先行公開日:2022.2.26 一般公開日:2022.4.2
宇露倫「チャールズと約束のメカニック」
8,618字
灰の曇天に、カンッ、カンッ、と小気味よい鎚の音が広がっていった。
「その調子。パーツの状態をよくみて、慌てずにしっかり」
「ういーっす、師匠」
弟子の間延びした返答を聴覚センサで聞き取り、ヒューマノイドの少女・アリスは、小麦色をした肉づきのよい腕を組んで、人工皮膚の頬をほころばせた。
蒼のカメラアイを向けた先では、チェック柄シャツの少年が、アリス愛用の柄の黄色い〈超修復鎚〉を修理パーツへと、テンポよく振り下ろしている。貴重なナノリペアラー付きハンマーの特性に手こずっていた弟子も、今やすっかりそのリズムとタイミングを物にして、あどけなさが残る顔立ちに真剣味を貼りつけてメカニックの仕事に励んでいる。
そうしてアリスは自身のカメラアイで、垂れ込めた厚い空を仰いだ。
ひと雨きそうだった。
古びたインディゴのオーバーオールの下、高機動躯体に培った豊富な経験が告げている。
――雨は、嫌い。
水の雫がオーガスキンの切れ目から染みこんで、裏を流れる人工血管にスパークする感覚を思い出すたび、封じたはずの苦い記憶が思考に浮き上がってくる。
ヒューマノイドには、”忘れる”ことができない。
無いはずの心を締め付ける記憶から解き放たれるには、それこそシャットダウンするくらいしか――人間でいうところの『死』しか、ない。それさえも、創造主である人間の許しが得られれば、だが。
「――いけない、いけない」
癖になった眉をひそめる動作でネガティブエモーションを抑え、アリスは黙々と修理作業をこなす弟子の向こう、廃材で組み上げた自身の『店』へカメラアイの焦点を絞った。今にも崩れ落ちそうでその実、アリスが緻密に強度計算したタフな建物である。
その低い屋根の軒先には『A&K Scrap Mechanic』と銘打った、手作り感あふれる看板が湿った風に揺れていた。
アリスが己の”シャットダウン”に思考を巡らせていたのは、もう昔の話だ。
今のアリスには、ボロくも客足の絶えない自分の店と、足しげく通ってくる弟子がいる。そう考えるだけで、アリスの胸郭中央に埋まるジェネレーターが一段と、熱く振動した。
胸の振動を再確認し、アリスは”やることリスト”へ思考を差し戻す。それから弟子の少年・チャールズへ、
「キリのいいとこで止めて、店内へ移しといてね。お客さんのパーツ、濡らしたらたいへん」と、指示を伝える。
「へいへーい。パーツは命、だからな」
大量生産のこの現代、”修理工”の肩身は狭い。ましてや、ヒューマノイド修理を専門にするメカニックなど、もはや皆無に等しい。
それでもヒューマノイドたちにしてみれば、慣れ親しんだパーツに愛着は湧くし、すぐに交換部品が手に入るとも限らない。一カ所が故障しただけで躯体ごと買い換えられ、古いボディは廃棄場へ積み上げられる、ということもざらにある。
だからヒューマノイドたちは、少ない小遣いや物々交換を駆使してでも、メカニックに修理してもらいたがるのだった。
「アンタも物好きよね、少年。今どき、メカニックになりたいなんて。しかも、ヒューマノイド専門とかさ。さんざん見たと思うけど、ツバを吐かれることはあっても、感謝されることなんて滅多にないよ?」
「人間相手には、だろ? オレはヒューマノイド専門でやってくんだし、関係ないない」
「あのねえ……」
呆れて吐息をつくアリスに、弟子は、にぃーっと親指を立ててみせ、一日に一度は口にする抱負を堂々と宣言した。
