ネタバレ解説&感想 映画『バズ・ライトイヤー』はいかにして『トイ・ストーリー』に繋がるのか | VG+ (バゴプラ)

ネタバレ解説&感想 映画『バズ・ライトイヤー』はいかにして『トイ・ストーリー』に繋がるのか

(C)Disney/ Pixar

無限の彼方から帰ってくる船

2022年7月1日 、ピクサー26本目となる長編映画『バズ・ライトイヤー』が日本での封切りを迎えた。当時の最新作でありながらピクサー初の長編CGアニメーション映画『トイ・ストーリー』(1995)の作中作という位置付けの、既存ファンを狙い撃ちにする一作だ。

ただ、映画『バズ・ライトイヤー』はターゲットをあまりにもコアなファンに寄せたがために「トイ・ストーリーを一度だけ観た」という人や、新規の観客にとっては登場人物の理解に少し努力を要する内容となっている。そこで今回は「トイ・ストーリー」シリーズの紹介を挟みながら、映画『バズ・ライトイヤー』における主人公バズの成長物語と、『トイ・ストーリー』の大きな謎であった「なぜバズ・ライトイヤーにはおもちゃの自覚がないのか」について解説したい。

なお重要なネタバレを含むため、本作をまだ観ていない人はこのページを閉じ、ぜひ『トイ・ストーリー2』までを視聴のうえ『バズ・ライトイヤー』を観てほしい。ディズニープラスでも配信されている。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『バズ・ライトイヤー』および「トイ・ストーリー」シリーズの内容に関するネタバレを含みます。

『トイ・ストーリー』のバズと『バズ・ライトイヤー』のバズ

映画『バズ・ライトイヤー』は『トイ・ストーリー』に登場するおもちゃ・バズ・ライトイヤーの誕生の背景を明らかにする、というコンセプトで作られた。『トイ・ストーリー』に出てくるおもちゃたちの持ち主である少年アンディは、映画『バズ・ライトイヤー』を観て彼のファンになり、誕生日にもらったバズ・ライトイヤーのおもちゃに夢中になったという背景がある。

『トイ・ストーリー』に登場するバズはあくまでもおもちゃとしてのバズ個人であり、映画『バズ・ライトイヤー』の主人公バズとは同一人物ではない。おもちゃのバズは映画のバズを元ネタとして製造された個体というわけだ。

しかし観客である私たちは、1995年公開の『トイ・ストーリー』よりも明らかに高度なCG技術で再現された『バズ・ライトイヤー』のバズに、馴染み深いトイ・ストーリーのバズの面影を早々に発見することになる。アンディのベッドに乱暴に置かれるバズの宇宙船(を模したおもちゃの外箱)さながら、未知の惑星に不時着する巨大宇宙船のシーンから本作はスタートする。また、惑星を探索するバズは「バズ・ライトイヤーの航星日誌……」とお決まりのフレーズを口にする。

『トイ・ストーリー』では、おもちゃであるバズに通信する外部など存在しないという暗黙の了解のために、航星日誌を記録することに面白みがあったが、映画『バズ・ライトイヤー』でもこの航星日誌は実は誰も聞く人がいないバズの精神安定のためのルーティンである、と明かされた。緊張を和らげ思考をクリアにするために、ただ一人スペース・レンジャーとしての活動記録を録音しているのは、極度に真面目で自分の仕事に誇りを持つバズの性格を表している。

こうして私たちはバズの言動にバズらしさを確かに感じながらも、一方で頑固なまでに仲間に頼らず、ついには惑星からの脱出に失敗して1200人もの乗組員の人生を変えてしまう彼の姿に、少しの違和感を覚えはじめる。

私たちが『トイ・ストーリー』シリーズを通して知ったバズ・ライトイヤーは、タフな(自称)スペース・レンジャーであり、白と緑と紫で構成される宇宙服を着込み、最新式おもちゃに恥じぬ高性能なギミックを使いこなし、圧倒的なカリスマ性で瞬く間に子ども部屋の人気者に君臨する。それが『トイ・ストーリー』に登場するバズ・ライトイヤーの第一印象だ。

しかし『バズ・ライトイヤー』のバズは、超人的な活躍で劇的にピンチを乗り切ることができない。仲間と手を取り合って讃えあうことができない。ウラシマ効果によって、親友とはまったく異なる生きる時間を一人で生きていく。彼はプライドが高く、仲間も協力も手放し、孤独で、たくさんの敗北を経験する。

