危険性とリスクが叫ばれる鏡像生命は、本当に規制されるべきなのか? 「細胞を創る」研究会 18.0レポート | VG+ (バゴプラ)

危険性とリスクが叫ばれる鏡像生命は、本当に規制されるべきなのか? 「細胞を創る」研究会 18.0レポート

写真 坂本麻人

危険性とリスクが叫ばれる鏡像生命は、本当に規制されるべきなのか? 「細胞を創る」研究会 18.0レポート

2025年9月16日-17日に立教大学 池袋キャンパスで『「細胞を創る」研究会 18.0』が開催され、鏡像生命の創成や研究に関するセッション「鏡像生命創成とその関連研究は規制されても良いのか?」が実施された。

科学誌「Science」に警鐘を鳴らす意見論文「人類は鏡像生命のリスクと向き合わねばならない(Confronting risks of mirror life)」が掲載されて以来、世間でも注目を集めている「鏡像生命(mirror life)」。セッションでは、その危険性や可能性、また、鏡像生命をめぐる議論をどのように社会に開いていくのか等のアジェンダが研究ジャンルを横断して討議された。その様子をレポートする。

鏡写しの生き物(鏡像生命)は危険?

我々を形作っているDNAは右巻きの螺旋を描いている。DNAはヌクレオチドという構成単位からできており、このヌクレオチドはD体である。一方、自然界に存在するアミノ酸のほとんどはL体である。D体とL体はおたがいが鏡写しのような関係にあり、自然界のなかでは偏った割合で存在している。もしD体とL体が反転した生物がいたとしたら、それは鏡写しの生命、すなわち鏡像生命ということになる。そんな鏡像生命を作り出そうという研究が進んでいる。

将来的に鏡像生命が生み出される可能性を受けて、鏡像生命を創ることについての是非が取りざたされている。2024年12月12日には、科学誌の「Science」で鏡像生命の創造に反対する声明「人類は鏡像生命のリスクと向き合わねばならない(Confronting risks of mirror life)」が掲載された。声明では、鏡像細菌が環境中に放出された際、我々の免疫系をかいくぐって繫殖し、生態系を塗り替えてしまうシナリオが提示された。

しかし、これはあくまで最悪のシナリオを想定したものでしかない。また、鏡像生命によって生み出される利益が十分に考慮されていないともいえる。セッション「鏡像生命創成とその関連研究は規制されても良いのか?」では、リスクばかりを取り上げて安易に規制の方向へ進んでよいのか、という問いが投げかけられた。

規制に対しては、より多くの人が議論に参加できる仕組みが必要

セッションのオーガナイザーは、合成生物学の研究者で、今年の8月に編著『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)を刊行した藤原慶と、科学技術社会論の研究者、見上公一だ。

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生物工学を専門とする大阪大学の青木航氏の発表では、鏡像生命のリスクに対してベネフィットが過小評価されていることに触れ、鏡像生命学研究の可能性が語られた。

たとえば、鏡像生命を活用すれば、生命が作る代謝物質の鏡像反転体を作ることができる。これまで、医薬品の探索は天然化合物から効果のあるものを見つけ出すという形で行われてきており、鏡像生命が利用できるとすれば一気に倍の探索ができることになる。また、シルクや木材といったバイオマテリアルには様々な劣化要因があるが、ミラー化することで安定性が高いマテリアルになる可能性があると語った。

スペキュラティヴ・デザインなどを専門とする慶應義塾大学の長谷川愛氏は、自身がこれまでモチーフとしてきた題材を振り返りながら、研究者以外の人々の興味や理解を得るにはどうすればよいのかを語った。

鏡像生命学のような新しく理解しづらい科学技術に対して健全な議論を設定するために、体感することによるアート展示を考えていると述べる。たとえば、柑橘類に含まれるリモネンには鏡像異性体が存在するため、鏡像のオレンジからはレモンの香りがする。誰もが理解しやすい香りを切り口にした展示を検討しているという。

科学技術社会論を専門とする慶應義塾大学の見上公一氏は、鏡像生命学を規制するとしてどの段階の研究を規制するのか、また世界中で行われる研究に介入できるのかという、現実的な規制の難しさについて触れた。