「言ったろ? オレは、師匠みたいなメカニックになる! お客をみーんな笑顔にしちまう、師匠みたいなヒューマノイドメカニックにな!」
「……コホンッ。はいはい。そ、それじゃ、ちゃちゃっと片づけちゃいましょ」
「りょーかい」
緩みそうになった口角を咳払いで誤魔化し、アリスは弟子の作業に手を貸す。ふいに視線を感じると、
「……あのさ、師匠」
「なに?」
「オレ、ここ住んでもいい?」
「ふぇっ?」
完全なる不意打ちだった。弟子からの唐突すぎる申し出に、さしものアリスも思考が空白を得て発語に詰まる。
「ええぇえ⁈ ななな、なにを急にいいだすわけっ⁉」
「だって、ここんとこ物騒じゃんか。おとといも襲われたって、聞いたし」
オレがいれば少しは役立つだろ、と顔を上げたチャールズの表情がブスッと、膨れている。
それが照れ隠しと、心配をあらわす彼の感情表現だと思い出し、思考を落ち着かせたアリスは辛うじて「アームブレイカーのこと?」と訊き返す。
「そうだよ。あいつ、許せねぇクズだよ! 腕をもぎ取ってくとか、どんな悪趣味なんだ」
吐き捨てるようにそう言い、作業の片づけを少し手荒にチャールズが進めていく。
この頃、街を騒がせている、連続ヒューマノイド襲撃事件。
襲ったヒューマノイドの『腕』パーツを搔っ攫っていく共通性から、通称〈腕壊し魔〉と呼ばれている、正体不明の器物損壊犯。カスタムメイドの『腕』ばかり狙うそうだから、犯人がヒューマノイドである可能性は低い。
捜査が続けられているとニュースでも聞くが、ありふれた『物品』に過ぎないヒューマノイドの、それも修理が利く『腕』の強奪事件に費やされる人的リソースは怪しい。
チャールズは動機を傾倒的執着と考えているようだが、それだけではないだろうとアリスは予測していた。人間とヒューマノイドのあいだを貫く溝は、心優しい少年が思うよりずっと深い。自分たちの創造したモノを、人間は勝手に恐れているのだ。
「……決めつけないでほしいわね」
「え? なにが?」
「偏った見方じゃ、いけないってこと」
それに正直、アリスはこれっぽっちも自身の心配はしていない。〈アームブレイカー〉の素性が何であれ、『戦闘慣れ』している自分が後れを取るということはあり得ない。
同じヒューマノイドなら、それこそアリスの豊富な『戦闘経験』に加わる、奇怪な一機としてメモリされるだけ。犯人が人間だった場合は、ほぼ打つ手なしだが、成すべきことはしかと決めてある。
だから問題はどう考えても、”同居”などと言いだした弟子のほうにあるのだ。
「あ、あのね――」
考えさせてほしい、そうアリスは口を開きかけ、はたと止まった。
鋭敏な聴覚センサが、悪意にまみれた言葉の石つぶてを聞き取る。
「――よぉ、人間もどき。かわいい顔つけてんじゃん」
「――ニセモノのくせに、顔なんかつけやがってな!」
まとわりつくような粘っこい嘲りに混じって、「ご、ご堪忍を、ニンゲン様……っ」と消え入りそうな声が許しを乞うている。その声の波長はアリスの見知った客のものだ。そこから瞬時に方角と距離を弾き出したアリスの思考は、すでに臨戦態勢にあった。
「チャールズ、アタシちょっと出てくるから、店で待ってて」
「……どした師匠?」
「店の中にいて!」
再度、強く言い置き、アリスの脚力が爆発する。
フェンスで囲われたスクラップ置き場を出て、二回ほど曲がったところで目的の集団を視界に捉える。
人けの少ない路地に、流行り廃れて久しいサイバーパンクファッションに身を包んだ三つの人影が背を丸めていた。全員が色違いのモヒカン頭をしている。
