第三回かぐやSFコンテスト読者賞受賞作品
牧野大寧「城南小学校運動会午後の部『マルチバース借り物競走』」
「りょうや君のお父さんスタートダッシュが速いです!」
実況を務める放送委員の声が校庭に響き渡る。
五人の大人の男が小学校の校庭を走りだした。校庭のトラックを取り囲んでいる生徒たちとその父母がそれを見つめている。
五人が向かう先は50メートル先に置かれた白い箱だ。先にたどり着いたのはりょうや君のお父さんだ。箱の中にはマルチバースゴーグルが一台と折られた紙が一枚入っている。
りょうや君のお父さんがゴーグルをつけると、校舎にプロジェクションマッピングされたスクリーンがりょうやくんのお父さんの視界を映し出した。紙を開くとそこには「アインシュタインが作ったピラミッドの写真」と書かれている。
「おおっと、これは非常に難しいお題だ!」実況が叫んだ。
りょうや君のお父さんはマルチバースゴーグルのスイッチを押して別のバースへと飛び立った。他のお父さんたちもそれにつづく。
「ここでマルチバース借り物競走のルールのおさらいをしておきましょう。走者は箱の中からお題の紙を手に入れます。お題に書かれたアイテムを手に入れて、テープのある場所まで走り切ったらゴールです。さて、この借り物競走ではそのアイテムを手に入れる方法が少しだけ変わっています。世界には多元宇宙がありますが、なんとお題に書かれたアイテムは現時点で多元宇宙のどこにも存在していないものになっています。そこで走者のみなさんにはゴーグルを使ってマルチバースに飛び立っていただき、歴史を改変してそのアイテムを生み出してもらいます。行先のバースはどんなところでも自由です。ただし、ひとつのバースに接触できる時間は合計で10分間だけ。お題のアイテムを持ち帰ってきて、ゴールテープを切ったらゴールになります。本日は、この競技の企画者でもあり、歴史に干渉をくわえた場合の解説をしていただくために社会科担当の野村先生をお迎えしています。野村先生よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
「野村先生、この競技は一体どのようなところがポイントになりますか」
「やはり移動先のバースをどんなバースにするか、それと歴史のどの瞬間に立ち入るか、この二点になるでしょうね」
「それでは各お父さんたちが手に入れたお題を確認していきましょう。りょうや君のお父さん『アインシュタインが作ったピラミッドの写真』、ひびき君のお父さん『黄色いデザインのコカ・コーラ』、かい君のお父さん『1920年出発のタイタニック号の乗船チケット』、みくる君のお父さん『HUBJACK配列のキーボード』、りゅうが君のお父さん『家畜化された体長2メートル以上の食用うさぎの肉』です。どれも非常に難しいお題ですね野村先生」
「ええ、特にうさぎを食用に家畜化するのは一万年ぐらいのスパンでの歴史改変が必要かもしれないですからこの中でも一番難しいかもしれません」
「おおっと早速りょうや君のお父さんアインシュタインに接触したようだ!」
会場からどよめきの声が上がった。スクリーンにはあのアインシュタインが研究室にいる様子が映っている。
「どうやらりょうや君のお父さんは自己顕示欲が強いアインシュタインがいるバースに行ってピラミッドを建築するようにお願いしているようですね」
「これは正面から行き過ぎてダメな方法かもしれませんね。自己顕示欲が強くてもピラミッドを建設する動機としては弱いでしょうね」
「となりの画面に映ったりゅうが君のお父さんを見てみましょう。おっと、これはりゅうが君のお父さん、借り物競走で自分が一位になったバースへ飛んで、自分からお題のアイテムを受け取ろうとしています。スクリーンに映されてバレバレになっているのが分からないのでしょうか」
「これは小賢しい方法に出てしまいましたね。事前にしたルール説明でもルール違反だと伝えましたが、これは失格です」
「なんと開始早々ここでりゅうが君のお父さん失格となってしまいました!」
りゅうが君のお父さんの視界が地面を映している。ガックリと膝をついているようだ。
「それでは次に黄色いコカ・コーラを探すひびき君のお父さんの画面を見てみましょう」
「おお、これはなかなかいい選択ですね」
「野村先生それは一体どういうことでしょうか」
「コカ・コーラのブランドカラーが決まるきっかけになった1888年に飛んでますよ」
「それはどんなきっかけだったんでしょうか」
「コーラを入れていた樽の色を赤くしたのがはじまりだったみたいですね。おそらく樽の色が黄色になるように歴史改変を狙ってるのかもしれません」
「ひびき君のお父さんが入っていく建物はどうやら、これは、お店のようですね。コカ・コーラのお店でしょうか。これは、えー、コカ・コーラではなく——」
