『シビル・ウォー アメリカ最後の日』公開
A24がスタジオ史上最大の製作費をかけて送り出した映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』が2024年10月4日(金) より日本の劇場で公開された。近未来におけるアメリカ合衆国の内戦を描いた『シビル・ウォー』は、先に公開された米国で2週連続興行収入1位を記録するヒット作になっている。
もしもアメリカが再び内戦に突入したら、という「if」を描いた『シビル・ウォー』だが、今回はその中でも特に観る者に恐怖を与えたあのシーンについて考察してみよう。その背景にある歴史を知れば、より理解を深められるかも知れない。
以下の内容は、映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の内容に関するネタバレを含みます。
Contents
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』怖かったあのシーンを考察
ジェシー・プレモンス演じる怖い軍人
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で筆者が最も怖かったシーンは、銃弾が行き交う戦場のシーンではない。主人公のリー達がはぐれたジェシー達を追いかけて、大量の死体を埋めている謎の軍人と遭遇するシーンだ。
道中で香港の記者であるトニーとボハイの車両が合流、ふざけたトニーがリー達の車に乗り込み、逆にリー達の車からジェシーがボハイの運転する車に乗り込んだ後の場面。死体が掘られた穴へと流し込まれるところでジェシーとボハイは捕虜になってしまっていた。リーとジョエル、そしてトニーは仲間を取り戻すために軍人達に交渉しに出向く。
このシーンで印象的な赤いサングラスをかけた軍人を演じるのはジェシー・プレモンス。NetflixのSFドラマアンソロジー『ブラック・ミラー』(2011-) シーズン4収録の「宇宙船カリスター号」での主演で知られる。この作品でプレモンスはエミー賞主演男優賞にノミネートされ、同作はエミー賞で作品賞を含む4部門を受賞した。ジェシー・プレモンスによる感情が読めない軍人の怪演が、このシーンをより恐ろしいものにしている。
ジョエルは、自分たちは記者で大学の新しいプログラムを取材しに行くと嘘の説明をして二人を釈放してもらおうとする。ちなみにこの一連のシーンでは、軍人は銃のトリガーに指をかけたり外したりすることでこの場の緊張感をコントロールしている。
軍人はアジア系のボハイが同僚かと確認した上で射殺。理由も言わない、表情も変えない、止めようのない、対話しているようでできていない怖さ、恐ろしさがこのシーンに充満している。
どの種類のアメリカ人だ?
ジョエルは自分たちはロイターの記者だと主張するが、兵士は「ロイター」は「アメリカっぽい響きじゃない」と言い出す。実際にロイターはユダヤ系ドイツ人のポール・ジュリアス・ロイターがイギリスで起こした会社ではある。それでも、イギリスから独立し、様々な人種の人々が混ざり合ってきたアメリカの「ぽさ」は定義が不明で、やはり対話が通用しない怖さがこの場を支配している。
ジョエルは「我々はアメリカ人です」と言うが、兵士は「どういう種類のアメリカ人だ?」と聞く。この「お前は、どの種類のアメリカ人だ?」というセリフは日本での『シビル・ウォー』のプロモーションにも使用されている。
中米か、南米か、フロリダか、セントラルか、と聞く兵士はやっとトリガーから右手の人差し指を外したように見える。しかし、すぐにその右手を左手で覆うからトリガーに指をかけているのかどうかが分からない。怖い。
証拠を示せの州
ジェシーはミズーリ州出身だと伝えるが、兵士からは「証拠を示せの州(show me state)」かと言われる。「Show Me State」は現在のミズーリ州の別称で、ミズーリ州の人々は疑り深いとされている。そのオリジンは明らかになっていないが、1899年にはウィラード・ダンカン・ヴァンダイバーというミズーリ州選出の下院議員が、他の議員が自分のスーツを盗んだのではないかとジョークで絡み、「私はミズーリ出身だ、見せてくれて」と発言したことが知られている。
リーはコロラド州の出身だと正直に答えると、兵士は「コロラド、ミズーリ、それがアメリカだ」と発言する。生殺与奪の権を握られた状況では、兵士の反応一つ一つで緊張が走ったり、緊張が緩んだりと忙しい。“銃”が持つ圧倒的な力を感じる演出だ。
この兵士が言う通りアメリカ合衆国は50の州の集まりであり、多様な出自が認められることもまた“アメリカらしさ”である。しかし、この白人兵士がそのように出身州を聞いて心を開くのは白人であるリーとジェシーに対してだけだった(ジョエルは南米系で、演じたヴァグネル・モウラはブラジル出身)。
