なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」 | VG+ (バゴプラ)

なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」

カバーデザイン アドレナリンデザイン

先行公開日:2023.10.28 一般公開日:2023.11.23

なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」
10,018字

仕事仲間からの信頼はあつく、多くのリスナーに愛されたラジオリポーターの女がいた。彼女は本来求められるラジオカーリポートの役割――天気や季節感を外に出て感じ、徳島で暮らす人とのふれあいや偶然の出合いで得られた情報を現場の空気感と共に気取らない言葉でわかりやすく伝える――を当たり前に果たすだけでなく、心が強く動くことに出合うたび挑戦的なリポートもした。まだ表立っていない徳島の社会問題、隠れあるある、差別、ハラスメント、心霊スポット、あらゆるもやもやをリポートで顕在化しようとした。現場で気づいたことや疑問を生放送で臆せず口にしたり、当事者の声を拾ったり、リスナーを巻き込んだり、ディレクターの許可を得ず行政に直接訊ねたりした。彼女が母親を交通事故で亡くしたのは、彼女(以後、ミチ)のリポートが放送局内で危険視され始めたときだった。当時ミチは徳島市中心部のひょうたん島(川に囲まれた周囲約6キロの中洲)に拠点を持つと噂されていた風船女の謎を追っており、母親の事故が起こった時、ミチは風船女の居場所を特定しようとひょうたん島にある不動産屋で住宅地図を広げて店主に聞き込みをしていた。ミチの母親はそのリポートを携帯ラジオで聴きながら歩道を歩いていた時、後ろから猛スピードで車道を飛び出してきた車と店舗のシャッターの板挟みになった。事故に遭った時刻をミチは訊ね、自分がいつもより2分も長くリポートしなければ母はその時イヤフォンを外していただろうし、市バスに乗り遅れまいと歩くスピードを速めていて、つまり事故に遭わなかったに違いないと確信し、悔いた。ミチが母の死を機に仕事を辞めた後、どこで何をしているのか誰も知らなかった。そんなミチをまたラジオリポートに引っ張り出したのはミチの現役時代の人気ぶりを噂で知った若いディレクターで、ラジオまつりの特別企画としてミチを2日間復活させることを決めてしまった。放送局から依頼の連絡が来た時、ミチはそんな気持ちにはもうなれないと断った。けれど家に送られてきたルルという少年の手紙を読み、ミチは気持ちを変えた。

