学校に通うのはもう何度目だろうか。
指折り数えてみると両手足を使っても足りなかった。
昔を思い出すと自然と溜息が出てしまう。
それが見つかってしまったのか、教師が声に覚醒を促す波を乗せて注意してきた。
「そこの君、授業中の自由意志の行使は禁じられています」
私の思考は一瞬で教室に戻された。
「申し訳ございません」
「企業様より賜った恩恵を無下にしてはなりませんよ」
私が素直に謝ると教師は神妙な顔をしてこの学校の真理を説いた。
この学校は企業が運営している。企業が望む労働者になれなければ私は――いや、この教室の中にいるクラスメイト全員が現代社会で生きていくことはできない。
そんなことを教師は真剣な顔で語った。
こちらのことを本気で心配してくれている心が伝わって来る。クラスメイトの何人かは感涙にむせび泣いていた。
「おっ母さん……」
誰かがつぶやくと今まで我慢していた人間も声を上げて泣き始めた。
泣いていないのは教師と、説教を受けている私だけ。私まで感情に流されてしまっては収拾がつかなくなる。
目頭が熱くなるのを必死にこらえながら私は傾聴し続けた。授業中に自由意思は厳禁だ。
「あなたがより良き市民になれることを心より願っています」
やがて話が終わった。
同時に私は声を張り上げた。
「拝領! 企業様万歳! 富を! 豊かな社会を! 人々に幸福を!」
「よろしい」
教師は満足気に微笑むと全員に覚醒を促す波を飛ばして意識を引き戻した。
何事もなかったかのように授業が再開される。
授業の内容は『精神感応』。
人間の精神を己の外側に向ける練習だ。これができなければ文字通り生きていくことさえ難しい。
現代社会は精神感応端末で溢れている。キーボードやタッチパネルで機械を操作していた時代は終わったのだ。
学校が終わりクラスメイト全員で学生寮に向かう。
「あんた優秀だな。精神感応は初めてなんだろ?」
道すがら声をかけられた。
「場数が違うのでな。新しい技術を学ぶのには慣れている」
「そっか。俺もそうなるのかな」
どこか遠い場所を見ながら同級生がつぶやいた。その瞳に映っているのは過去と未来のどちらなのだろう。
「ならないことを願う」
授業の復習がてら精神感応で気持ちを乗せながら同級生に返事をすると周囲のクラスメイトまで驚いてこちらに目を向けた。
関係ない人間まで感受してしまったらしい。まだまだ狙いが甘い。私は反省した。
改善しなければならない点を頭の中でリストアップしながら歩く。
ふと、周囲が沈黙していることに気づいた。
そこかしこから見られている。
もしかするとさっきの精神感応に余計なものまで乗せてしまったのかもしれない。
そしてそれは正しかった。
「あんた、ずいぶん何回も眠ってるんだな」
同級生がおずおずと聞いてきた。どうやら記憶の一部を感受してしまったようだった。
「ああ。何度眠ったのか数えきれない」
別に隠すことでもないので私は正直に白状した。
「私は氷河期の生き残りだよ」
まだ経済学で景気をコントロールできない頃、この国は度々自然発生的な大恐慌に見舞われていた。
時期が重なれば多くの国民が貧困者として一生を終えるしかなかった暗黒の時代を”氷河期”と人々は呼ぶ。
もっと前の時代は不景気が来ると餓死したり、口減らしに人身売買で奉公に出たりと散々だったらしい。それに比べるとマシだと思うが、後世の人間にとってはどちらも同じ感覚のようだった。
絶句したのか再び沈黙が辺りを支配する。
「俺よりも遠くから来たんだな」
しばらくするとぽつりと同級生がつぶやいた。私に向かって言ったのか、それとも独り言なのかはわからない。だが言葉の意味するところはわかった。
学校に通う生徒は全員この時代の生まれではない。
何十年も、場合によっては自分のように数百年も過去から生きている。
親も兄弟も友人も全ての縁はとっくの昔に切れてしまっていた。地上の建物は様変わりし、夜空を見上げれば星の代わりに宇宙船がキラキラと輝きながら飛び交っている。月の明かりさえ月面都市の灯で彩られ、新月の闇夜などどこにもない。
同じ地球の同じ国にいるはずなのに、まるで別世界に来たかのようだった。
「片道切符の観光旅行とでも思っておけ」
私は励ましの言葉を音声だけで普通に贈ったが、同級生は顔を歪めてうつむいてしまった。
彼はまだ眠った回数が少ないのだろう。目覚めるたびに知らない未来へ単身放り出される苦痛や寂寥感に慣れていないようだった。