「塗料を売ってる雑貨屋ですね、これ。すごいですよ、私の予想では、樽を黄色に塗らせるために黄色以外の塗料を買い占める気ですね。あー、やっぱり買ってますねこれ、買ってる買ってる」
「アイテムを手に入れる可能性がもう出てきました。それでは次にかい君のお父さんも見てみましょう。かい君のお父さんのお題は『1920年出発のタイタニック号の乗船チケット』です。野村先生こちらのアイテムを手に入れるのは一体何が難しいのでしょうか」
「タイタニックは1912年に沈んでますからねー。沈没を回避させた上でチケットを買わないといけません」
「なんとあの事件を回避しなければいけない、ということですね。かい君のお父さんが向かってるのは、これは——」
「造船技術が発達したバースの造船所みたいですね。造船技術が発達していてもタイタニック号は沈没するわけですが、一体何をするのでしょう。ん? エンジンを壊してますね。あくどいやり方にでましたね。そもそものタイタニック号の運行スケジュールをずらすつもりです。どうなるんでしょうか」
「お、今度は20年に飛びましたね。あら、どうやらタイタニック号沈んでるみたいですね」
「運行スケジュールをずらしてもだめでしたか。運命は手強いですね」
かい君のお父さんの画面が切り替わった。どうやらやり直すために別のバースへ飛んだようだ。
「みくる君のお父さんを見てみましょう。お題の『HUBJACK配列のキーボード』というのは一体なんなのでしょうか、野村先生」
「これはですねえ、パソコンのキーボードというのは歴史的にQWERTRY配列と呼ばれる並び順になってるんですが、左上から順にQ、W、E、Rというふうに並んでますよね」
「ええ、そうですね」
「これの左上がH、U、B、J、A、C、K、と並んでるものを今回HUBJACK配列と呼ぶことにしまして、そのキーボードを手に入れるというお題ですね」
「なんとも厄介そうなお題ですね。そんなものが手に入れられるのでしょうか」
「これは正直言ってハズレのお題かもしれませんね。私もどうやったら歴史的にそういう配列になるのか見当もつきません」
「みくる君のお父さんは一体どうするのでしょうか」
「お、これは意外にもキリスト教がさらに発達しているバースの西暦500年代のローマに行ってますね。QWERTY配列の元になったタイプライターができるのは1800年代ですから、だいぶ昔ですよ、何をするのでしょうか」
「この時代のローマにはアルファベットというのはあるのでしょうか野村先生」
「おそらくラテン文字だと思いますね。形は近いですが、現在のアルファベットにはまだなってません。お、これはローマ法大全を編纂しようとしている東ローマ皇帝にHUBJACK配列を法律に組み込むようにお願いしていますね。こんなやり方でタイプライターの配列が一体決まるのでしょうか」
「バタフライエフェクトとでも言いますか、歴史の妙を狙っているのでしょうか——」
そのとき突然実況の放送委員と社会の野村先生が姿を消した。いや、それだけではなく生徒たちや他の先生方、父母の全員がいなくなり運動会会場が跡形もなく消えた。学校の校舎だけが残った。
そこへ、マルチバースゴーグルをつけた五人のお父さんたちが帰ってきた。ひびき君のお父さんは片手に黄色いコカ・コーラを持っている。他のお父さんたちも片手にアイテムを持っている。失格になったりゅうが君のお父さんを含めて、どうやら全員お題のアイテムを手に入れることに成功したようだった。
お父さんたちはあたりを見回して、何が起きたのかと様子をうかがった。
校舎の中から先生が一人出てきた。
「どうかされましたか?」
「借り物競走の最中だったんですが、みんないなくなっちゃって」ひびき君のお父さんが言った。
「借り物競走? 借り物競走って一体何のことですか?」
「運動会でやってたんです」
「今日は運動会はやってませんよ。それに借り物競走なんて競技は知りませんね」
「え?」
五人のお父さんは首をかしげた。
そこへ、校庭の向こうからマルチバースゴーグルをつけた男がやってきた。
「もしかして借り物競走の最中でしたか? すみません、この世界の借り物競走がマルチバースの歴史をぐちゃぐちゃにしてるみたいなので、拾っちゃいました」
「拾った?」
「あ、私、町内会でマルチバースゴミ拾いのボランティアをやってる者です。マルチバースを汚すマルチバースゴミを消すことを拾うって呼んでましてね。歴史改変して借り物競走という競技を消しちゃいました。それでは失礼します」
男は頭をさげるとマルチバースゴーグルのスイッチを押して消え去った。
校庭には、奇妙なアイテムを持った五人のお父さんだけが取り残された。