日本を代表する三谷ワールドの新作映画
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)などでも有名な日本を代表する脚本家、三谷幸喜。三谷幸喜の映画監督9本目にあたる『スオミの話をしよう』が2024年9月13日(金)に全国の劇場で公開された。『スオミの話をしよう』は三谷幸喜が監督と脚本の両方を務める作品であり、今回は人によって印象が変わる女性“スオミ”を中心に俗に言う”三谷ワールド”が展開される。
本記事では『スオミの話をしよう』のラストについて解説と考察、感想を述べていこう。なお、以下の内容は『スオミの話をしよう』のラストの重大なネタバレを含むため、劇場で本編を鑑賞した後に読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『スオミの話をしよう』の内容に関するネタバレを含みます。
Contents
『スオミの話をしよう』ラストネタバレ解説
スオミが消えた朝
著名な詩人、寒川しずおの妻であるスオミが行方不明になった。スオミが最後に目撃されたのは昨日の朝、寒川と前妻の子供を車で送り迎えをしていた姿だった。頑なに警察沙汰にしたくない守銭奴の寒川に対し、寒川の世話係の乙骨直虎に呼び出された神経質な警察官の草野圭吾はきちんと捜査すべきだと訴えている。
寒川と草野の関係性は奇妙である。寒川と草野の関係性とは、寒川はスオミの現在の夫、草野はスオミの前の夫ということだ。草野の部下である小磯杜夫は別れた妻の現在の夫と交流を持つ草野に驚きを隠せない。小磯の驚きはそれだけではなかった。
何と、次から次へとスオミの夫だった男性が現われるのだ。スオミの中学時代の体育教師であり、現在は寒川邸の庭師を務める魚山大吉。マルチ商法で検挙された経験を持つ怪しげなYouTuberの十勝左衛門。捜査二課の係長の宇賀神守。全員、性格も生活スタイルも異なる上、彼らが語るスオミの姿はあまりにもかけ離れていた。
五人五色のスオミの姿
最初の夫である魚山曰くスオミはツンデレな性格で、得意なことは相手に合わせて性格を変えることだという。スオミは料理は出来ず、これまで寒川がスオミの料理だと思っていたものはすべて魚山が作っていたものだった。
2番目の夫の十勝もスオミは頭が良く、相手に合わせて性格を変えるため、人によってスオミの印象は違うものになると語っている。スオミは独身の期間がほとんどなく、スオミは十勝に決断を任せてついてきてくれる存在だったという。
急にスオミに対する印象が変わるのは、3番目の夫の宇賀神だった。宇賀神はスオミを上海出身の中国人で、中国語しか話せない女性だと思っていた。これは十勝のアドバイスによるもので、警察の厄介になりそうなときは外国語を話して日本語の通じない人間のふりをした方が良いという作戦からきていた。
4番目の夫である草野はおっちょこちょいで運転が下手、事務仕事など段取りをつけることが苦手で、自己肯定感の低い女性としてスオミを覚えていた。そのため、草野は離婚後も寒川との再婚などの手続きを手伝っていた。
5番目の夫である寒川曰く、スオミは車の運転が上手で息子のお弁当を作ってくれていた女性だった。スオミは寒川の息子の学校で役員も務めてくれるなど、良妻賢母だったとのことだ。そのあまりにもかけ離れた人物像にスオミと一度も会ったことのない小磯は混乱する。
トロフィーワイフになった女性と男性の支配欲
それぞれが各々のスオミとの結婚を回想するが、回想の中のスオミに対する対応に一つの共通点が見えてくる。それはみんな、無自覚だったとしてもスオミをコントロールしようとしているということだ。
5番目の夫である寒川は十勝から指摘される通り、スオミを「トロフィーワイフ」として扱っており、服やジュエリーを与えるが自由は与えていない。トロフィーワイフとは男性がステータスシンボルのために結婚する女性のことであり、容姿が優れている女性を文字通りトロフィーのように連れていたいという身勝手な考え方である。
『スオミの話をしよう』では他の夫たちもトロフィーワイフ扱いはしていなくても、スオミをコントロールしようとしていると思われる。1番目の夫である魚山はレストランにスオミを連れて行っても、食事などではカロリーを過度に気にして雰囲気を壊している。2番目の夫である十勝もビジネスをスオミに任せているとは語りつつ、話の主導権やビジネスの決定権は十勝が握っている。
