日本発のシェアードユニバース
塚原あゆ子が監督を務め、脚本家に野木亜紀子を起用、プロデューサーとして新井順子がまとめ上げた『アンナチュラル』(2018)と『MIU404』(2020)のシェアードユニバース作品である『ラストマイル』が2024年8月23日(金)に全国の劇場で公開された。『ラストマイル』脚本家である野木亜紀子によって緻密に描かれた物流における社会問題を、塚原あゆ子監督と新井順子プロデューサーが丁寧に描き出す。
本記事は『ラストマイル』で描かれるラストと社会問題について解説と考察、感想を述べていこう。なお、本記事は『ラストマイル』の結末に関するの重要なネタバレを含むため、劇場で本編を鑑賞後に読んでいただきたい。また、本記事には自殺に関する描写が含まれるため、注意してただきたい。
以下の内容は、映画『ラストマイル』の内容に関するネタバレを含みます。
Contents
『ラストマイル』ラストネタバレ解説
大手通販サイト「デイリーファースト」
ブラックフライデーが迫った大手通販サイト「デイリーファースト」。社員9人に対し、800人の派遣社員で運営される西武蔵野ロジスティクスセンターは非常にシステマチックかつ、合理的に動くように計算されつくされていた。西武蔵野ロジスティクスセンターに新しいセンター長として赴任してきた舟渡エレナは、チームマネージャーの梨本孔と共にノルマを達成すべく働く。
ここでは正社員と派遣社員の間に深い溝がある描写がなされる。その代表例がエレナの移動方法だ。多くの派遣社員がバスですし詰め状態で西武蔵野ロジスティクスセンターに送られ、保安所を通るのに対し、エレナは一人タクシーで移動している。これは使う者と使われる者の間にある深い溝を象徴を意味していると考えられる。
デイリーファーストの目玉商品であるデイリーフォン1万台販売と、西武蔵野ロジスティクスセンターの稼働率70%以上の維持を目標にしていたエレナのもとに警察から連絡が届く。警察の連絡とはデイリーフォンを受け取った瞬間に箱が爆発し、受け取った顧客が焼死したというショッキングなものだった。
エレナのその後の心情の吐露を考えると、この事件がある種のスイッチになっていたのではないだろうか。最後で明かされたエレナの中に合った不安や焦り、職場復帰後ということもあってミスが出来ないという強迫観念がデイリーフォンの出荷一時停止という無理難題に繋がったと思われる。
そして、会社の株価が下がることを防ぐため、やむなくエレナはすべてのデイリーフォンの出荷中止を実行する。出荷中止は現場に混乱を招き、そのしわ寄せは商品配送の60%をデイリーファーストに依存している羊急便が影響を受けることになった。
さらにそのしわ寄せのしわ寄せは羊急便と業務委託を結んでいる佐野親子にも波及していった。特に業務委託されている佐野親子は一つ届けることで150円、受け取ってもらえなければ一銭にもならないという過酷な労働環境だった。
佐野親子は大企業や中小企業とも違う個人事業主として、『ラストマイル』での国民の目線を表現していると考えられる。届けなければ報酬はもらえないのに、上の指示で出荷停止を命じられたり、顧客から断られる。雨の中、休み時間を削ってでも配送を続ける姿が使われる立場に置かれてしまった者にも人生があることを感じさせる。
そのような佐野親子を描くからこそ、『ラストマイル』は雲の上の話ではなく、身近な物流を描いた映画になったと思われる。佐野親子は私たち自身であり、佐野親子がいるからこそ、社会は成り立っているのだ。
デイリーファウスト
インターネット上ではデイリーファウストというアカウントがSNSに「#あなたがほしい物は」という投稿をし、一連の投稿の中で「熱いものを1ダース」という爆破予告をしていた。爆破予告を見つけたエレナは警察に通報しようとした孔を止め、もみ消そうとする。
エレナが一度精神に不調をきたし、3か月間休職してきたことを考えると、この行動の意味は単なる保身ではないことが読み取れる。エレナはここで失敗してしまえば、自分は使い物にならない人材だと烙印が押されてしまうことを恐れている。そこで、カウンセリング通って薬飲んでも駄目になるという旨の発言をしていたのではないだろうか。
そこまでしてエレナがデイリーファーストのノルマを達成しようとしていた頃、上司である五十嵐道元は爆弾騒ぎを利用してブラックフライデーをさらに盛り上げようと画策していた。警察は西武蔵野ロジスティクスセンターに犯人が狙いを定めていると睨み、差し押さえ令状を裁判所から持ってきていた。
エレナは物流を止めないために出荷直前で警察による調査、羊急便にはX線検査機を導入させて対応する。このしわ寄せはやはり孫請けの業務委託先の配達作業員たちが受けることになる。そのようなことを知る由もなく、エレナはデイリーファーストではなく、羊急便に非があるようなプレスリリースを発表していた。