国道55号線をインディゴブルーとイエローのツートンカラーの車が南に向かって走っている。車体のそこここに貼られたとくしま放送局のロゴと周波数のステッカーがラジオカーだと周りに知らせる。助手席に乗った少年・ルルは、白い風船が低い雲の中に消えていくのを見届けた後、リュックの中からお菓子の入ったジップロックを取り出した。ルルは赤色の熊のグミを口に入れ、紫色の熊のグミをドライバーの宮田に渡した。「よかったらどうぞ。紫だけどアップル味です」「ありがとう。きみの腕真っ白やな」「ほとんど外に出ないので。宮田さん、ぼく、1分くらい前まで何の話してましたか?」「今、徳島で噂になってること」「そうそう、ふわふわおばさん。風船女って言う人もいる。知っていますか?」「うん。ふわふわおばあちゃんもおるらしいで。白い風船の塊から顔と手足を出したおばけやろ」「はい。泣いていたり、寂しそうな子どもがいると現れて『風船やーか? 風船で遊ぶか?』って声を掛けて、風船の中で遊んでいるとそのうちに圧迫されて前にも後ろにも動けなくなるとか、風船をもらうと紐が手首に絡んで取れないままアジトまで風で飛ばされるとか怖い噂があります」「アジト?」「はい。ふわふわおばさんの住みか、つまりアジトみたいな場所がひょうたん島にあるんじゃないかとミチさんが以前リポートしてました。でも犬の散歩をさせていたとか、回覧板にもきちんとサインをして次に回しているとか街に溶け込んでいるふわふわおばさんもいると言う人もいるそうです。そもそも見える人と見えない人がいたりして、不可解な存在です。そんな怪しい噂を実際に現場に行って確かめようとするのがミチさんらしいと思いました」「ルルさんは存在すると思う?」ルルは肩をつぼめる。「実はさっき鉄塔の上に白い風船の塊が立っているのを見ました」「え!」「でも、ぼくの勘違いかもしれません。お父さんにもなんでも鵜呑みにするなといつも言われてたし、ぼくの性格が幻影を見させたのかも」「いやいや、信じるよ。おっちゃんの時代は口裂け女やけど、自分の目で見たことはなかったな」「どうして女の人ばっかりなんだろう? トイレの花子さんも貞子も皿を数える幽霊も皆女性だ。なんでだろう? あれ、ぼく、今何の話してましたっけ? そうだ、ひょうたん島って、ひょうたんより洋ナシに似ているとぼくは思うなあ」
「ふわふわおばさんの話」後部座席のジュニアシートで眠っていたミチが目を覚まし、ぽつりと言う。ルルは姿勢を正す。「ミチさん、今日も1日よろしくお願いします」「こちらこそ。ルルさんの言う通り、どうして幽霊や化け物には女性が多いんだろう」ミチが体を起こすと背中にはおんぶ紐で固定されたソヨがぴったり付いている。ルルは部屋の隅で忘れられたしなびた風船みたいだと思った。ミチが動くたびキリリンカンと金属音がしてソヨの首がガクンガクンなる。昨日、ミチと歩いているとスカートの下から小さな人形が落ちた。ルルが驚いて拾い上げるとミチは黙ってそれを自分のリュックの中に押し込んだ。チャックを閉めるのを手伝おうとしたルルにミチは「母のソヨです。仕事に連れてきたりしてごめんなさい」と言った。ルルは表情を変えず頭を何度も叩き、思い浮かんだ歪んだ決めつけを排除。ルルの父がいつも言っていた、アンコンシャス・バイアス無意識の偏見が自分の中にもあることに気づいた。「息子への根拠のない決めつけや正しさの押しつけが彼をどれだけ傷つけ、周囲からのぞんざいな扱いや差別を誘発しているか想像したことがありますか?」ルルの父はそう言って学校の先生や同級生や親戚やご近所、そして母からも彼を何度も守ってくれた。今、ルルもまた自分が考える、母はこうであるべきというバイアスを排除し、ミチの母は柔らかく弾力性があって薄汚れたあの小さなゴム人形でもいいではないかと思った。隣車線を走る車に乗る子どもが、興味深そうに中継車を覗き込んできて、ルルは自分がラジオカーに乗っていることを思い出す。「お笑い芸人でもアイドルでもユーチューバーでもなくてごめんねー。ぼくはお相撲大好きなラジオリポーター・ルルくんです。はー、どすこいどすこい」大きな体と頬を揺らして相撲ポーズでルルは車内の空気を和ませた。
「『ラジオカー日誌』っていうのがあってね。リポーターは仕事が終わった後、その日リポートした場所と内容を書いておくの。代々続いていたから何冊もあって、ネタに困ったりした時は過去の日誌を見て、先輩が行った場所を見て参考にしたりしていたんだけど、そこにさっきルルさんが言ってたアジトって時々書かれていたことを思い出した。何だか不可思議だったり、どう考えても理屈が通らないことや場所に遭遇した時、記しておく隠語みたいに先輩たちは使ってた。それに合う言葉が他になかったんだろうね。実は私も一度アジトって日誌に書いたことがある」ルルが素早く振り返る。
「それって、徳島県人と似た香りをつくる調香師がいるお店じゃないですか? 徳島に馴染めないよそから来た人たちがその香水を買うために集まってくる店だってリポートしてたところ」
「すごい。どうしてわかった?」
「とても不思議なリポートだったので。ミチさんは誰かと喋ってる感じなのに相手の、たぶん調香師なんだろうけど、声が全く聞こえない。声が小さい人なのかなって、ラジオのボリューム上げたのを覚えています。音もぼそぼそとこもった感じで、ノイズも入ってて、なんて言うか、まるで……」
「言って」
「昔の店にミチさんが迷い込んでるみたいでした」ミチはぼんやり宙を見るような目つきで考え込んだ。
「私も本社に帰ったらディレクターから指摘されて、すぐに録音を聴いた。そしたらおじいさんの声が入ってないだけじゃなくて、ルルさんが言うように音もいつもと違うし、雑音も多いし、聴いてるとぞわっとした。調香師のおじいさんは口数が少なくて独特な雰囲気だったけど、白衣姿で品がある人だった。仲之町に古くからある日用雑貨店なんだけど、奥にレジとは違う小さなカウンターがあって、ちょうど大阪から一か月前に徳島に来たっていう男性が香水を調整してもらう相談――見本よりスダチ弱めで線香と汗の匂い強めで――をしてた。カウンターの中には夏なのにセーターを着たおばあさんが丸椅子に座ってて、窓の外をぼんやり眺めてた。おじいさんにインタビューをお願いしたら、話すのはいいけど、ここはもうすぐたたむから場所は言わないでほしいって言われた」「その、徳島県人の香水はどんな匂いだったんですか?」「それが、微かに土と草の香りを感じただけで、ほとんど匂わなかった」「そうだったんですね」ルルは窓ごしに山に囲まれた田畑のどこまでも平坦な広がりを眺めながらラジオで聴こえなかったおじいさんの声を感じとった。「徳島は夜暗いんがいいな。ゆっくり休めて深呼吸できる。都会でおったら24時間光浴びっぱなしで体内時計は滅茶苦茶じゃわだ。ほなけん夜の自然の匂いも入れるんでよ」
「ルルさん?」
「あれ、ぼく今何の話してましたか?」
――とくしま放送21、こちらとくしま放送18。電波チェックできますか?

