あれは真珠というものかしら | VG+ (バゴプラ)

あれは真珠というものかしら

第一回かぐやSFコンテスト大賞受賞作品
勝山海百合さんの「あれは真珠というものかしら」は、SFメディアVG+ (バゴプラ) が開催した第一回かぐやSFコンテストで大賞に輝いた作品です。同コンテストでは、大賞に輝いた「あれは真珠というものかしら」と審査員長賞に選ばれた大竹竜平さんの「祖父に乗り込む」の二作品が、副賞として英語と中国語へ翻訳されています。詳細はこちらから。

 

同級生の碩堰【せきせき】は海馬【うみうま】だけど、名前ほど馬には似ていない。短い前あしが二本、後ろあしはなくて、腰から下は少し細くなり、先は尾になっている。体は大きいけれど、泳ぐのは得意だ。

学校の先生は、何人たりとも学校に来るのはみな同じ生徒だと言うし、わたしも海馬と一緒に勉強することに不満はない。学友として碩堰はとてもいいやつだ。まず、勉強ができる。授業もおとなしく聞いて、先生の出す問題や質問にもちゃんと答える。発声装置から出る声は体格が良いせいか朗々としたバリトン。緊張すると自分の親指の爪を触って黙るわたしとは大違いだ。

「碩堰くらい勉強が出来たら学校も楽しいだろうな」

何日か通って学校に慣れたころ、休み時間に碩堰に言うと、碩堰は冷凍のむき身の貝が入った袋を開けて、わたしにも「一つ食べますか?」と尋ねた。わたしがてのひらをむけて「ありがとう、けっこうです」と断ると、それから半解凍の貝をむしゃむしゃと食べた。わたしのおやつは碩堰の健康に良くないので食べられないと碩堰は先に断っていた。たぶんそれは嘘で、遠慮しているのだと思う。わたしが生の貝を食べないのは……なんとなく。
「でも、先生は君のような生徒が好きだと思うな」
「どうして?」
「なんとなく」
「もしかして、『馬鹿な子ほどかわいい』ってこと?」
「言ってないし、君は馬鹿ではないよ」

碩堰は貝を食べ終わると、気嚢から空気を抜くラッパのような音を出した。

学校が始まったのは一か月前だ。わたしが自分用の液晶タブレットで、木製のリコーダーがバッハを奏でるのを聴いていると、グランマが、「明後日から学校が始まるよ。楽しみだね」と言い、白いブラウスと紺色の吊りスカートを出してきて、これを着て行きなさいと言った。

学校は町のはずれにあった。崖の下、海の近くの四角いコンクリートの箱で、床は水色に塗ってあって、屋根は白い大きな布が日除けと雨除けを兼ねて張られている。学校に入るのに縁のところからステンレスの梯子で下りた。下りると白い襟の黒いワンピースを着た女性が二人、待ち構えていた。二人の髪は白髪が半分以上混ざった灰色で、よく似た顔をしていた。緑子先生と桃子先生。胸に名札をつけている。名前を聞かれたので答えると、緑子先生は何かの書類に印をつけ、桃子先生はわたしに席に着くよう促した。

碩堰は海から来た。学校に入る前に体を震わせて水を切った。その音が大きくて振り返ると、壁の上から床に斜めに渡した鉄板を滑り降りてきた。びっくりしているとペタペタと音を立てて近付いてきた。潮の香りが強まる。

「ここがプールだった時を知ってるけど、入るのは初めてだ。今は学校なんだね」

わたしは驚いて体を硬くし、赤べこみたいにただ頭を振った。赤べこは張り子の牛のおもちゃで、頭だけがゆらゆら動く。

「碩堰さん、席について。九年母【くねんぼ】さん、前を向いて」

碩堰はわたしの隣の机の前に座った。椅子はない。

「……君、九年母っていうんだ。香りの好いみかんのことだね。素敵な名前だ」

碩堰は声を潜めたつもりらしいけど、声はよく通る。

「ありがとう」

わたしは照れてうつむいた。桃子先生が教卓の前に立って、「新入生のみなさん」と呼びかけた。

「入学おめでとうございます」

学校は週に三日、午前中だけだったけれど、すぐに通学は習慣になった。これまでは家庭学習だったし、最初は大きな碩堰が怖かったものの慣れると仲良くなった。休み時間に色んな話をした。

学校が始まって一月ほど経った雨の日、知らない男の子が教室の壁の上端から声をかけた。

「ここ、学校だって聞いてきたんだけど、おれ……僕も入れますか」

わたしと碩堰は驚いて振り返った。授業中だった緑子先生が、「下りてきて」と言い、男の子はステンレスの梯子を使って下りてきた。チョコレート色の肌で、色褪せた赤いTシャツ、膝丈のズボン、顔の上半分を覆うサングラス。そばを通るとき一瞬目が合った気がした。緑子先生は、「自習していてください」と言ってパーテーションの向こうに行き、桃子先生と三人で話し合いを始めた。

