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「特集に寄せて 語りと報道の偏りに抗して」全文公開
ガザに対するイスラエルの攻撃が2023年10月7日に激化してから、一年が経ちました。イスラエルによるガザ・ヨルダン川西岸地区・そして近隣の国への攻撃は拡大しており、攻撃にさらされる市民の状況は悪くなる一方です。そしてこれは決して2023年10月に始まったことではなく、80年近く続くシオニスト/イスラエルによる植民地主義や民族浄化の一環です。
SFのウェブマガジンKaguya Planetでは「パレスチナ問題」について、SFのマガジンとして自分たちにできること/すべきことはなにかと考え、2024年4月〜6月に特集「パレスチナ」を開催。日本ではなかなか紹介されてこなかった、パレスチナ人作家やパレスチナにゆかりある作家による、パレスチナを舞台にしたSF・ファンタジー作品を三編翻訳・掲載しました。こちらの掲載作品はすべて、ウェブ上で無料で読むことができます。
そして2024年7月には、掲載した小説に加えて、ブックガイドやコラムを掲載したマガジン『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』を紙版/電子版で刊行しました。今回、こちらのマガジンに掲載した「特集に寄せて 語りと報道の偏りに抗して」を全文公開します。フィクションを通して、「パレスチナ問題」について、パレスチナの文化や伝統について、考えてみませんか。また、文学の世界で誰がナラティブ(語り)を占有しているのか、ということについて、考えてみませんか。
また、少しでも手に取っていただきやすいように、マガジン『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』を10月末日まで割引価格で販売いたします。『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』の売り上げの一部は国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に寄付します。
「特集に寄せて 語りと報道の偏りに抗して」
文・Kaguya Planet編集部
目をそらしつづけてきたという罪
2023年10月7日以降、私たちはガザ地区での虐殺を、民族浄化をリアルタイムで目撃しています。いえ、本当は、1948年のイスラエル建国にともなって、もともとパレスチナに住んでいた人が虐殺され、暴力的に居住地から追放された「ナクバ」と呼ばれる出来事以来、ガザ地区やヨルダン川西岸、また現在のイスラエルを含む、歴史的に「パレスチナ」と呼ばれてきた土地で深刻な人権侵害・民族浄化が行われてきたにもかかわらず、私たちの、世界の多くが見ないふりをつづけてきたために、このような事態を招いてしまったのです。
日本やアメリカ、そして多くの西欧諸国では、パレスチナを含むアラブ・イスラームの国々についての報道は明らかに偏っています。例えばガザについての報道では、「イスラム原理主義組織ハマスの実効支配するガザ地区」というような決まり文句が繰り返し使われており、「2007年からイスラエルによって軍事封鎖されているガザ」と報道されることはありません。軍事封鎖によって燃料や食料、日用品、医療品などが慢性的に欠乏し、様々な形で生産活動や経済の発展が阻害されているという、イスラエルによるガザでの人権侵害が見えにくくなってしまっているのです。こういった偏った報道によって、イスラム教徒に対するステレオタイプや、ガザ・パレスチナに対するイメージが、気がつかないうちに私たちに刷り込まれています。
また日本政府や複数の日本企業、そして日本でもなじみぶかい多国籍企業の数々は、パレスチナの人々を殺し、パレスチナの土地と生活を略奪しつづけるイスラエルに連帯しています。それらの企業が生活に根ざした日本で暮らす私たちは、それだけでジェノサイドに加担していることにさえなってしまいます。
イスラエルの攻撃の対象とはなっていない日本という国で、目をそらしつづけ、加担し続けてきた私たちに、何ができるのでしょうか。