3番目の夫である宇賀神はスオミと言葉が通じず、とにかく物を与え続けることで自身に愛情を注ぐように求めていた。4番目の夫である草野は特に顕著で、その言葉は柔らかく聞こえるがスオミの人格を否定し、決定権を草野自身が握らなければ気が済まない性格だ。
スオミはそれぞれ自分の妻を支配しようとする夫たちに対して性格を変えることで対処してきた。性格を変えることはスオミにとって処世術であり、自己を消すことで常に理想の女性を演じ続けていたのだ。
これらのことから、『スオミの話をしよう』はコメディの形を取っているが、その内容は家父長制やマチズモ(男性優位主義)が根底にあると考察することが出来る。5人の夫を翻弄するスオミの存在は家父長制やマチズモへの一種のアンチテーゼではないだろうか。
スオミの誘拐の話をしよう
誘拐犯からの電話がかかってきたことでスオミが誘拐されたことが明らかになると、夫たちは誰がスオミにとっての一番かを競い合う。犯人はスオミの身柄と引き換えに3億円を要求するが、詩人が実は金持ちだったというイメージが広まることを恐れる寒川は身代金を出し惜しみする。
自分は月に何回、スオミに会っていた。自分はスオミにお小遣いを上げていた。そんな誰の得にもならない自慢話を続け、スオミの安否よりも自分の男らしさを強調しあう夫たちの姿は、『スオミの話をしよう』がマチズモ(男性優位主義)や男性ならばこのようにしなければならないといった「有害な男らしさ」の馬鹿馬鹿しさを描いていることを感じさせる。
守銭奴がボストンバッグに詰めるはずだった3億円を出し惜しみ、空のアタッシュケースで誤魔化したことで誘拐犯との取引は失敗に終わる。落胆する夫たち。しかし、犯人が提案してきた身代金の渡し方が、「1億5千万円ずつボストンバッグに詰めてセスナ機で相模原公園のフラッシュライトめがけて落とす」というセスナ機を持っている十勝がその場にいなければ不可能なものだったことで、小磯はこの状況をつくるには内通者が必要だと推理した。
それを聞いた夫たちは疑心暗鬼になる。お互いを疑う際にところどころでスオミの存在がすっぽ抜けている点が、自分が如何に男らしいかを誇示し合っていた夫たちの馬鹿馬鹿しさを描いていて滑稽だ。このような夫たちのドタバタも『スオミの話をしよう』の魅力であり、誘拐という犯罪を題材にしておきながら重くなり過ぎないようにしていると考えられる。
小磯は金を出し渋っていた寒川を疑っていたが、草野があぶり出した真の内通者は乙骨だった。しかし、乙骨一人ではこれほどまでに大規模な誘拐は実行できない。すべての事件には黒幕がおり、その黒幕こそ、スオミだった。
事件の結末
スオミの狂言誘拐は乙骨と、スオミの中学生からの幼馴染である島袋薊(あざみ)が関わっていた。特に薊はすべての夫と何かしらの形で出会っており、魚山にとっては生徒、十勝にとっては事務員、宇賀神にとってはスオミの従姉妹、草野にとってはリフォーム業者、寒川にとってはママ友と姿を変えて現れていた。そして、今度はスオミの顧問弁護士として現われたのだった。
『スオミの話をしよう』の夫たちはスオミをコントロールしようとしているつもりで、実は終始、スオミと薊に上手くコントロールされていたのである。人間を完全な支配下に置くことなどできない。生き物は自由を求める存在だ。スオミと薊は相手の理想像に姿を変えることで、夫たちの支配下から逃れていたと考えられる。
ラストでスオミは髪型を変えることでこれまで演じてきた性格を演じ分け、他人に合わせて創り上げたキャラクターの言葉にのせることで本心を打ち明ける。スオミは母親が三度離婚しており、離婚して父親が変わるたびに性格を変えて理想の娘を演じてきた。それは大人になっても変わらず、会う相手ごとに理想の人物像を演じることで生きてきた。
子どもの頃から作り話が上手く、周囲の人間の雰囲気を読み取り、それに合わせて姿を変えてきたスオミ。コメディとして描かれているが、常に他人の理想像であり続けることの苦労は計り知れない。