「人間もどきよぉ、急いでどこ行くんだ? おれらと遊んでけよ――」
ケバケバしいネオンカラーの中央に、膝を突いた振袖姿を認め、アリスは再度の跳躍を実行する。
「――失礼」
「なんだっ⁉」
一陣の風が路地を吹き抜け、次の瞬間、ネオンカラー集団の包囲から振袖ヒューマノイドの姿が消え失せていた。
「あ、アリスはんっ⁈」
「いらっしゃい、ロリーナ。迎えに来たよ」
姫様抱っこしたロリーナをそっと下ろし、アスファルトへ足ブレーキの焦げ跡を刻んだアリスは常連客へ微笑みかける。そうして翠のカメラアイを見開いたロリーナの、だらりと垂らした左腕へ視線を移し、
「腕、もしかして……?」
「……ええ。けど、わっちは運がええほうや。オーナー様がちょうど帰ってきはって、そしたらあの白装束、逃げていきおったよ」
「そう」
白装束は、〈アームブレイカー〉のトレードマークだ。自分の店を訪れる被害ヒューマノイドの大半が、奇妙な純白フードを目撃したと、アリスは聞いている。
「オーナー様、アリスはんに『よろしく』言うとったよ。街いちばんのメカニックがいてくれてよかったって」
ロリーナには所有者がいる。今どき珍しいような、修理に出してくれるほど大事にしてくれる所有者だ。
その所有物であるロリーナを、所有者の目の前で襲うほど〈アームブレイカー〉も愚かではなかったらしい。
「お礼はこっちのほうよ。アタシは役に立てれば、それだけでいい」
「――おいっ!」
と、後方から苛立った声が近づいてきて、
「人間様の前で、勝手にぺちゃくちゃしてんじゃねぇよ。てめぇも人間もどきじゃねぇか。いいのか? 〈コード〉、使っちゃうぜ? ま、土下座して謝るってぇんなら、考えてやってもいいけどな」
「……行くよ、ロリーナ」
「け、けど、ニンゲン様を無視しちゃ……」
無視して手を引くアリスに、ロリーナが不安げな声を漏らす。
ヒューマノイドは所有権にかかわらず、人間に逆らってはならない。
そのルールの最たるものが、モヒカン頭が口にした〈コード〉――強制停止システムだ。
元は故障したヒューマノイドを止めるための安全装置だったが、技術革新が続いた今では、他にも何重ものプロテクトが掛けられて事実上、無用になった。――ものの。
「おれらがその気になりゃ、てめぇら人間もどきなんざ、イチコロなんだぜ」
振り返らずともわかるニタニタ顔が、無遠慮にアリスのうなじを手で撫でつけてくる。ざらついた感触に、強烈な嫌悪感で格闘プロトコルを起動しそうになった。
〈コード〉システムは、今でもすべての躯体に組み込まれている。アリスもロリーナも、例外ではない。
そうしてこちらが危害を加えるか、少しでも『人間様』の機嫌を損ねれば、彼らは躊躇わずに〈コード〉の発動を申請する。『恐れ』のあまり人間が掛けた、保険だ。
そうやってヒューマノイドの生殺与奪を握って優越感に浸る。要請はほとんど自動的に認可され、痛い目にあうのはこちらのほうと相場が決まっていた。
――だったらいっそこのまま、気色わるいこの腕を捻り上げてやるのもいいかもしれない。そうやって何もかも終わらせてしまえば……。
そうアリスが考えたときだった。
「――師匠から離れろっ‼」
持ち上げかけた腕を、すんでのところで引き留める。それができたのは、聴覚が聞き慣れた少年の雄たけびを捉えたからだった。路地をこちらへと、チャールズがまっすぐ突っ込んできていた。
「……あのバカっ!」
「あんっ? なんだぁ、あのボウズ?」
