校ではウィルフォードを賞賛する徹底したプロバガンダ教育が行われていること、富裕層の乗客たちが何不自由なく生活していること……社会の最下層で日々を懸命に生きている状況では見えてこない理不尽な社会の真実を、カーティスたちは知っていく。まるで本を読み、資本の理論を知っていくかのように。
物語の途中、氷塊への衝突や年越しなど、すべての階層が影響を受ける外的要因も登場する。コロナ禍に苦しむ人類にとっては見覚えのある光景になっているかもしれない。そう、列車の外部においては、階級や所属している車両は無関係なものになる。このシーンは物語の重要な伏線になっていく。
“逃げる”という選択肢
多くの仲間を失いながらも、カーティス、ナムグンとヨナはウィルフォードのいる最前方の車両にたどり着く。だが、ここでナムグンは列車からの脱走という道を選ぶ。ナムグンは、列車の中で支配者階級の人間のもとに辿り着くことに価値を感じていない。外の世界で雪解けが始まっていることを察知し、自由になることを選ぼうとする。
この格差社会の構造そのものから抜け出そうというのだ。確かに、“ゲームから降りる”、“仕組みを無効化する”というのは最も有効な反抗の手段だ。権力者が決めたルールが通用しないところへ行ってしまえる。
だが、カーティスの目的はあくまでウィルフォードのもとへ行くことだ。カーティスは、かつて飢餓状態にあった時に人を喰い、幼いエドガーの母を殺していた。最後尾車両の人々は、ギリアムを中心に腕や足を切って分け合いこの貧窮状態を乗り越えたが、カーティスにはその勇気がなかった。
罪を背負ったカーティスに、逃げ出すという選択はなかった。最下層の人々を代表してウィルフォードに復讐を果たすことは、カーティスが果たすべきけじめでもあった。
社会を成り立たせていたもの
そして、最後の部屋に進んだカーティスは、ウィルフォードの口から更なる衝撃の事実を聞かされる。これで通算3度目になる革命も全てウィルフォードの計画通りであり、人口調整の一環でしかでしかないというのだ、前方から送られてきていた“赤いメモ”はウィルフォードが送ったものであり、ギリアムと連携を取りながら革命を扇動していたのだ。
唯一の誤算は暴動が予想以上の盛り上がりを見せたこと。カーティスは最後尾からウィルフォードの部屋にたどり着いた最初の人間になった。だが、その事実さえも、ウィルフォードのような支配階級の人間にとっては、上質な物語、“アート”でしかない。
映画『スノーピアサー』における特徴的な描写の一つは、ポン・ジュノ監督自身も含まれるであろうアーティスト (絵描きやバイオリニスト) が最後尾に配置されていることだ。そして富裕層の必要に応じて前方の車両に引っ張り出される。最後尾の人々の活動は富裕層のためのアートとして消費されてしまうのだ。
ウィルフォードは、人々が生きていくためには「欲求と不安、無秩序や恐怖」のバランスが必要だと弁を振るう。今や前方車両の乗客たちも最後尾の乗客たちに恐怖と憎しみを覚えており、ナムグンとヨナを殺そうと立ち向かってくる。富裕層が貧困層の人々に同情したり連帯したりするのではなく、脅威と蔑みの眼差しを持つことで初めて階級社会は機能するのだ。
そしてウィルフォードは、カーティスにスノーピアサーを管理する立場を譲ることを申し出る。カーティスは初めて先頭車両から後方を見下ろし、その列車=社会の仕組みを捉えなおす。ウィルフォードは、常に変わらぬ順序で各セクションが並ぶこの列車と階級社会を重ね合わせ、その仕組みを正当化していた。序盤にも「永遠の階級」「靴は靴らしく」といった言葉が登場したように、階層を固定化し、自由な行き来を制限することで、スノーピアサーの社会は機能していた。
最後に、最後尾車両のもう一つの存在意義が明らかになり、カーティスは我に帰る。最後尾車両は、児童労働力の供給源だったのだ。子どもしか入ることのできない小さなスペースで“部品”として働かされる子どもたち。実は、運行に必要な最後の部品はすでに失われており、このスノーピアサーは、文字通り“人力”で動いていたのだ。ウィルフォードは、子どもは最後尾の車両から安定供給される、その仕事は「決められた持ち場」だとのたまう。
その姿を見たカーティスは目を覚まし、自らの腕を犠牲にしてティミーを助け出す。あの時できなかった自己犠牲を払い、ヨナにドアを爆破することを許す。人々の犠牲で成り立っているこのシステムを終わらせるために。
スノーピアサーは雪崩によって崩壊。その使命を終える。ナムグンとカーティスによって爆風から守られたヨナとティミーは、外の世界に這い出し、そこが既に生きていける寒さになっていることを知る。そして、生物が絶滅したと思われていた地上に、生きた白くまの姿を目撃する。
“逃げること”と“立ち向かうこと”
映画『スノーピアサー』で固定化された格差社会を描いたポン・ジュノ監督。提示した解決策は、そのシステムを打ち壊すこと、ルールを無効化すること、「外の世界の可能性」に思いを巡らせることだった。ヨナとティミーという次世代の二人は、スノーピアサーというシステムから抜け出し、新たな世界を生きていくことになる。
貧困や反乱を芸術として消費し、人々の怒りを吸収して増強されるシステムの強さも同時に描かれている一方で、『パラサイト 半地下の家族』にも通じる、優れた心情描写も中心に据えられている。それは、底辺を味わった人々の上流階級やシステムに対するある種のこだわりだ。そこで生まれ育ち、歴史を背負う人間にとって、「嫌なら壊せばいい」という言説は簡単に受け入れられるものではない。カーティスにとっては、自由を手に入れて生き延びることよりも、他者を犠牲にして自己保身に走った自分の生き方にけじめをつけることの方が重要なことだった。
その状況から“逃げること”と“立ち向かうこと”は、抑圧された人々にとって共に重要な選択肢であり、その両方を捉えられていることが、ポン・ジュノ監督の強さではないだろうか。
そして、『パラサイト 半地下の家族』にも通じるといえば、社会の格差構造を単純化して提示するポン・ジュノ監督の演出の巧さだ。最後尾車両と前方車両、地上と半地下を対比し、物語が進むにつれてよりグロテスクな社会の仕組みが明らかになっていく。
『パラサイト 半地下の家族』のネタバレになるのでこれ以上の記述は避けるが、『スノーピアサー』のメッセージに魅せられた人であれば、間違いなく『パラサイト』の虜になるだろう。
これらの要素をまるで高速で駆け抜ける列車のようなスピード感で見せつけられるのが映画『スノーピアサー』の魅力だ。ポン・ジュノ監督もプロデューサーとして製作に加わるドラマ版『スノーピアサー』では、どのようなテーマが扱われるのか、そして映画版で描写されなかった新たな設定が明らかになるのか、ぜひチェックしておこう。
ポン・ジュノ監督の映画『スノーピアサー』はNetflixで配信中。
ドラマ版『スノーピアサー』は2020年5月25日(月)よりNetflixで独占配信。
ドラマ『スノーピアサー』のあらすじは以下の記事に詳しい。