このバズの物語は本当にあの『トイ・ストーリー』のバズに繋がるのだろうか。

バズ・ライトイヤーとは誰なのか

『トイ・ストーリー』でバズが他のおもちゃたちと決定的に異なっていたのは、自らを「おもちゃ」だと認識していなかった点だ。バズは自分が映画『バズ・ライトイヤー』のバズ自身であると信じ、アンディの子供部屋に誕生日プレゼントとして迎えられたときも、あくまで「船が故障して未知の惑星に不時着した」と考えていた。バズにとってアンディのおもちゃたちは未知の惑星に生息する高度な知的生命体であり、子ども部屋は宇宙船(に見立てられたおもちゃの外箱)を修理して飛行するまでの、仮宿でしかなかった。

「トイ・ストーリー」シリーズを通して出てきたすべての登場人物の中で、おもちゃの自覚がないことが明確に描写されたおもちゃは、ザーグを含むバズ・ライトイヤーのおもちゃシリーズの個体だけである(自覚があるのかないのか不明だったり、あくまでも役割を演じ切っているおもちゃは複数いる)。

『トイ・ストーリー 謎の恐竜ワールド』にはおもちゃの自覚なき恐竜たちがバトルザウルス・アルティメットダイナソーズのシリーズとして登場するが、こちらは黒幕によって洗脳された結果であり、操られた一人である恐竜戦士レプティラス・マキシマス自身も、自分はおもちゃだという自覚がどこかであったのだと示された。また、恐竜たちが洗脳されていたのは彼らがおもちゃの外箱に囲われた世界で生きていたためであり、これは持ち主の少年が開封されたおもちゃを一度もおもちゃとして使わなかったから、というメタ的な構造にもなっている。

「トイ・ストーリー」シリーズに登場するバズ・ライトイヤーのおもちゃシリーズのラインナップは、判明しているだけで主人公バズ・ライトイヤーとその宿敵である悪の帝王・ザーグだけだ(短編『トイ・ストーリー・トゥーンズ ニセものバズがやって来た』では、ハンバーガーのおまけとしてバズとザーグの他に、ザーグのバックルやバズの宇宙船が登場した。ザーグのバックルは意思を持ち、コミュニケーションも可能な様子が描かれていたが、ここでも人間モチーフのキャラクターはバズとザーグの二人のほかには登場しない)。『トイ・ストーリー』の観客はスペース・レンジャーなどという未知の職業の仕事内容をバズの口からしか聞けないし、スターコマンドが組織の中でどのような位置付けにあるのかも知ることができなかった。

『バス・ライトイヤー』で明らかになったのは、スペース・レンジャーはバズただ一人だけではない、という事実だ。それどころか私たちは、お馴染みのバズの宇宙服でさえ、バズ個人を表す記号ではなかったことを知る。白・緑・紫の三色を見れば反射的にバズ・ライトイヤーカラーであると答えてしまいそうだが、映画『バズ・ライトイヤー』でバズはその宇宙服を早々に脱いでしまう。そして彼は胸の内を吐露するのだ。「訓練時代、自分は優秀ではなかった」と。

スペース・レンジャーという職業も、特徴的なカラーリングの宇宙服も、身体能力やカリスマ性さえも、私たちの考えるバズを構成する要素はどれもバズ個人を表す記号ではなかったのだという衝撃を、『トイ・ストーリー』から30年近く経って大人になりきってしまった私たちに『バズ・ライトイヤー』は容赦なく突きつけてくる。しかも悪の帝王ザーグは、バズその人なのである。

ウッディとミスター・ポテトのアイデンティティ

では『トイ・ストーリー』に登場する他のおもちゃたちとバズには、どんな違いがあるのだろうか。代表して、ウッディとミスター・ポテトヘッドに焦点を当ててみよう。

『トイ・ストーリー』シリーズの主人公であるウッディはカウボーイ人形であり、『ラウンドアップ』という、子どもたちに大人気の人形劇の主役だった。カウボーイハットもブーツも、牛柄のベストも保安官バッジも、ウッディを構成する要素は紛れもなくウッディ個人を象徴しているように思える。
そして『トイ・ストーリー』のシリーズが進むごとに、彼はそれらの象徴を手放してきた。

『トイ・ストーリー2』ではウッディは冒頭からカウボーイハットを紛失し、それでも変わらずアンディのお気に入りのカウボーイであることを、おもちゃ部屋仲間のボー・ピープに諭された。『トイ・ストーリー4』ではおしゃべり人形の核となるボイスボックスを手放し、最後には保安官バッジすらジェシーに譲った。