ケンカもしたことのない痩身の少年が、仮にも成人三人相手にタメを張れるとは思えない。何かあればアリスの肩を持つ彼のことだから、こういう事態を予測してついてこないよう、言い含めておいたのに。
「世話が焼けるんだから!」
湧き上がるポジティブエモーションを無視し、アリスは、臨機応変に状況の把握に注意を振り分ける。
背後にはモヒカン頭が、三。
カメラアイが読み取ったその抜けている立ち姿からして、拳での語り合いに慣れているふうではない。二秒もあれば、じゅうぶんだろう。
左隣では、チャールズへの小言をもらしたアリスに、ロリーナが小さな苦笑を浮かべている。常連の彼女は、初対面こそ弟子とのフランクなやり取りに艶やかなカメラアイを白黒させていたが、今ではすっかり見慣れたらしい。
「――アリス‼」
繊細な機微さえ模倣する、ロリーナの雪のように白い頬が束の間、彫刻のように硬さを伴った。その表情があらわすものは、恐怖だ。
――瞬刻、積み重ねたアリスの経験が、鋭い警告を発した。
「――伏せてっ‼」
声に乗せるより早く、アリスは再度、下肢へエネルギーを注ぎ込む。
爆発的に増大した跳躍をもってチャールズを追い越し、状況を全く呑みこめていない呆けた少年を胸に掻き抱いた。
――直後、横へ飛んだアリスの右肩に、凶悪な『爪』が食いこんだ。
「きゃ……っ⁉」
背後でロリーナの悲鳴が上がり、遅れてモヒカン頭たちのざわめきが伝わってくる。右肩の損傷を報せるアラートが思考を焼き、ドロリとした青い液体が肘を伝ってアスファルトへ染みを作った。とっさに損傷箇所へ手をやり、ヌメヌメとした感触に混じった鎖の手触りを握りしめる。
――離してはならない。
それはアリスの経験が成せた、素早い判断だった。
直後、体ごと強く引かれ、片腕がごっそり持っていかれそうになる。とっさに鎖をつかんでいて正解だった。奥歯を嚙みしめて、アリスは引く力に抗う。
「師匠⁈ 冷却液が……!」
押し倒したチャールズの熱い吐息と鼓動を胸に感じながら、アリスは「動かないで」と弟子の言葉の続きを口にさせない。
屈んだ姿勢のまま、カメラアイを前方の一点、降りだした雨脚に染みを作られていく白いフードへと、まっすぐ向ける。高揚した人間の拍動が耳朶を打った。
「……アームブレイカー。やっぱり、人間だったってわけね」
「――うひゃひゃっ。こんどこそゲットぉ」
部品の千切れるおぞましい音がし、宙を飛んだ鈍色の鎖がアームブレイカーの手元へ引き戻されていった。猛禽類の足を想起させる三本爪から、破れた着物に白磁の片腕が垂れ下がる。そのロリーナの腕へ、蛇に似た赤紫の舌が這いずり、恍惚とした吐息が漏れ伝わってくる。
そうしてフードに隠れた顔をキッと、アリスへ向けて、
「あれあれ~? そっちは外れない~? ボクの〈タロン〉を摑むなーんて、キミ、いいボディ積んでんじゃん。この街にゃ、面白いお人形がたくさんだ!」
アームブレイカーの戯言は、だがアリスの聴覚に届いていない。
腰を抜かし、われ先に退散していくモヒカン頭たちの情けない声も、自分の名前を呼ぶロリーナの声も、状況打開に目まぐるしく回転するアリスの思考に入り込む余地は、ない。
今、アリスの『護衛対象』はチャールズだ。何を差し置いても、彼を安全にこの場から逃がさなければならない。
アームブレイカーは人間には無関心だ。直接チャールズへ害を及ぼす可能性は、低い。
それならば、襲撃者の願いを叶えてやるのが、最善策だ。腕を差し出し、襲撃者に退去してもらう。蓄積した経験値はリセットされるが、腕は修理できる。