文学に携わるものとして「偏り」に向き合う
日本では毎年たくさんの翻訳文学が刊行されますが、英語で書かれた英語圏出身の作家による作品と、それ以外の言語で書かれた作品や多様なエスニシティを持つ作家が英語で書いた作品の間には、刊行数に明らかに差があります。
作品が作家の属性を全て代弁しているということではありませんが、紹介される作品やコンテンツの数が多いほど、受け手はその属性のより多様な側面を知ることができます。逆にいうと、作品が紹介されない属性、あるいは特定のテーマや事件に基づいての紹介だけが多い属性は、一面的に見られてしまいやすいということでもあります。このような紹介や報道の偏りによって生み出されたステレオタイプが、今まさに目の前で起きている民族浄化から私たちが目をそらす言い訳になってはいないでしょうか。
ある事柄について知りたいときに、誰の語りに耳を傾けるかは重要な選択です。できれば、政治的意図や利益のために特定の誰かを周縁化・悪魔化する語りではなく、その地で現実を生きている人、誰か/何かの無事や安心や幸せを真剣に祈っている人の語りを聞きたいと、私たちは思っています。
そこで、まずはパレスチナの作家、パレスチナにルーツを持つ作家による短い小説を三作、日本語に翻訳してご紹介します。
イスラエルによる激しい攻撃にさらされているガザを、ある視点から語る「ここの外では」を書いたズィヤード・ハッダーシュはパレスチナ在住の作家です。レズビアンのジンニーエ(アラブの精霊・ジンの女性のこと)の物語「ムニーラと月」の作者ソニア・スライマーンはパレスチナにルーツのある作家です。大気汚染によりフィルターマスクが欠かせなくなった未来のガザを描く「継承の息吹」のタスニーム・アブータビーフはガザ生まれ、現在はアメリカ在住の作家です。
ナクバ以降、故郷パレスチナを追われた人々とその子孫、約700万人が移民・難民として世界中に散らばっています。本書の表紙や「継承の息吹」のカバーデザインにあしらっている〝鍵〟は、世界中に離散したパレスチナ人の、故郷への想いと帰還の権利を象徴するモチーフです。パレスチナの人々は、ほんの短いあいだ留守にするだけだと信じ、自宅の鍵をポケットに入れてパレスチナを出たまま二度と帰ることができなかったのです。
「継承の息吹」の原作が収録されているアンソロジー『Palestine +100 : Stories from a century after the Nakba』の編者Basma Ghalayiniは同書のイントロダクションで、テルアビブ南部のヤッファで商店を営んでいた祖父が、1948年にパレスチナを追われてからカイロで亡くなるまでの60年のあいだ、ポケットに自宅の鍵をずっと入れていたこと、祖母が守ってきた、先祖代々800年続いた農場が「セキュリテイ上の理由」で破壊されてしまったこと、その記憶を自身が伝え聞いて継承していることを綴っています。
たくさんの人々がパレスチナの外で、帰還することもままならないふるさととその状況を想って連帯し、虐殺に抗議の声をあげています。いまパレスチナにいる人の声と共に、パレスチナの外で活動するパレスチナ系の人々の声として、これらの作品を翻訳掲載しました。
「ここの外では」と「ムニーラと月」には編集部による短い解説を乗せています。井上彼方によるコラム「SFとイスラエルとパレスチナ」では、SFというジャンルとパレスチナ問題について考えています。語りの偏りに抵抗する一環として、英語で読めるパレスチナのSF作品とそれらを掲載する書籍・メディアの一部を紹介する、堀川夢によるブックガイド「パレスチナの物語を英語で読む」も掲載しました。齋藤隼飛と鯨ヶ岬勇士によるコラムでは、映画界の動きを紹介しつつ、私たち自身の行動について考えます。
「かもしれない」の力を集めて
いま一人でも多くの人命を救うために身を削って動いている人にとっては、フィクションの創作、ましてやその翻訳は苛立ちをおぼえるほどに悠長な営みかもしれません。ですが、フィクションのゆっくりとした歩みの中でも、できることがあるのではないかと考えています。