本社からの無線が車内に響く。ルルが時計を見ると8時20分。生放送番組の開始15分前だった。「ルルさん出てみたら? 場所はまだ決まってないって伝えて」ミチの言葉にルルは勇気を出して車載無線をとる。
「とくしま放送18、こちらとくしま放送21です。ごめんなさい。まだ場所が決まってません」
――了解。
「宮田さん、次の交差点を右に曲がってもらって、停車できるところがあればそこで電波チェックします」ミチがきりっとした雰囲気で伝える。
「場所決めが早くてびっくりします。すごいです」
「この辺りはもう数えきれないほど来てるから。ルルさん、バインダーに挟んだ紙にメモしてくれる? 小松島市田浦町、国道55号線から少し西に入ってきた。オクラ畑。レモンイエローの花が咲いている。今言った情報を使って今日は朝から自分でリポートしてみよう。ニュースじゃないから、これもあれも間違えないように、なんて気持ちは捨てて、自分がこれ、と思ったことだけ話せばいい。じゃあ、昨日教えた機材を今日は自分で用意できる?」「はい」ルルはラジオマイク、携帯無線機、エアモニ(携帯ラジオ)を確認し、ベージュのキャップを被り、ラジオマイクを肩に掛けた。ミチは背負ったソヨの上に水色の薄いカーディガンを羽織った。車が停車し、ルルとミチは外に出た。「じゃあ、チェックしようか。番号間違えないように。その携帯無線機は32」ミチに言われて、ルルは首にかけた無線機で本社を呼ぶ。「とくしま放送18、こちらとくしま放送32。電波チェックお願いできますか?」
――はーい、どうぞ、出してください。

ルルはメモを確認してから喋る。教えてもらったように、今見えているもの、感じていることを易しい言葉で素直にゆっくり話す。「はい、小松島市田浦町です。目の前にはオクラ畑があります。テニスコート2つ分くらいです。花が咲いています。森ミチさんとリポートをしたいというぼくの願いを叶えてもらった企画最終日。ぼくはきっと今宇宙で一番緊張しています」
――はーい、OK。じゃあ、ミチさんも喋っていただけますか?
「朝から容赦ない日照りで歩く人も少ないですね。……ベビーカーを押す若い人が赤ちゃんに怒鳴ってる。お父さん? 子育ては大変だろうけど、あ、あ、そんなふうに揺すっちゃだめ。赤ちゃんは言い返せないから、理不尽だー、理不尽だーって泣いて訴えてるのよ。助けになってくれる人が周りに誰かいないのか、彼に直接話を訊きたいです」
――はい、電波チェックはオッケーです。ルルさん、マイクはできるだけ口元に近づけて話してくださいね。ミチさん、朝の挨拶なので、くれぐれもリポートの内容には気をつけて。ラジオカーらしい話題でお願いします。
「了解です」マイクで返事したあと、ミチは軽いジャンプを何度かした。背負ったソヨのドレスに付いた鈴が鳴る。ルルは以前父が「ミッちゃんはきれいにまとめようとせずに、ん? と思うところで終わって、リスナーに考えさすのがごついな。ドキュメント番組みたいじゃわだ」と言っていたことを思い出した。三つ編みを揺らしあぜ道を歩くミチの後ろについていきながら、ルルはミチの小さな体に視線を向けた。