背後にある“言葉”の歴史
言葉で殺す、「シボレス」
兵士はついにアジア系であるトニーを標的にする。ボハイが殺され、泣いて喋ることができないトニーに兵士は「喋る時は英語ではっきりと」と告げる。トニーだけがこう言われるのはトニーがアジア系だからだろう。ここでいう英語(English)とは、イギリス英語ではなくアメリカ英語のことなのだろうが、アメリカには南米系の英語もあればアジア系の英語、黒人英語も存在する。銃を握る側が「英語」の定義を決める、やっぱりとてつもなく怖い状況である。
広く知られている通り、有事において“言葉”は差別とヘイトクライムに用いられる。関東大震災の際には、「朝鮮人が井戸に毒を入れる、暴動を起こそうとしている」というデマが広がり、日本の軍警と自警団が朝鮮人と日本人を区別するために市民に「十五円五十銭(じゅうごえんごじっせん)」と言わせて回った。朝鮮語を話す人には「十五円五十銭」は発音しづらく、これを正しく発音できなかった者は殺されたという。
こうした背景もあり、日本では1974年から毎年9月1日に関東大震災の混乱の中で殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典が行われている。第1回の追悼式典から東京都知事が追悼文を送ることは恒例となっていたが、2017年から小池百合子都知事が追悼文の送付を拒否。近年は被害を矮小化したり無かったことにしようとする言説が増加している。
一方、“試し言葉”は日本人にも用いられた。第二次世界大戦中には、米軍が「ロラパルーザ(Lollapalooza)」という言葉を使った。「L」と「R」の区別が難しい日本人には発音しづらい言葉であり、「ロラパルーザ」は日本人スパイを見つけるための合言葉だった。この時も、正しく発音できなかった者は問答無用で射殺されたと、ジョージ・W・スティンプソンは著書の中で記している。
こうした相手を試す言葉は英語で「シボレス(Shibboleth)」と呼ばれる。語源はヘブライ語で「洪水」を意味する「シボレテ」だ。聖書では紀元前11世紀頃に、ギレアド人が中央パレスチナに住むエフライム人を区別するために「shibboleth」と言わせたとされている。エフライム人は「Shi(ʃ)」の発音ができないため、「シボレテ」を「セボレテ」と発音した者は皆殺されたという。聖書によると、これにより4万2千人のエフライム人が殺されたとされている。
普通に考えれば内心や信条、所属と、指定された言葉を発音できるかどうかは関係がない。それでも言葉は「敵」と「味方」を区別するために使われてきたのだ。『シビル・ウォー』では「ロイター」を「アメリカっぽくない」と発言する場面も含めて、銃を持つものが相手を支配する装置として言葉が利用されている。
歴史から学んだ「目には目を」
『シビル・ウォー』でトニーが「はっきりと英語で」話すよう求められるシーンでは、軍人はしっかりトリガーに指をかけ、銃口をトニーに向けている。「いつでもお前を殺せる」という意思表示だ。次に発する言葉が自分の生死を分ける。そしてトニーは正直に「香港」と答えて、「中国か」と言われて射殺されてしまうのだった。
現場がパニックになる中、リー達を助けたのはサミーだった。サミーは車で兵士たちに突っこんでリー達を助け出したのだ。年老いた黒人男性のサミーは、銃を持った連中に交渉が通じないことを理解していたのかもしれない。現実のアメリカでは黒人男性が警官に殺されてきた歴史があり、黒人への暴力に抗議するブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が拡大した経緯がある。奴隷制廃止をめぐって勃発した南北戦争では、十数万人以上の自由黒人と解放奴隷の黒人達が兵士として戦った。
人は対話で、言葉で問題解決を図りたいと考えるものだが、『シビル・ウォー』では「ジャーナリズムは戦争を止められなかった」と語られている。そこには、時には武器を手に取るしかないという冷たい現実があり、ジャーナリズムの限界が示されている。
それに、言葉をめぐる上記の歴史や、こちらの記事で解説したアメリカの歴史を踏まえると、『シビル・ウォー』は近未来を描いたSFでありながら、分断と革命の歴史を忠実に辿った作品であるとも言える。『シビル・ウォー』が示した歴史、現在、そして未来を、私たちは超えていくことができるだろうか。
赤サングラス兵士登場シーンの撮影の裏側はこちらから。
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は2024年10月4日(金) よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。
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