誰かがひどく傷つけられ、殺されている写真・映像とは異なる仕方で、攻撃にさらされている人の痛みを伝えることができるかもしれない。これまでパレスチナにあまり関心を払ってこなかった人でも、面白い小説を読んでその舞台や作者から興味を持つかもしれない。作品に書かれているテーマや問題が他の分野や地域にもつながっていると気づいて、あちこちで起きている虐殺や抑圧、搾取を少しでも取り除くために何ができるか考え始めることができるかもしれない。
そのいろいろな「かもしれない」の力があつまれば、世界をよくすることが、もっと具体的にいうとイスラエルによるパレスチナの民族浄化を止めることができるはずだと信じています。
『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』発売中
『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』
コンテンツ
⚫︎小説
ズィヤード・ハッダーシュ「ここの外では」(佐藤祐朔訳)
ソニア・スライマーン「ムニーラと月」(岸谷薄荷訳、佐藤まな監訳)
タスニーム・アブータビーフ「継承の息吹」(岸谷薄荷訳、佐藤まな監訳)
牧野大寧「城南中学校生徒会役員選挙『カレーVSラーメン』」
⚫︎コラム
井上彼方「SFとイスラエルとパレスチナ」
堀川夢「英語で読むパレスチナのSF」
齋藤隼飛「プレイヤーへの期待、その裏にあるキュレーターの責任」
鯨ヶ岬勇士「スーパーヒーローはどこにいるのか。それはあなたかもしれない。」
⚫︎PICK UP
『野球SF傑作選 ベストナイン2024』
『SF作家はこう考える 創作世界の最前線をたずねて』
⚫︎インタビュー
映画『カミノフデ 〜怪獣たちのいる島〜』総監督・村瀬継蔵&特撮監督・佐藤大介 インタビュー
SF作家対談 天沢時生×水町綜「不良とバイクとSFと」
⚫︎イベントレポート
IMAGINARC 想像力の音楽
⚫︎VGプラスの活動報告
サイズ:A5
ページ数:108ページ
一般価格:1650円(税込)
ISBN:978-4-911294-01-7
※10月末日まで、Kaguyaのオンラインストアにて割引価格で販売いたします。
※※『Kaguya Planet No.2 パレスチナ』の売り上げの一部は国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に寄付します。
掲載しているSF・ファンタジーは無料で公開中
特集「パレスチナ」に掲載した、パレスチナを舞台にした3編のSF・ファンタジーの短編小説は、オンラインSF誌 Kaguya Planetにて無料で公開しています! どれも1万字以下の短いお話です。
ズィヤード・ハッダーシュ「ここの外では」(佐藤祐朔訳)
物語の語り手は〈書き手〉に、外の世界について尋ねる。何かが崩れる鋭く荒々しい音や、人々の叫び声はなんなのか。祈りの声は誰のためのものなのか。外で起きていることを語り手は知りたいと思い、〈書き手〉に嗅覚や視覚などの感覚を求める。徐々に明らかになっていく、外の世界でのできごと。その光景は、その音は世界にとってどんな意味を持っているのか。何が起きていて、語り手をどんな運命が待ち受けているのか。短くも切実な物語。
ソニア・スライマーン「ムニーラと月」(岸谷薄荷訳・佐藤まな監訳)
舞台は遠い昔、パレスチナの涸れ川に抱かれた村。村を見下ろす柘榴の木が月明かりに照らされて美しい夜に、ジンニーエ(女性のジン)のムニーラは月を相手に嘆いていた。「地上にも、地下の世界にも、私と恋人になってくれる女性はいないの」。すると、どこからか「私がいるよ」という声が聞こえてきて……。愛を求める心、自分のセクシュアリティを肯定して生きていくことに対して勇気をもらえるロマンタジー。
タスニーム・アブータビーフ「継承の息吹」(岸谷薄荷訳・佐藤まな監訳)
大気汚染が深刻化し、パーソナルIDが付与されたガスマスクである「ライフマスク」が手放せなくなった未来。ガザに暮らす少年アフメドは、とある「復讐」を果たすため、町で工務店を営む男性ユーセフのもとを訪れ、工務店で働きながら機会を伺っている。ある日、終業後のユーセフのあとを尾けたアフメドは、彼の秘密を目にすることとなる……。