しかしこれらの象徴的な要素を失ったとしても、ウッディがウッディであることに観客は何の疑いも持たないだろう。ウッディは、彼を構成する要素を手放しても彼そのものであることを常に物語のなかで証明してきたし、アンティークのウッディは存在そのものにも価値がある。『トイ・ストーリー2』では、希少価値の高いウッディを手に入れるために盗みまで働く人物が描かれた。大量生産のバズとは違い、ウッディ人形は、「トイ・ストーリー」シリーズを通して二つとして同じモデルが登場しない。

ミスター・ポテトヘッドはジャガイモ型の頭に福笑いの要領で目や口のパーツを配置できるフィギュアである。彼は明確な元ネタの存在するおもちゃで、元となるフィギュアは1952年にアメリカで発売されたものだが、そもそもは1940年代に、野菜に刺して遊べる顔のパーツがシリアルのおまけとして付いてきたことが始まりだったとされる。最初のポテトヘッドはジャガイモ頭ですらなかったのだ。

「トイ・ストーリー」シリーズで彼は、ポテトではなくズッキーニ、トルティーヤ、パイナップルなどに自身のパーツを刺して動くシーンが描かれる。パーツを付け替えできることこそがポテトヘッド最大の魅力であり、ジャガイモ頭を失っても、ポテトヘッドは彼自身のアイデンティティを失わない。

おもちゃたちのパーツの取り扱いの違いは、おもちゃ個人の存在の強度としても描写される。短編『トイ・ストーリー・オブ・テラー』では、ポテトヘッドは左腕一本で登場し、最後まで左腕だけで活躍する。たった一本の腕でも観客はそれがポテトヘッドであることを確信するし、そこに彼の存在を強く感じ取ることができる。

一方バズは、『トイ・ストーリー』で飛行に失敗し、左腕を失うシーンがある。ウッディがうっかりバズの左腕だけを仲間に見せてしまったとき、仲間たちはそれがバズの「死」を表すものだと考え、憤慨した。ポテトヘッドは左腕だけで彼自身を象徴できるが、左腕だけのバズ・ライトイヤーにはもはや、バズとしての「生」は体現できない。このシリーズが明確に描いてきた事実だ。

では改めて、バズ・ライトイヤーとは何者なのだろうか。外見も性格も職業も肉体の一部も、彼自身を表す記号ではないのだとしたら、一体バズ・ライトイヤーは何によって彼を彼たらしめているのだろうか。

バズをバズたらしめるもの

『バズ・ライトイヤー』のバズの仲間は、ウッディやジェシーのように頼りになる存在ではない。後輩たちはドジで、落ちこぼれで、要領が悪く、短気で、無能に描かれる。だが誰一人、最後まで任務を諦めない。彼らはリーダーとしてのバズを失ってもなお、自分たちの意志でザーグの本拠地に乗り込んでくる。
スペース・レンジャーとして最も重要な資質とは何なのか。肉体でも、頭脳でも、功績でもない。それは心であるのだと、この映画は丁寧に語る。

魅力的なヴィラン(悪役)である悪の帝王ザーグは、『トイ・ストーリー2』ではバズの父親を名乗っていた(もちろんこれは『スター・ウォーズ』シリーズのオマージュであり、アンガス・マクレーン監督も本作の製作にあたり同シリーズを強く意識したと語っている)。
しかし『バズ・ライトイヤー』に登場するザーグは、年老いたバズ本人だ。仲間を持たず、孤独なまま過ごし、スペース・レンジャーとしての役目をまっとうすることだけを心の頼りに生きてきた世界線のバズである。

映画『バズ・ライトイヤー』は執拗に、バズに喪失を経験させる。訓練時代にはトップを取れなかったバズ。ミッションに失敗し、司令官にもなれないバズ。特徴的な三色の宇宙服を年月によって失うバズ。すべてを諦め、己のネームプレートすら返上するバズ。何もかもを手放したとき、彼に残ったものもまた、心のありようだけだった。
「我々はスペース・レンジャーなのだ。意味あるものにならねば」というザーグ(バズ)のセリフは、悲しくも彼が間違いなくバズ・ライトイヤーであることを観客に示している。
そう、バズをバズたらしめているのは紛れもなく、スペース・レンジャーであるという心そのものなのだ。

『バズ・ライトイヤー』でスペース・レンジャーの資質について知った私たちは、この映画が描かれるきっかけになった最初の作品『トイ・ストーリー』にようやく立ち返ることができる。
バズにはウッディのようなアンティークとしての唯一無二の価値も、ポテトヘッドのようなパーツひとつにまで命を宿す強度もない。バズ・ライトイヤーを彼たらしめているのは、白・緑・紫カラーの宇宙服でも、スペース・レンジャーという職業でも、エース・パイロットの肩書きでもなく、スペース・レンジャーとしての心なのである。