ラジオで聴いていた声と話し方から勝手にイメージしていた大柄でダイナミックなミチが実際には小学生のような背丈で現れ近づいてきた時、ルルは言葉を失い、うつむいてしまった。ミチは気にする素振りを見せず「はじめまして、森ミチです。服、緑色ね。私とお揃い」と丸眼鏡の奥の目を細めた。ルルは毎日聴いていた声を目の前で聴き、喜びを爆発させた。「わわ、ミチさんじゃ。ミチさんの声じゃ。これ、お父さんが着てたポロシャツです。峯ルルです。2日間よろしくお願いします」「こちらこそ。ルルさん手紙ありがとう」ミチが伸ばした手に頼りなくルルが手のひらを重ねる。「ぼく、何を書いたかな」「ラジオ、お父さんと聴いてくれてたって」「あー、ミチさんのリポートいつも聴いていました。おばあちゃんとも聴いていました。留守番で一人の時も」

その後ルルはラジオカーの機材の説明をミチから聴きながら、さっきミチと初めて会った時の自分のリアクションを悔いた。ミチはこれまで初対面の人にどれくらい同じような態度をされてきただろうか。ルルは自分の顔をぎゅーっと縮め、皺くちゃ滅茶苦茶にした。「あとは実践しながら教えます。一人でリポートができるようになることが目標やね」「はい」ミチは自動販売機でペットボトルのお茶を買ってきてルルに渡した。「ところで手紙のつづき。ふわふわおばさんの居場所を知っていたら詳しく教えてほしいって書いてたのはどうして?」ルルは短くため息をついた後、意を決したような顔つきで自分のシャツをつかんで少し捲り上げた。「へその穴、見えますか?」ミチが他の人に見えないようにシャツの裾をそっと持ち上げると、そこには本当の小さな穴があって、覗き込むと暗闇から白いものが押し出されてきてミチの目の前でぷくっと小さく膨らんだ。「……風船?」ルルは返事をする代わりに今度はシャツを胸まで捲りあげた。同じような穴はいくつもあり、白いゴム風船が外に垂れ下がっている穴もあった。「ルルさん、背中も見ていい?」「はい」ルルの耳は真っ赤だった。背中全体に穴があることを素早く確認したミチはすぐにルルの服を戻した。「嫌だったよね。見せてくれてありがとう。穴はいつからあるの?」「脇腹のとこに昔から一つありました。時々指で触ったりしてたけど、もしかして病気かもしれないって、怖くて誰にも言えなかった。1年前におばあちゃんが死んで、焼き場から戻って、お風呂に入ろうと服を脱いだ時、お父さんの叫び声で気づいたんです。自分の体中が穴だらけになってること。風船が初めて膨らんだのはしばらくしてお父さんが家出してしまったとき。ぼくをお相撲さんにするのがお父さんの夢だったから、きっとこの体を見て失望したんじゃないかな。悲しくて一人で泣いていたらゴム風船が膨らんできて……自分は風船おばけなんじゃないかと膨らんだ風船を全部根元からハサミで切ったんだけど、しばらくしたらまた」「ミチさーん、そろそろ出発しましょうか」ラジオカーの運転席から宮田が叫んだ。
「さーて、今日はあなたがここでリポートする許可をとるの。やれる? 正直に言うと、私はラジオカーの仕事の中でこれが一番苦手。相手の状況も心の中もわからない初対面の人に突然話しかけてお願いをするって本当に大変。上手くいくときももちろんある。そういう時は『おー、いいでよ』って驚くほどすんなり」「上手くいかない時は?」「無視されたり、報酬を要求されたり、すごい剣幕で怒られたり、カマを振り上げられて追いかけられたこともある。まあ、運ね。危ない時は悪いけど私を抱っこして逃げてね。とにかく時間もないし、やってみましょう」ルルは緊張で鼓動が速くなるのを感じながら声を上げた。「おはようございます。お仕事中すみません」噴霧器を背負い、暑さのせいかなげやりに作業をしていた男が振り返る。不快そうな顔つき、首元は汗びっしょりでTシャツが肌に貼りついている。「なんで?」ルルが口を真一文字に結び、逃げたい気持ちと戦っている様子をミチは後ろから見守る。「とくしま放送ラジオでリポーターをしている峯ルルと言います」(番組のオープニングテーマが携帯ラジオのイヤフォンからルルの耳に響く)ルルは早口で説明を続ける。「実はラジオの生放送がもう、もう始まるんですが、ここでリポートしてもいいですか?」男の顔が明るくなった。「おー、いいでよ。ラジオカーじゃな」ミチが後ろで拍手した。「いつも聴いてるけど、おまはんみたいな若い子は初めてじゃな。名前、もっぺん教えてくれるで?」「あ、あ、もう、出番なので、すみません」「お、そうか、すまんな。ほなわしも車でラジオ聴いてくるけん」男はあぜ道を小走りで去っていく。
「ルルさんこれ、リポートの最後に音たててかじってな」ミチがオクラをルルに渡し、ラジオマイクのスイッチを入れた。
――ラジオまつり特別企画「あなたの夢を叶えましょう」。昨日からリスナーのルルさんが森ミチさんと一緒にリポーターに挑戦中です。では2人を呼んでみましょう。ミッちゃんとルルさん!
「はい! おはようございます。ルルです。まだ緊張しています。……あ、ぼくの声、き、聴こえてますか?」
――大丈夫、聴こえていますよ。
「あ、すいません。今朝は小松島市田浦町、国道55号線から少し西に、畑の、畑の前に立っています」
――ドキドキが伝わってくるフレッシュなリポート、今日も応援しています。さて、ルルさんの夢を叶えてくれているのは森ミチさんです。ミッちゃん、今日もよろしくね。
「はーい、こちらこそよろしくお願いします。昨日はリポート3年ぶりだったので、どうなることかと思いましたが、頑張った後のオロナミンCドリンクが格別の美味しさでした。わざわざ届けてくれた田宮のメルシーさん本当にありがとうございました」
――人気リポーター復活ということで昨日は大変な反響がありました。変わらぬテンション低めなミッちゃん節とハスキーボイスが聴けて嬉しいというメールももらっています。