「そーだ! キミも、ボクのコレクションに加えたげるよ!」
ジャラジャラと、ロリーナを切り裂いたもう一本の鎖を振り回し、アームブレイカーが嬉々とした声を上げている。舌なめずりが聞こえ、フード越しに獲物を狙う湿った視線がアリスを捕らえて離さなかった。
そのとき、アリスの視界の端をチェック柄が掠めていった。
「――ふざけるなぁあっ‼」
「チャールズ‼」
刹那、記憶が、アリスの思考を染めた。
それは、守り抜くことができなかった、雨と赤い血の記憶。
その結果、大切な命が失われて、それなのにアリスは生かされた。
――もう二度と、過ちを繰り返すつもりはなかった。
「させないッ!」
アリスの前に立ちはだかった弟子を、突き刺さんと迫る凶器。
その投擲とチャールズの間へ、アリスは躯体を滑りこませた。
「師匠‼」
胸郭にカギ爪が食いこみ、致命的なエラーがアリスの思考を埋め尽くす。それらすべてを隅へ押しやり、アリスは全力でつかんだ二本鎖を一気に引き寄せた。
「およよ⁈」
バランスを崩し、つんのめったアームブレイカーをたぐり寄せ、自分の躯体ごとぐるぐる巻きにする。そうして”ハグ”するように白装束を拘束すると、アリスは弟子に向かって叫んだ。
「ロリーナをつれてにげてっ!」
「でも師匠――」
「――約束して!」
その一言に、駆け寄ろうとしていた少年の足が止まる。普段は太陽のような笑顔が、今は年相応に怯えてアリスの言葉へ汚れた頬を強張らせていた。
「キミの二の腕、なかなかに――」
「――だまって!」
場違いな嬌声を喚き立てるアームブレイカーへ睨みを利かせ、アリスは残されたパワーを両脚へ注ぎこんだ。
「チャールズ! 最高のヒューマノイドメカニックになってみせて! アタシの弟子なら、それぐらいやってみせなさいっ!」
師匠として最後のアドバイスを弟子へ残し、アリスはまぶたを閉じて走り出した。目的地のない、ただ遠くへと襲撃者を運び去るための短い行脚。遠雷に誘われるまま、ただ駆けた。
ともに思考を駆け抜けるのは、チャールズと過ごしたかけがえのない日々の思い出たちだ。
――雨の日も、悪くない。
「こ、〈コード〉発動! と、止まれっ! シャットダウンしろ‼」
「遅いわ。よかったじゃない、アタシの腕のなかで眠れてねっ!」
微笑んだアリスの頬に、〈コード〉発動の赤黒い亀裂が刻まれていく。
躯体が蒼い光を帯び、放電を開始。
雨雲を紫電が駆け、天と地を一直線に貫いた。
† † †
「――はぁっ……もうすぐ……着くから……諦めないでっ」
雪深い山村の新雪に足を取られながら、白い吐息をこぼして一人の女が腰を屈めて進んでいた。
目深に被ったニット帽から、寒気にさらされて赤らんだ若い顔を覗かせ、今にも倒れそうな足取りだ。が、ここまで絶えず励ましの言葉を掛け続けてきた口調は、どこまでも優しい。
彼女の背には小柄な人影が背負われ、フルフェイスのマスク越しに苦しげな幼い子どもの表情が、月夜に溶け込む。子どもの顔には血管に似た亀裂が走り、普段、蒼い光が迸るはずの管は赤黒く沈んでいた。
ここまでの道のりは長く、険しかった。
それでも『弟』を直してやれるのはここしかないと、若い女は、膨大な危険と追跡を躱してここまでたどり着いた。
目指すは山村の奥、大枚と引き換えに情報屋が示した、あるメカニックの居場所だ。
ヒューマノイドを専門とするそのメカニックは、地球随一と名高かった。――が、その評判は常に『叛逆者』の烙印が付きまとい、同族であるはずの人間たちからは『裏切り者』と揶揄される。