そうして修理亮【すりのすけ】も教室の仲間になった。緑子先生が修理亮を私たちに紹介し、私たちを修理亮に紹介した。「九年母さんと碩堰さん」

「おれは権藤修理亮。昼間の光は眩しすぎるのでこんなんだけど、慣れてください」

「海馬にも慣れてください」

碩堰が言うと修理亮は困ったように笑った。

修理亮は今までは碩堰がいたわたしの隣で勉強することになった。碩堰は修理亮の後ろになった。席に着いた修理亮は、振り返って碩堰に言った。

「おれ、海であんたのこと見たことあるよ。父ちゃんに、大事な仕事をしているから進路妨害や傷つけたりするなって言われた」

「ご協力に感謝します、市民」

なにそれえらそうとわたしが言うと、「定型文なんだ」と碩堰は何でもないように言った。たぶんこれも定型文だ。知性化海馬の発声装置にあらかじめ登録されている言葉の一つに違いない。

「君も陸の学校で勉強するんだ?」

修理亮が尋ねた。

「驚くことじゃない。学ぶことは多い。九年母も君も、そうだろう?」

「おれは……父ちゃんが、行けっていうから。でも、名前がわかってよかった。今度海で見かけたら、あれは碩堰だって思えるから」

「おしゃべりは気が済みましたか、修理亮さん。では、授業の続きです」

緑子先生が授業を再開した。教科書は『伊勢物語』の「芥川」で、緑子先生が読み上げるのを聞きながら変体仮名ではなく翻刻してあるものを各自のタブレットで読む。

あらすじはこうだ。平安時代の貴公子在原業平は、高貴な高子【たかいこ】との恋を彼女の兄たちに反対されて二人で遠くに逃げるが、高子は草の葉に宿る露を見て、あれは真珠というものかしらと無邪気に尋ねるほど世の中のことを知らない。二人は古い建物で一夜を過ごすことになり、業平は戸口で番をするが、高子は夜のうちに鬼に一口で食べられてしまい朝には消えていた。

白玉かなにぞとひとの問ひしとき露とこたへて消なましものを

鬼に! なんて恐ろしい。千なん百年も昔の日本には危険な野生動物がいたのだ。狼や川獺のように滅んだのだろう。
「鬼と書いてありますが、実際には高子の兄たちが追って来て、裏口から入って妹を連れ戻したのです」

緑子先生が言うと、
「鬼に食われた女の子がいなくてよかった」

と修理亮が言い、わたしも同じ考えだったのでうんうんと頷いた。鬼に食べられるよりも、兄たちにさらわれるほうが怖くない。
「鬼に食われたと思わないと、諦めがつかなかったんだよ」

と碩堰。経験を積んだ者の発言だと思った。修理亮は感心したように碩堰を見た。

休み時間、冷凍むき貝を食べ終わった碩堰が「これを君にあげよう」と小さな粒をわたしのつくえの上にかちりと置いた。
「これは真珠というものかしら?」

高子になったつもりで言ってよく見たら、それは本当に真珠だった。大豆くらいの大きさの、歪んだ。わたしは驚いて、なんとか「ありがと、宝物にする」と言うと、スカートのポケットにしまった。

この日が碩堰に会った最後になった。修理亮にも。わたしが学校に行かなくなったから。

わたしの仕事は秘密が多くて、移動は友達にも教えてはいけないのだ。碩堰はわかってくれると思う。

知性化動物は人間が従事するには危険な作業をさせるために作り出された。わたしは人間に育てられたチンパンジーで、自意識は人間の女の子だ。必要に迫られればものすごい筋力を発揮できるがまだ実行したことはない。

動物知性化計画が動物の権利を侵害しているのと、人工知能が天然脳を超える働きをするところまで発達したのとで、今ある全知性化動物の引退、死亡とともに計画終了となる。
以前、ある人に、
「わけがわからないまま宇宙に打ち上げられた犬のライカより可哀そう」

と言われたことがある。知性と知識は感情の幅を広げるので、ソ連の子犬より自身の不幸を強く感じると思われたらしい。聞こえないふりをしたけれど、自分の仕事の意義を理解しないで遠くに飛び立つほうが怖い。

グランマは、碩堰にもらった真珠を樹脂で固めて雫型のペンダントにしてくれた。

火星行きの船に持ち込める私物は少ないけれど、ナイロンの紐と樹脂で総重量五グラム未満なので身に着けて搭乗できる。

火星での仕事を終えて地球に戻ってくるとしたら、きっと太平洋に着水する。碩堰に見つけてもらえたらすごく嬉しいし、わたしを回収する船に修理亮が乗っていたら、それってちょっとした同級会じゃない?

 

 

 

 

第一回かぐやSFコンテスト 審査員長賞受賞作品
大竹竜平「祖父に乗り込む

勝山海百合

岩手県出身。小説家。短篇集『竜岩石とただならぬ娘』(MF文庫ダ・ヴィンチ)で単著デビュー。「さざなみの国」で第二十三回日本ファンタジーノベル大賞受賞。近著『厨師、怪しい鍋と旅をする』(東京創元社)
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