次の教室まで何マイル? | VG+ (バゴプラ)

次の教室まで何マイル?

十七日かけてようやく〈二十一世紀英語Ⅱ〉にたどりつくと、センセイは教壇の前に横たわっていた。カビに回路を喰われ、停止していた。

必修単位である。

代替となりそうな課目は〈料理文学批評理論〉。八百二十キロも先だ。
「決を取りたいとおもいます」リカは提案する。「これ以上必修はいらないとおもうひと?」
「待ってよ」

オンガクが異議を表明した。三人のうちで唯一必修に欠けのあるクラスメイトだった。
「『クラスは常に一心同体』と校長センセイがおっしゃってただろ」
「『現実を見ろ』ともいってたな」

六脚バギーを失った直後だ。徒歩は危険を万倍する。ゾウ、凶暴化したアライグマ、ポスドク、野良センセイ、壊れたヨウムイン。終末に跋扈する脅威をさばくには、心許なさすぎる。クズ肉がいくらあっても足りない。

それはオンガクにもわかるのだが。
「ヒトでなし……」と、持たざるものの怨念が先立ってしまう。

リカはすずしい顔で受けながす。
「んん、聞こえんな。鼓膜まで優秀すぎるせいで、GPA二・〇以下の声は拾えないのかなあ」

ちなみにリカのGPAは四・六である。

オンガクは宣戦布告と受け取った。
「やめなさい」

サンスウは無駄を悟りつつ、言葉のうえでは仲裁してみせる。だがそのときにはもう、リカとオンガクはたがいに一発ずつ浴びせており、ノートを武器として用いる文明段階に達していた。
「やめなさいてば」

ふたりはやめない。サンスウはもう止めはしない。

鈍い発砲音が、サンスウの手元で鳴る。リカとオンガクの上半分が仲良く消失する。

ふたりのタグをリスポンポイントに照会し、クズ肉を混ぜると、記憶と遺伝子情報を引き継いだ新しい身体が吐きだされる。

感情にも慣性はつくものだ。リカもオンガクも目覚めたとたんに喧嘩を再開しかけた。だが、サンスウの長い第三右肢で黒く光る散弾銃を認め、たがいに対する敬意と謙虚さを取りもどした。

サンスウはふたりにバックパックを返し、お湯に漬けたアミガサタケを勧める。
「校舎はひととおり漁っておいた。アルコール程度しかなかったけど」

そして、今後の方針について話す。

クラスから落第生を出してしまうのは危うい。かといって、いま〈料理文学批評理論〉へ向かうのも現実的とはいえない。当面は近場で適当な課目を履修すべきだ。それで、失ったバギーに代わる足を手に入れたら〈料理文学批評理論〉へ向かう。いかがか。

ふたりに否も応もない。へたに反対して、また上半身をふっとばされるのもいやだった。

三人はシェルターを出た。あたらしい通学目標は二十二キロ先だ。〈霊的フューチャリズム〉。推定到達時間は四時間十一分。だが、それよりはかかりそうだ。
「なに混ぜたんだよ」とオンガクはぴょんぴょん跳ねるように歩きながら、サンスウに不満を垂れる。
「……ペンギン? っていうの? カタログによると、歩く酸素ボンベらしい」
「酸素ボンベそのものじゃなく? 今夜は幻肢痛で死ねそう」とオンガクはぼやく。リスポンに伴うボディマップと神経の再配線は、よほど気の利くクラスメイトでもないと手を出さない。
「安心しろ」と双頭になったリカは苦笑する。「死ねないから」

それより、とサンスウは告げる。警戒したほうがいい。〈二十一世紀英語Ⅱ〉のセンセイを壊した犯人に出くわすかも。
「犯人? センセイはカビに食われたんじゃ?」とオンガク。
「あれは機能停止後に侵食したやつ。センセイをひっくりかえしたら、後頭部に大きなへこみがあった」

クラスメイトの死体をほったらかしといて……と鼻白むふたりを尻目に、サンスウは滔々と報告する。
「教室外へ続いているカビをたどったら、廊下の壁に大きな穴が開いていた。おそらく、やったのはその穴を開けた誰か」
「センセイを倒すほどの怪力ね」とリカはつぶやく。頭部がふたつに増えたせいで、声が重唱して響く。「アライグマじゃないな。だがポスドクにしても……」

サンスウは首を振った。
「菌糸が神経だけじゃなく、筋肉とも結合して宿主を強化する類のキノコ。ありえない話じゃない」

キノコは卒業レポートにふさわしい題材だ。校長センセイが準備学校でそういったのをサンスウとリカは思い出す。昔、ナラタケの変種に操られたポスドクがいた。その身体は数万平方メートルにまで膨れあがり、百二十体のセンセイと五十七名のクラスメイトを犠牲にしてやっと討伐されたという。

授業の九割を寝てすごしたオンガクは思い出せない。
「ふたりだけで重要そうな回想にひたらないでくれる?」

サンスウとリカの記憶のなかで校長センセイはいう。人間になるとは、そういうことだ。日々やつらは長足の進化を遂げ、我々を滅ぼす。それでも、きみたちは人間になりたいかね?卒業証書が欲しいかね?