そんなものはだが、ひっそり佇む山小屋へ重い脚を運んでいる女には、どうでもいいことだった。
この十数年で人間の機械化――サイボーグ技術が進み、純粋なヒューマノイドは忌み嫌われ、彼らへの偏見は激しさを増していた。地球ではヒューマノイドの製造そのものが禁忌とされ、生き残った一部は言われ無き迫害にさらされ続けている。
だから彼女ははるばる、ここ――監視衛星にも捉えられない僻地の一角まで脚を運んだ。
女にとって、背負ったヒューマノイドは自身の弟も同然だ。その躯体に流れる血が赤くなくとも、女にはたった一人の家族だった。
「死なせない、から」
そうして温かな橙が漏れる山小屋の戸の前に立ち、若い女は最後の望みをノックに賭ける。
「――だれだ?」
「あの、ヒューマノイドメカニックのチャールズ先生、ですよね? あたし、キャロルっていいますっ! 弟のルイスが〈コード〉を――」
言い終えるまで待たず、勢いよくドアが開かれて一人の青年が戸口から顔を覗かせた。
チェック柄のシャツに、デニムのエプロンが映える柔和な面持ちだが、漆黒の闇のような黒い瞳には、計り知れない叡智と底知れない深い哀しみ、そして怒りが宿っていた。
気圧された女の背を素早く覗き、青年は「入って」と意外にもすんなり招き入れる。
「『学校に行ってみたい』っていうから連れてったら、〈コード〉を発動させられて……。この子はただ教室を見ていただけなのにっ! あたしのせいだ。あたしが学校になんか連れて行くから……」
「なあ、落ち着けって。あんたが慌てたら、弟も不安がるだろ。……ロリーナさん!」
頼みの綱のメカニックのぶっきらぼうな反応を受け、遠路をやってきた患者の姉は目をしばたたかせて戸惑ってしまった。
「はいな」
すぐに柔らかな声と、萌葱色の着物姿が部屋の奥から続いた。白磁の肌に蒼い亀裂を走らせたヒューマノイドが、申し訳なさそうに整った眉尻を下げる。
「キャロルはん、心配せんでもええからな。チャールズはんのこれは、いつものことどす」
「そ、そうなんですか。あの、ルイスは?」
「一度起動した〈コード〉を止めるのは危険だ。自己防衛ネットワークが暴走しかねない。コアシステムから取り除くしかないな」
「で、でも〈コード〉を取ったら、ルイスはこれから――」
「――それがどした」
黒い瞳が、まっすぐキャロルの目を射貫いていた。
浮遊ストレッチャーに載せられた弟の表情がますます苦悶にあえぎ、人工血管からは膿のような赤黒い液が浸みだしている。
「あんた、どっちを取るんだ? 弟が追われるのと、弟の命」
ルイスの唇が動き、「姉ちゃん……」と言葉がこぼれた。今度はキャロルのほうからまっすぐ、メカニックの目を見返した。
「弟を助けてやってください!」
「わかった」
うなずき、メカニックの青年は、着物姿の助手へ素早い指示を飛ばしていく。
「先生……弟は、ルイスは助かるんですか?」
その問いに、確かな答えを出せる者は少ない。――が、チャールズは、その数少ないメカニックだった。
「――任せろ。オレが、必ず」
それは驕りではなく、ましてや虚勢でもない。
これまで、チャールズが積み重ねてきた自信が紡いだ言葉だった。
そうして、地球圏随一と謳われるメカニックの両腕が、よどみなく踊りはじめる。
合わせて、この二十年間、片時も手放さなかったエプロンのポケットの中で、黄色い柄のハンマーが揺れていた。
「見ていてくれ、師匠」
そのリズムに力と勇気をもらい、チャールズは胸の奥で固く、言えなかった約束の言葉を繰り返した。
――何度も、繰り返した。
(了)