自分は駄目などではないという意識を強く持とうとするゆえに、エレナは無意識に羊急便や佐野親子を傷付けてしまう。エレナがこの過ちに気付くのは、ラストで自分の心情を孔に吐露してからなのだが、それまでは観客は八木竜平など羊急便や佐野親子の視点に立つことになる。
デイリーファーストの歪な構造
最後に向ってエレナの正体が明らかになっていく中で、デイリーファーストの歪な構造も明らかになっていく。警察が犯人だと睨んでいた山崎佑はエレナのより前の社員であり、西武蔵野ロジスティクスセンターで「ブラックフライデーが怖い」と言い残して飛び降りして5年間昏睡状態にあった。
エレナもまた、山崎佑と同じくブラックフライデーを恐れ、精神に不調をきたしてしまった人物であることを初めて吐露する。そうすることでエレナはようやく山崎佑が西武蔵野ロジスティクスセンターに何を残したのかを理解できるようになる。
かつてエレナはセンター長になって3年目で心身ともに疲弊した上で3か月休職していた。その復帰として最初の職場が西武蔵野ロジスティクスセンターだった。その話を聞き、孔はロッカーに残された文字を思い出す。それは代々、センター長の間で受け継がれてきたもので「2.7m/s→0」と「70kg」という文字だった。
「2.7m/s→0」と「70kg」は映画の冒頭からロッカーに残された文字として登場している。しかし、誰も気に留めることはなかった。その誰も気に留めることのなかった文字の意味にこそ、山崎佑の想いが込められていた。これによって観客も無自覚に山崎佑を追い詰めた加害者側に回っていたことに気付かされる。
この文字の意味は西武蔵野ロジスティクスセンターで使われているベルトコンベアの速度と耐久重量と同じだ。山崎佑はベルトコンベアに飛び降りることで、人間性の欠如したデイリーファーストの社内構造を告発しようとしたのだ。しかし、山崎佑の飛び降り後もベルトコンベアは止まらなかった。
薄れゆく意識の中、最後に山崎佑の目に映った再稼働するベルトコンベアの姿は絶望的なものだっただろう。その直前、五十嵐が「死んでもベルトコンベアを止めるな」と発言している。文字通り、山崎佑が死にそうになってもベルトコンベアは止まらなかった。この場面は『ラストマイル』の中で最も印象的かつ、最も絶望的な場面になっている。
連続爆破事件の犯人
連続爆破事件の犯人は山崎佑の恋人であった筧まりかであった。筧まりかは普段は広告代理店に勤め、デイリーファウストというアカウントの運営や広告動画を制作していた。そして派遣社員として西武蔵野ロジスティクスセンターに勤め、爆弾を仕込んでいたのだ。
ラストで筧まりかが犯人だとわかったことで、爆弾を仕込んだ方法も解明される。しかし、それはブラックフライデーを前にした西武蔵野ロジスティクスセンターの過酷な労働環境と、デイリーファーストが買い叩いた運送会社が置かれている現状を意味していた。
ここで犯人を追うと決めたエレナは、これまでの会社に従順で資本主義を体現したような姿ではなく、人間らしい泥臭さと勇気が感じられた。ある意味ではラストのデイリーファーストという会社に背を向けて爆弾テロを止めようとしていたこの時こそ、エレナは一番自社の製品に誇りを持っていたのかもしれない。
筧まりかのトリックを解き明かしてから、エレナははじめて羊急便の関東局で、デイリーファーストの仕事を請け負っていた八木竜平に会いに行く。八木はもう疲れ果てており、これまでのエレナの指示のせいで現場が崩壊していたため、エレナの言葉を信じない。それでもエレナは八木にとある提案をする。
運送会社のストライキ
ジムでトレーニングしていた五十嵐のもとにエレナが訪ねてくる。そこでエレナが見せた映像は集配センターに集まったドライバーたちがストライキを起こす姿だった。このストライキは関東全域に広がり、それによって運送会社はデイリーファーストの仕事を受けないことを決める。
一度、爆弾で死にかけたドライバーたちにもう恐れはなかった。私たちが平然として利用している郵便や運送は機械ではなく、人が動かしていることを痛感させられる場面だ。彼女ら・彼らエッセンシャルワーカーの存在が日々の生活を支えており、大企業とはある意味でその恩恵を受けているだけに過ぎないことが理解できる。
デイリーファーストへのストライキは羊急便だけではなく、他の大手運送会社も同意したものだった。すべては運送会社が安く人件費を買い叩かれたことによる運送業の軽視を危惧したものだったのだ。運送会社がストップしたことで派遣社員は急遽休みになり、会社都合の休みであるため時給が発生している。
すべてはこの世界をシステマチックな構造が支配しているという間違いから始まったと考えられる。この世界、つまりは社会を支配しているのは人間なのだ。『ラストマイル』でエレナが言葉を使っているつもりが言葉に使われていることを指摘する場面があるが、この場面は構造を使っているつもりで構造に使われている社会に対して警鐘を鳴らしているのではないだろうか。