事実、そのような生活は長続きせず、性格を変える処世術と本当の自分がわからないことによる疲労が原因で結婚と離婚を繰り返し、極端に独身期間が短いスオミの今の人生が出来上がっていた。そのため、5人の夫すべてが本当の意味でスオミを愛してはおらず、自分の望む女性像をスオミに押し付け、その女性像を愛していたのだった。
スオミのその後の話をしよう
スオミは狂言誘拐で得た3億円で、フィンランドのヘルシンキに高飛びして薊と共に余生を過ごそうとしていた。そもそも「スオミ」はフィンランド語で「フィンランド」を意味する言葉で、外交官であったスオミの父親が最も愛した街がヘルシンキだった。
お金を貯めなければと漏らすスオミに、十勝が5千万円出すと声をかけるが、スオミは十勝の事業が上手くいっていないことを見抜いていた。レンタカーを意味する“わ”ナンバーをペンで塗りつぶして“ね”ナンバーにするなど、十勝が虚勢を張っている姿は滑稽であるが、この男らしさを演出するために虚勢を張る行為は『スオミの話をしよう』に登場するすべての男性キャラクターが行なっているものだと考察できる。
今回は狂言誘拐ではあったものの、スオミは男の理想像に合わせて生きる今の人生から連れ去ってほしかったのだと考えられる。その連れ去ってくれる存在は『スオミの話をしよう』では白馬の王子様などではなく、中学生の頃から長年共に過ごしてきた幼馴染の薊だったのではないだろうか。
『スオミの話をしよう』のラストでは、スオミは寒川との離婚届を草野に託し、寒川邸を去った。これで自由な身になったと思われたスオミだったが、結局、自分の顔を知らなかった小磯を次のターゲットにするのだった。「三つ子の魂百まで」というが、スオミは子供の頃から他人に合わせることしか、自身のアイデンティティを確立させる方法を知らなかったのだと考察できる。
『スオミの話をしよう』ラストネタバレ考察&感想
馬鹿馬鹿しい男らしさ
『スオミの話をしよう』は変幻自在にイメージを変えるスオミに注目が集まっている作品だが、スオミが姿を変える理由はスオミにあるのではない。スオミは周りの男性が理想とする女性像に姿を変えていることが読み取れる。ある意味でスオミはカメレオンのようなキャラクターなのだ。
変幻自在にイメージを変えるスオミに振り回される夫たちは、お互いにどちらが男らしいかを主張し合っている。それが原因でスオミが誘拐されているのにもかかわらず、虚勢を張ることが優先される場面も多い。
清々しいまでに男らしさの有害さと馬鹿馬鹿しさを描いた『スオミの話をしよう』は、コメディ作品としての爽やかな笑いの中にピリリと社会風刺が込められた作品だと感じることができる作品だった。
良いところもあった夫たち
夫たちが男らしさを誇示するために虚勢を張るのは馬鹿馬鹿しいし、もし狂言誘拐ではなく本当にスオミが誘拐されていたとしたら笑いごとでは済まされない。それでも『スオミの話をしよう』は狂言誘拐であったため、その男らしさを誇示しようとしていた夫たちを笑うことができる。
『スオミの話をしよう』のラストシーンで宝塚歌劇団のようなミュージカルが描かれるが、そこでは夫たちは有害な男らしさを持っていただけではなく、良いところもあったとスオミが歌にのせて紹介する。
これは1番目の夫である魚山も言っていたことだが、人間は一面だけ見ても理解できず、多面的な存在であることを理解しなければならないということを意味していたと考察できる。確かに悪いところもあった夫たちだったが、完全な悪人ではなく、あくまでも普通の人々ということではないだろうか。
コメディ作品として清々しく有害な男らしさの馬鹿馬鹿しさを笑い飛ばしつつ、普通の人々である観客たちに自分も有害な男らしさを誇示していないかと問いかけてくる作品になっていた『スオミの話をしよう』。
また、有害な男らしさを振りまいていないかを問いかけると共に相手に合わせて性格を変えることでしか生きられず、それに疲れているスオミのような人々に自分を取り戻すように訴えている面もあるのかもしれない。どちらにしても、『スオミの話をしよう』は人間と同じく多面的な存在であることは確かだ。
『スオミの話をしよう』は2024年9月13日(金)より全国の劇場で公開。
『スオミの話をしよう』のサウンドトラックは発売中。
監督と脚本を務めた三谷幸喜の著書『三谷幸喜 創作の謎』は予約受付中。
『スオミの話をしよう』で語られるトロフィーワイフについてはこちらから。