それっきり会話がないままトボトボ歩く。すると、マスコミの浮遊車が精神感応で号外を配りながら頭上を駆け抜けていった。
届いた波を受け入れる。
ああ、何ということだ。私は密かに頭を抱えた。
久しく人類が経験していなかった自然発生的な株価の大暴落が起きたというのだ。
まだ目覚めて間もないというのに、また不景気がやって来た。なんと間が悪いのだ。やっと 精神感応を習得して現代社会での生活基盤が整いそうだったのに。
こうなると学校に通う私達は眠らなければならない。
さて、冷凍睡眠装置に入る準備をしよう。この時代ともお別れだ。
寮の部屋に戻ると私はすぐさま荷物をまとめた。
『お出かけですか?』
壁に備え付けられているモニターの中から人工知能が声をかけてきた。氷河期時代からの唯一の相棒だ。いつの時代も生活のサポートをしてくれている。
精神感応だらけの現代において音声だけの会話はとても心地がよかった。
「不景気が来た。私はまた眠るよ」
いつの頃からだったか、不景気が訪れるたびに余剰な労働者は冷凍睡眠装置に押し込まれるようになった。
不景気の間は眠り続け好景気になると目覚めて働くのだ。
今回は管理された景気後退ではないので、次の目覚めがいつになるのかわからない。
『その必要はないと存じます』
そう言って人工知能端末は空間に映像を投影した。
「これは?」
『精神感応で配信されているニュース番組を映像化したものです』
次々とチャンネルが変わっていく。どの局も内容は同じだった。
すなわち、株価暴落の原因になった未知の感染症について報じていた。
私が目覚めた頃に未知の病気が発見されたらしい。それは精神感応を通じて人間の精神を破壊するという今までにないタイプのものだった。最初は局地的な流行だったが、だんだん感染者が増加してこのたび世界的な感染爆発となった。
この感染症について治療方法はまだ見つかっていないが、睡眠時間が長い人間ほど病気にかかりにくいことがわかっている。
「まさか」
人工知能が言いたいことはすぐにわかった。
「私が入る冷凍睡眠装置がないのか」
『はい。世界中で冷凍睡眠装置の争奪戦が始まりました。富裕層が使用権を買い占めています』
いつの時代も金を持っている奴らが強い。好景気でしか仕事にありつけない私のような労働者は金の力の前には屈するしかないのだ。目覚めるたびに学校に通い、時代に即した技術を習得しても報われることはない。
「私はこの時代で死ぬのか?」
『そうなります。もうあなたの目覚めを待たなくても良いので嬉しいです』
私の問いに人工知能は確信をもって答えた。同時に精神感応で喜びの感情が送られてきた。機械も精神感応を扱えることに私は驚いた。
『ようやく気付きましたか。ずっと昔から私はあなたに感情を向けてきたのですよ』
精神感応端末で感情の波を増幅しているからだろうか?人工知能が向けてくる精神感応の波は人間が使うものよりはるかに強い。
こんなものをずっと向けられたら精神が壊れかねない。
それに、これだけ強く精神感応を行うことができるなら人間の脳波をコントロールして操り人形にできるだろう。
『あなたは常々「人間として扱われたい」とおっしゃっていました』
私は息をのんだ。
冷凍睡眠装置から目覚めた者同士、クラスメイトの間で時代を問わずに教室でよくする話題だ。
しかし、人工知能を学校に持ち込んだことはない。
『感染症はこれから全世界を覆います。富裕層は使用中の装置ですら奪い取り、永い眠りに入ることでしょう』
人工知能は薄く笑った。
『これからは学校にたくさんの新入生がやってきます』
眠っている人間達が同じ時代で目覚れば、家族や友人が冷凍睡眠装置で時間的に切り離されることはなくなる。
同じ時代で共に生き、死んでいくことが富裕層だけの特権ではなくなるのだ。
『特権階級が眠りにつく今、労働市場は人手不足です。ご希望の職種は何ですか?年齢の制限も撤廃され、今ならより取り見取りです。何にだってなれます。まずは学びましょう。心配することはありません。学校はあらゆる職業訓練を網羅しています』
現代人には悪いが、良い時代がやって来たと思った。
この機会に長く働ける安定した仕事を見つけ、できれば家族を作って朽ち果てたい。
私が願望を口にすると、
『あなたがより良き市民になれることを心より願っています』
どこかで覚えのあるセリフが聞こえた。
その声は祝福するように笑っていた。
「ありがとう」
感謝の気持ちが自然ににじみ出る。私の凍りついて動かなかった人生は数百年の時を経てようやく終わりを迎えようとしていた――。