ニューヨークの株式市場が開くまで残り数時間。それまでデイリーファーストジャパンが運送会社のストライキと交渉の席に着き、ストライキを解決した上、派遣社員を呼び戻さないとならない。そんなことは不可能に近く、デイリーファーストジャパンのトップである五十嵐の失脚は確実だった。
間違った解決方法
最初の被害者の遺体の検視が進められていく中で、被害者が戸籍上の男性ではなく女性であることが明らかになる。最初の被害者こそ、すべての爆破事件を引き起こした筧まりかだったのだ。
筧まりかはホームレスの戸籍を買い、別人として生活していたのだ。そして顔の火傷だけ他と異なることから、部屋をガスで満たして火をつけた後、爆弾の起爆スイッチを押したのだ。筧まりかは恋人の山崎佑同様、命をかけて社会の構造の歪さを訴えようとしていたのだ。
筧まりか、山崎佑、舟渡エレナ。全員が何か心に傷を負っており、人間性の欠けた社会の仕組みに苦しめられていた。それぞれは同じ苦しみを抱えており、理解し合えたはずだった。それでも、お互いが社会のルールに囚われ、誤った方法を選んでしまった。
誰もがわかり合えたはずなのに、わかり合えなかった。遠いようで身近な存在。人間同士のあるべき距離感というものを感じさせる描写であった。本来ならば、エレナと山崎佑は同じ会社で働いているため、痛みを共有できたかもしれない。それでも巨大化しすぎた構造がそれを拒んだのだった。
最後に佐野親子によって最後の爆弾が食い止められ、すべての爆弾事件が解決した後、エレナはデイリーファーストを辞める決心をする。デイリーファースト本社はアメリカからエレナを送るなど、爆弾事件が起きることを知っていたのだった。エレナはそれに失望したのだ。
エレナの次のセンター長は孔が引き継ぐという。来年にはブラックフライデーはまた来る。山崎佑は目覚めない。運送会社の賃金も一個150円から170円に上がっただけだ。『ラストマイル』はハッピーエンドとは言い難いものだったが、少しずつ前に進む最後であった。
『ラストマイル』ラストネタバレ考察&感想
虚構ではないデイリーファースト
デイリーファーストは完全な虚構ではない。大手通販サイトの労働環境問題は現実に起きている。その最たる例ではAmazonの集団訴訟だ。2024年5月24日(金)には労働者側が業務委託の配達員が直接雇用された労働者と同じ働き方をしているにもかかわらず、残業代が支払われないのは違法だとして集団訴訟を起こしている。
Amazonもデイリーファーストのように、非常に機械的な仕組みで労働者を扱っているとして槍玉にあげられる企業だ。デイリーファーストによってAmazonのような大手通販サイトの問題を描くだけではなく、運送会社が安く買い叩かれているという現状も『ラストマイル』では描いていると考察できる。
それに対し、2024年4月からトラックドライバーの時間外労働の960時間上限規制と改正改善基準が告示されることによって労働環境を変えようという試みはある。しかし、それによってトラックドライバーの人材不足が叫ばれている。運送業の労働環境を変えようとしても、簡単に変わらない。しかし、『ラストマイル』で描かれているようにう運送業者とは国の血管だ。
物流という国の血流を止めるわけにはいかない。問題は運送業者という赤血球を安く買い叩いている大企業との関係性だ。『ラストマイル』では、それを変えようとする人々の姿が描かれた。その中には飛び降りや爆弾テロなど誤ったものもあった。それでも『ラストマイル』は社会に訴えかけるものがあった映画だと言えるだろう。
心の傷を癒すこと
『ラストマイル』でテーマとなったのが、心の傷とどのように向き合うのかということだ。主人公の舟渡エレナは当初、会社に従順な人間であるように見える。しかし、物語が進んでいくと山崎佑と同じく心に深い傷を負った人物であることがわかる。
舟渡エレナは3年間という月日によって心が折れ、休職した。山崎佑も同じように心が折れ、ベルトコンベアに飛び降りるという行為に走った。二人は同じ仕事で、同じように心が折れた。二人の違いは何だったのだろうか。
これは舟渡エレナの方が精神的に強かったとか、山崎佑の方が精神的に弱かったとかそんな問題ではない。二人のその後を分けたのは偶然としか言いようがない。一度、ぐしゃぐしゃになった心は簡単には戻らないのだ。
舟渡エレナはラストの後どうなるのだろうか。『ラストマイル』は社会の構造によって人の心が折れていく様子が丁寧に描かれている。『ラストマイル』を見て、世界が少しだけでも良くなることを願いたい。
映画『ラストマイル』は2024年8月23日(金)より全国の劇場で公開。
『ラストマイル』OFFICIAL BOOKは東京ニュース通信社より発売中。
『ラストマイル』オリジナル・サウンドトラックも発売中。