ミチは声を上げて笑う。「低音ボイスは健在ですが、やはりしばらく離れてしまうと思うように喋れませんね。今日も焦りまくり、噛みまくりのリポートになると思いますが、リスナーの皆さんに楽しんでいただければと思います。番組に参加させていただく機会をつくってくれたルルさんと、おかえりと迎えてくれたリスナーさんに感謝しながらがんばります。さて、今日は梅雨明け後の晴天、朝から気温も上がって夏らしい一日になりそうです。向かいの大木からは……聴こえます? セミの大合唱。季節の移ろいを感じます。風が結構吹いてますので洗濯物はシーツなどの大物もよく乾きそうです。じゃあ、ルルさんに交代します」
「えーっと、ぼくは何の話をしてましたっけ?」
「私たちが今いる場所に関するクイズなんて出したらどうでしょうか?(小声で)花の」
「ああ、今ぼくたちの目の前にはハイビスカスのような花が沢山咲いているんです。なんの野菜の花かわかりますか?」
――え? なんだろう。ナスの花!
「残念。正解はオクラの花でした。ぼくは今日初めて見ましたが、レモンイエローでとてもきれいです。農家の方は汗を流しながら一生懸命作業していました。最後にオクラを一口いただきます。ガリッ。ん、うんふん、噛むと出てくるこの粘りが、んぐん、いいですね。えーと、ぼくは今何を話そうとしていたでしょうか?」
――あはは。思い出したらまたこの後のリポートで教えてくださいね。気をつけていってらっしゃい。

ルルは震える手でラジオマイクのスイッチを切りイヤフォンを外した。頬をつたう汗を袖で拭い、しゃがみこんで口の中に残ったオクラと土を吐き出した。出番が来るまでの時間が加速するような感覚を思い出し、ルルは身動きできなくなった。「慣れてないのにオクラまで食べさせてしまってごめんね。私も辞めて3年経つけどリポート中に言葉が出てこなくなる夢を未だに見る。あと、リポートの時間が迫ってきているのにネタが決まってないパターン。それだけ強烈な体験だったんだろうね。緊張でしどろもどろになるなんてしょっちゅう。そんなときは『風が唸りをあげて草を揺らしています』なんて自然の音によく助けてもらった。慣れてきたら言葉が途切れたりすることは減るけど、すらすら喋ることだけがいいリポートかというと私は違うと思う。ルルさんは素直に自分の言葉で伝えようとしてるのがいい。そういうのはラジオを聴いている人にもきっと伝わる」