つまり、おもちゃの自覚なく「バズ・ライトイヤーの航星日誌……」と呟く『トイ・ストーリー』のバズは、バグに見舞われていたのではない。彼は最初から正しく、バズ・ライトイヤーのおもちゃであることを体現していたのだ。どんな世界においても「私はスペース・レンジャー、バズ・ライトイヤーだ」という心ひとつを持っているバズ。それこそが作中作『バズ・ライトイヤー』のバズなのだから。

映画『バズ・ライトイヤー』では、最初から頼りになる完璧なスペース・レンジャーたちの姿は描かれない。だがこの映画は、バズの成長物語を通して原点の『トイ・ストーリー』へと帰還し、シリーズ最大の謎のままに取り残された「なぜバズにおもちゃの自覚がないのか」という問いにひとつの答えを出したと言える。
およそ三十年の時を経てバズ・ライトイヤーは無限の彼方から帰ってきた。そしてまた、新しい冒険へと出発することができる。

2024年を生きる人類とバズ・ライトイヤー

筆者がそうであったように、少なくない『トイ・ストーリー』ファンが『バズ・ライトイヤー』の映画でスペース・レンジャーとして大活躍し、悪の帝王ザーグを打ち倒すバズの物語を期待しただろう。しかし本作で描かれたのは、未熟で、孤独で、失敗もする等身大の人間だった。『バズ・ライトイヤー』はあくまで『トイ・ストーリー』の作中作であり、彼の物語は『バズ・ライトイヤー』で完結している。あえて未熟なバズが描かれたのだ。ここに徹底した前日譚としての面白さがある。

同時に、『バズ・ライトイヤー』は2022年の映画として、多様な外見の登場人物、女性の上官、同性カップルとその子供など、画一的ではない社会のありようが描かれた。

一方で、未知の惑星の生物と人間たちが真に共存することはなかった。不時着した惑星で人間たちは未知の生命体と戦いながらも資源を得て街を作り、入植に成功したように見える。しかしバズの視点でしかこの物語を観ていない私たちには、本当にあの惑星の生命体が高度な知能を有していなかったのか、判断することは叶わない。また、人類の価値基準で高度な知的生命体であるかどうかをジャッジし、その場所に根付いていた命を殺し、資源や土地を奪って新天地として入植することは果たして許される行為だろうか。

これは人類の歴史が繰り返してきた過ちであり、2024年の今、世界中で起きている問題とも地続きである。

『トイ・ストーリー』では、『バズ・ライトイヤー』のバズが成し得なかった「共存」が描かれた。アンディの子供部屋という未知の惑星でウッディに出会ったバズは、すぐにレーザーを照射して攻撃体制に入る。戦闘にならなかったのはただ、バズにとってウッディが高度な知的生命体に見え、同じ言語で会話し、友好を示したからである。それはウッディがバズを「おもちゃである」と最初から知っていたためだ。しかしほとんどの場合、未知との遭遇というのは互いに相手の素性を知らないところからはじまる。

『トイ・ストーリー』からおよそ三十年、少しだけ『バズ・ライトイヤー』の科学の世界に近付いた人類はまだ、未知の生命体はおろか人間同士の「共存」からも程遠い状態にある。

地球という惑星はアンディの子供部屋のように小さく、さまざまな人や生き物がすでにそこにあり、手を取り合うことができるのだということを、大人になってしまった私たちは今こそ思い出す必要があるのかもしれない。

映画『バズ・ライトイヤー』はディズニープラスで配信中。

『バズ・ライトイヤー』公式ページ

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『バズ・ライトイヤー』ラストの解説&考察はこちらの記事で。

佐伯真洋

1991年生まれ、大阪府出身。仕事と育児をしつつ大学で勉強中。2016年、初めて書いたSF小説「母になる」が第4回日経星新一賞で最終候補に選ばれると、同年から3年連続で同賞の最終候補に選出された。2020年には「青い瞳がきこえるうちは」が第11回創元SF短編賞の最終候補入りを果たす。同年夏に開催された第1回かぐやSFコンテストでは「いつかあの夏へ」で読者賞を受賞。筆者名を伏せた状態で実施された読者投票で最多票を獲得した。同年12月には、Toshiya Kameiが英訳した「母になる」がWelkin Magazineに掲載され、英語誌デビュー。2022年、伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』(早川書房) に「青い瞳がきこえるうちは」が、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books) に「かいじゅうたちのゆくところ」が収録。2023年の第三回かぐやSFコンテストでは審査員を務めた。

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