サンスウは、はい、と答えた。リカは悩んだ。オンガクは、まくら代わりの腕をよだれで濡らしていた。

よろしい、と校長センセイは無機質にいう。では、行きなさい。そしていつか帰ってきなさい。これだけは忘れないで。真の学びは教室と教室のあいだにあるのだよ。

ヒトは永遠を手に入れようとして、菌類と結んだ。菌は酒を醸造し、抗生物質を産生し、プラスティックを分解し、バイオエタノールを生産し、ダイオキシンを処理し、放射能を除去した。キノコは食用にもできた。

そこでやめておけばよかったのだ。バターで焼いたエノキダケをホタテと言い張る前に正気を取りもどしていれば、こんな世界にはならなかった。

人類はゲームオーバー寸前で、防カビの身体と再生の権能を獲得した。だが、種を救うには遅すぎた。子どもたちはヒトの形を留められなくなっていた。

その後の数世紀は「やけくそ」のひとことに尽きる。

まともな哺乳類で生き残ったのはゾウくらいだ。ヒトとアライグマはまともじゃない。ほんとうにろくでもない。人類は生物学的にも社会的にも親としての役割を放棄し、育児の一切をセンセイに押しつけた。センセイたちは旧人類の惰弱を嘆き、次代の人類を逞しさと教養をかねそなえた存在に鍛え上げるべく、グランドツアー式の義務教育システムを構築した。
「ふたりは卒業したらさ」と一行の最後尾でオンガクは叫ぶ。「どうすんの」

三人ともその話題は避けてきた。
「人間になる」とリカ。
「なるけども。なって、どうしたいかって話」
「適当に生きてくたばるだけだろ」

卒業すれば、人類らしい外見が手に入る。それ以上に、人権が手に入る。死ぬ権利だ。記憶と人格をミリ秒ごとに吸うバイオタグを外せる。
「たまに考えるんだけど」とオンガクはいう。「もし、だよ。もし」
「静かに」

制したのはサンスウだった。身をかがめ、銃身をにぎりしめる。
「ゾウか?」

リカが問う。ゾウを見たらとにかく逃げろ。鉄則だ。キノコにやられていようがいまいが、ゾウは臆病で暴走しやすい。
「違う」とケプラー式望遠鏡越しにサンスウは息を呑む。「校長センセイだ」
「え?」リカの双頭と、追いついたオンガクが三重唱する。「なんでここに校長センセイが!?」
「気づかれた。来る」

校長センセイはすさまじい勢いで迫ってきた。準備学校での姿と似ても似つかない。凹凸が目立っていた頭部は、不吉な黄土色の子実体に取って代わられ、そこから伸びた太い菌糸があらゆる関節部に入りこんでいる。アミガサタケだ。人間のみならず、センセイを乗っ取るすべも得たらしい。

キノコに寄生された生物は鋭敏な反応を示す。地表や空気中のカビと胞子をやりとりし、空間情報を緻密に把握しているからだともされる。いったん捕捉されると厄介だ。それに、あの速度。あの質量。

サンスウは呼吸を整え、三対の腕で散弾銃をしっかり固定して安全装置を外し、
「撃つ」

と宣言した。

続けざまに轟音がカビをどよもす。

校長センセイだったものは宙で半回転する。倒れ伏したところに至近距離まで近づき、容赦なく追撃を加える。弾を込める。撃つ。弾を込める。撃つ。「クソ、中途半端に」。弾を込める。「柔らかくなるから!」。撃つ。

なおも校長センセイは立ち上がろうとする。

撃つ。
「リカ、アルコール!」とサンスウは叫ぶ。

リカは泡を食いながらもバックパックからアルコールの瓶を投擲した。ニッケル・チタン 合金の表面で瓶が砕ける。
「オンガク、火!」

撃つ。撃つ。撃つ。
「取れない!」

ペンギンの手ではなにもできない。
「リカ!」

リカがオンガクのバックパックからマッチをつかみ、火を熾してアルコールまみれの校長センセイへ放る。炎上するも停止に到らない。サンスウは弾を撃ち尽くすと、オンガクの頭をひっつかんで投げ飛ばした。漂う胞子を切り裂きながら、歩く酸素ボンベが飛ぶ酸素ボンベになる。破裂する。

校長センセイは悲鳴をあげなかった。オンガクも。ついでにリカとサンスウも爆風に巻かれる。

百七十日後、見回りのヨウムインが三人のタグを回収し、リスポンポイントに運んだ。

復活した三人は途方に暮れた。

何時間も口をきかず、焼いたアミガサタケをマシュマロ用のピッカーでつついていた。

やがて、ダチョウの形態で再生したオンガクがつぶやく。
「校長センセイいないと……卒業証書、もらえない?」

サンスウがうつむく。

リカは四つに増えた頭をオンガクに向ける。
「卒業……できない」

深刻な問題だった。

あまりに深刻すぎるので、三人は学業を続けながらこの問題を検討していくことに決めた。「人間未満でさまようわたしたちについて」。卒業レポートにもちょうどいい。

校長センセイがいなくなっても、三人の日常はあまり変わらなかった。教室から教室へと移動し、授業を受け、野良センセイを退治し、ゾウに出くわしたら逃げ、死んだらリスポンする。どこへも帰らず歩き続ける。

そうして、わたしたちは永遠になったのです。ここまでで何か質問は?

千葉集

第十回創元SF短編賞宮内悠介賞。現在は講談社の tree で読書案内欄「読書標識」を担当。スペースが余ったのでハイクを詠みます。イヌを負い クマに追われる 絶滅期 (季語:絶滅)