ラジオカーに戻ると自分の軽トラックでリポートを聴いていた男性が2人の元に走ってきた。「ミッちゃんかいな? 気づかんかったわ。わし、あんたの大ファンなんよ。握手してもらっていい?」「もちろんです」男はミチの前でしゃがんで小さな手を両手で包むように握手した。「いやー、こんな小さい体で毎日リポートしてくれよったんやなあ。元気もろとったでー、ありがとう。突然辞めたけん、ちょっと心配しとったわだ。またラジオに戻ってきてだ」「いえいえ、母を看ないといけないので……。でも、そう言ってもらえて嬉しいです」「そうやったんか。寂しいけどしゃーないな。これ、オクラ。持って帰ってな」男は手に持った大きなビニール袋をルルに渡した。「ミッちゃんのリポートが始まったら作業止めて夫婦で聴っきょったんでよ。出会った人のいい話を引き出す名人じゃ。北島町でよ、家庭菜園しよる85歳のおばあちゃんつかまえて話聴いたら、その人が毎年海外旅行に行ってて、そのために英語の勉強までしよるって話し始めてよ、数日後にはエジプト行くって言よったんにはひっくり返ったわ。ばあさんは家に居るもんっちゅうて決めつけたらあかんな。あれ聞いて、うちのんも一人でツアーに参加してロンドン行ったんでよ。な、びっくりしたわ。1年前に病気でアレしてもたけど、死ぬ前に『あれ、よかったな。海外行けてよかったな』って言よったけん。ありがとう。何もない田舎やけど、いろんな人が居ることラジオで知れたおかげで徳島の見方がちょっと変わったりしてな。ほんまによかったでよ。ミッちゃんにお礼の手紙書きたかったけど、わし、手紙やかしもう書けんけん、今日会えてよかった。ルルくんも、ミッちゃんとリポートできてよかったな。ええ声しとるし、ええ顔しとるで。な。自分の好きなようにやったらいいんじゃ」ルルは鼻の奥がツーンとしてみるみる視界がぼんやりした。唇をかみしめ全力で涙をこらえていると背中の風船が膨らみ、浮き上がりそうになるのをミチが隠した。

ラジオカーに戻りカーディガンを脱いだミチの背中にソヨの姿がなかった。「リポートの途中で紐が緩んだみたい。オクラ畑で落ちてた。また帰って綺麗にするから大丈夫」泥まみれのソヨの鈴は鳴らず、首の向きが前後逆だった。ミチはリュックから出したジップロックにソヨの体をぐにゃりと曲げて入れた。袋は半分しか閉まらず片足が出たままだったがミチは気にすることなくリュックに仕舞った。「さあ、どこにリポート行きましょうか。このまま県南に行ってもいいけど……」ルルがシートに深く座った瞬間に風船の破裂音。宮田が悲鳴を上げた。妙な沈黙が流れるラジオカーに向かって農家の男性がオクラを持ったまま手をずっと振り続けている。ルルは男性の言葉を思い出して胸がまた熱くなったのか膝小僧とふくらはぎの風船を膨らます。ミチは気づかないふりをして宮田に行き先を告げ、ラジオカーは徳島市内に向かった。

夕方、ルルとミチは水しぶきを上げながら豪快に進む船の上で最後のリポートを迎えていた。いろいろと試みたけれど膨らみ始めたルルの風船を止めることはできず、今や体が白い風船の塊となってしまったルルが飛ばされないように支えながらミチは生放送のスタンバイをしていた。
――では、ラジオカーを呼んでみましょう。ルルさんとミッちゃん!