1975年に行われたアシロマ会議では、遺伝子組み換えに関するガイドラインが議論された。それからちょうど50年の今年、再びアシロマで開かれた会議では、当時の約2倍にあたる300人ほどの研究者が参加し、鏡像生命学も議題のひとつに取り上げられた。

見上氏はこの取り組みの価値を認めつつも、300人で包括的な議論ができたかどうかについては懐疑的であった。そして、現状は十分な対話ができていないことを重視し、一般市民との開かれた対話が重要になるだろうと述べた。

合成生物学を専門とする早稲田大学の木賀大介氏は、作った細胞が自然界にもたらすリスクを考え、対策の必要性について述べた。人工細胞1つ自体は非常に弱いものであっても、それがアップグレードされ敵から身を守る能力や攻撃する能力を身につける危険性はある。こうしたリスクを超えて鏡像生命を作るのであれば、鏡像生命に対する薬剤・抗生物質の備蓄が必要だと述べた。また、そもそも鏡像生命が生物の免疫から逃れられるのかを調べる必要があると語った。

4人の登壇者の発表が終わったあと、聴衆の質問を交えてのディスカッションが行われた。ディスカッション内では、規制によって研究の進歩が止まる可能性や、どこまでを規制の対象とするべきかという内容が語られた。また、前提として鏡像生命を作ることは本当にできるのかどうかに踏み込み、できないものを規制する意味が本当にあるのかという問いかけもあった。

鏡像生命にまつわる議論は、リスクが明確な科学技術と比べて特殊である。ディスカッション中でDHMOにまつわる議論(※水を聞きなれない科学用語で説明したうえで、この物質を規制するべきかどうかを尋ねる科学ジョーク)が引き合いに出されていたとおり、危険性が過度に指摘されたまま議論だけが進められている。今回のセッションは、鏡像生命学の規制に関する議論をどのように行うべきかを問うきっかけとなった。

より多くの人が議論に参加するための取り組みとは?

鏡像生命学への注目は高くなっている。昨年12月に「Science」で「人類は鏡像生命のリスクと向き合わねばならない」が発表された声明のあとも、研究者の間で議論が続いており、今後も動向を注視する必要があるだろう。

今回の見上氏の発表でも議題にあがっていたように、世界的に大規模は影響をもたらす可能性のある鏡像生命学は、研究者にとどまらず、一般市民や色々な立場の人が議論に参加していく必要がある。

セッションのオーガナイザーを務めた藤原慶氏の編著書『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)では、鏡像生命とはどのような特徴を持つ生き物で、そこから生まれる利益やリスクなど、鏡像生命学の最先端を分かりやすく解説している。また、本書はSF企業のVGプラス(Kaguya Books)が企画・編集を務め、茜灯里・柞刈湯葉・瀬名秀明・麦原遼・八島游舷の5人のSF作家がフィクションという形で鏡像生命の可能性を描いている。SFという形で、鏡像生命学に関する議論をより多くの人に開いていくための重要な取り組みとも言えるだろう。

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「細胞を創る」研究会とは

「細胞を創る」研究会は、分子生物学やゲノム科学の進展を背景に2007年に発足した。「細胞を創る」ことの学問的・社会的意義や懸念などを他分野の研究者や市民と共有し、研究の健全な発展を目指している。年に1度、研究発表の場を設けており、今回のセッション「鏡像生命創成とその関連研究は規制されても良いのか?」は、会員・非会員を問わず誰でも参加できる講演・座談会として行われた。

「細胞を創る」研究会公式サイト

「想像する力」が現実世界にどのような変革をもたらしうるかを議論した、日仏SFコロキアム「想像学とマルチバーサリズム: SFで未来を作り直す方法」のレポート記事はこちら

作家や翻訳者によるトークイベント「パレスチナでのジェノサイドにフィクションはどう立ち向かうのか」のレポート記事はこちら

おーえす

大学に入るまではミステリばかり読んでいましたが、大学時代に友人に借りた小松左京でSFデビューしました。SF大会に行ったり、同人誌を作ったりしています。アイコンは将来の夢。
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