ミチがラジオマイクをルルに向けた「はーい。ぼくたちは今ひょうたん島クルーズに乗っています。さっき歩いてリポートしていた街を今度は新町川から見ています。あ、30分掛けて分厚い鳴門金時を揚げている芋天のお店も見えます。ミチさん、いかがですか?」「あら、ルルさんから私にインタビュー? うふふ。そうですねえ。やっぱり川から眺めると視点が変わって面白いですね。旅行に来たみたいです。あの水際のお家は外壁に花台を作って花を綺麗に飾ってます。私たちを迎えてくれているみたいで素敵ですよね」ミチがルルにマイクを向けると彼の視線は一軒の家に向けられていた。アジトだった。窓から見ている人たちが笑顔で手を振っている。風船は膨らんでいないけれど、彼らが風船おばけだとミチにはすぐに分かった。ルルの風船が大きくなり体が浮き上がりそうになるのをミチが抑え込んだ。「船に乗ってると街から手を振ってくれる人がすごく多いんですよね。ちょっと有名人になった気持ちで新鮮です。こんにちわー!」アジトで流れている大音量の自分の声がハウリングして聴こえてくる。ラジオを聴いて監視されているようでミチは怖くなった。
――では、ミッちゃんがクルーズ船から手を振っている間にちょっとCMです。

すぐに無線が入った。
――とくしま放送32、こちらとくしま放送18です。CM明け、短め挨拶でリポート閉めましょうか。
「了解です。ルルさん無線聴こえた?」「ミチさん、ぼく1分くらい前何の話してましたっけ? あれ、ミチさんの腕にも穴がある!」「うん、実はお昼ご飯食べてる時に気づいた。ルルさんの言う通り、人に言いにくいもんやな。隠れ風船おばけ、知らないだけで実は結構おるかもしれんね」いつの間にかルルの風船は縮み元の姿に戻っていた。同乗している人でルルの体の変化に気づいたのはミチだけ。乗船した時も風船のことは訊かれなかった。どういうことか考える間もなくCMが明け、スタジオのアナウンサーが喋り出した。
――では、最後にもう一度、ラジオカーの2人を呼んでみましょう。ミチさんとルルさん!
「はーい。ちょうどケンチョピア*が見えて一気に視界が広がりました。あ、いま雨粒が顔に当たったと思ったら雨が降ってきましたね、ルルさん」
「はい。お家でラジオを聴いている方は洗濯物を取り込んできてくださいね」
「そんなことまで言えるようになって、すごい成長です」ミチはリュックから自分のレインコートを出し、頭からルルに被せた。
――ルルさん、2日間の体験リポートどうでしたか?
「ラジオカー体験は想像していたよりずっと大変でしたけど……雨をはじくレインコートの音、皆さんにも聴こえますか? この音はぼくが濡れないようにそっと被せてくれたミチさんの温かい雨の音、いえ、優しい心の音……あれ、ぼくは今、何を話そうとしていたんでしょうか? 言葉はパズルみたいで伝えようと思えば思うほど難しいですね」
――大丈夫。伝わっていますよ。
「ちょうど私たちの目の前に眉山が見えてきました。この景色を見るといつも、あー、帰ってきたなと思うんですよね。遠くに行ってないときでも思ってしまう。何ででしょうね。あれ? 私も今、何を話そうとしたんでしょうか? とにかく最後まで聴いてくださってありがとうございました」ミチの腕の穴から膨らんだ白い風船がするする空へ飛んでいく。風船を目で追うルルとミチの和やかな笑い声がフェイドアウトし、ラジオはCMに切り替わった。

*県庁の前にあるヨットハーバーの愛称

 

 

 

なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」は、2023年12月に刊行されるなかむらあゆみ編『巣 徳島SFアンソロジー』(あゆみ書房/Kaguya Books)の収録作品です。『巣 徳島SFアンソロジー』は徳島在住の女性作家7名と、徳島にゆかりのある芥川賞作家、小山田浩子さんと吉村萬壱さんによるアンソロジー。「ぼくはラジオリポーター」が面白かった方はぜひこちらもお読みください。
『巣 徳島SFアンソロジー』

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なかむらあゆみ

徳島県在住。2020年に短編小説『檻』が第3回阿波しらさぎ文学賞にて徳島新聞賞を受賞。翌年の2021年に『空気』が第4回阿波しらさぎ文学賞にて大賞を受賞。「赤いパプリカ」が、オンライン雑誌Déraciné Magazineに掲載されたことを皮切りに、第二回ブンゲイファイトクラブの本戦出場作品「ミッション」がThe Ekphrastic Reviewに、「檻」がOddville Pressに掲載された。翻訳はいずれもToshiya Kamei。2022年には、阿波しらさぎ文学賞の賞金を使って、徳島の女性の書き手による文芸誌『巣』(あゆみ書房)を刊行。

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