死刑囚との結婚からはじまる駆け引き
世間を騒がせたバラバラ死体の連続殺人事件、通称“品川ピエロ”事件。その犯人と結婚して情報を聞き出そうとする男と犯人の女の駆け引きを描いた『夏目アラタの結婚』が2024年9月6日(金)より全国の劇場で公開された。原作は『医龍-Team Medical Dragon-』(2002-2011)の作画を手掛けた乃木坂太郎で、「次にくるマンガ大賞 2020」U-NEXT特別賞コミックス部門を受賞した名作だ。
本記事では映画『夏目アラタの結婚』のラストについて、解説と考察、感想を述べていこう。なお、以下の内容は映画『夏目アラタの結婚』のラストに関する重大なネタバレを含むため、劇場で本編を鑑賞後に読んでいただきたい。また、以下の内容は残酷な描写に触れるため、注意していただきたい。自殺描写にも触れているため、注意していただきたい。
以下の内容は、映画『夏目アラタの結婚』の内容に関するネタバレを含みます。
Contents
映画『夏目アラタの結婚』ラストネタバレ解説
品川ピエロとジョン・ゲイシー
2021年の秋。近隣住民から異臭がするという通報が警察に入った。異臭のもとであるアパートの一室に入った警察はバラバラ死体を袋詰めにする女を逮捕する。死体を処理していた女の名前は品川真珠。そのときに品川真珠がピエロのメイクをしていたことからこの事件は“品川ピエロ”事件と呼ばれるようになる。
この大柄な体格で、ピエロのメイクをした人物が死体を近隣の川などに遺棄していたという点から、モデルはアメリカの連続殺人犯ジョン・ゲイシーだと考察できる。性別は違うがジョン・ゲイシーは、殺人を犯していない平時は子供の誕生日会などでピエロの恰好をしていたことから“殺人ピエロ”というあだ名がつけられた。
その他にも藤田信吾という死刑囚に関するアイテムをコレクションする男がいるのも、ジョン・ゲイシーと品川真珠は共通している。ジョン・ゲイシーは判決で死刑を言い渡され、その後に獄中で描いたピエロの絵は高額で取引されている。そのコレクターの一人として有名なのが俳優のジョニー・デップだ。
死刑囚に近づき過ぎると取り込まれると夏目アラタは藤田信吾から忠告を受けるが、これもジョン・ゲイシーに関する事件をモデルにしていると考察できる。ジョン・ゲイシーは連続殺人犯の心理に興味を持っていたジェイソン・モスという優秀な学生と文通をしていた。
文通はやがて電話になり、殺人を犯した理由を教えてあげると言ってジェイソン・モスとジョン・ゲイシーは面会することになった。連続殺人犯の心理に興味を持ち、彼らとの文通を趣味としていたジェイソン・モスはもちろん面会を承諾した。
ジョン・ゲイシーはその頃、再審請求をしていたが、監視カメラの死角にジェイソン・モスを誘い出すと、殺害を試みた。ぎりぎりのところで通りかかった看守によってジェイソン・モスは救出されたが、この事件が決定的となり、ジョン・ゲイシーの再審請求は却下された。
これ以降、ジェイソン・モスは連続殺人犯との文通を辞めた。その後、ジェイソン・モスはミシガン大学を卒業して犯罪被害者の弁護士となったが、大学卒業後の4年後に自殺してしまった。このように品川真珠のような周囲の人間を取り込み、支配してしまうような連続殺人犯は実在しているのである。
品川真珠との結婚生活
児童相談所で働く夏目アラタは首がまだ見つかっていない被害者の一人、山下良介の息子の山下卓斗が夏目アラタ名義で品川真珠と文通していることを知る。夏目アラタは山下卓斗に山下良介の首の隠し場所を聞き出すと約束し、品川真珠の面会に向かうのだった。
夏目アラタが山下卓斗の望みを聞いたのは、もちろん同情もあるが、本当の理由は同情ではない。夏目アラタは山下卓斗が品川真珠との文通を楽しみはじめていることを察知し、それによって彼が一線を越えることを危惧していたのだ。
この点は前述のジェイソン・モスと似ている。ジェイソン・モスも連続殺人犯との文通を趣味としており、それによって連続殺人犯の心理に近づき過ぎた結果、ジョン・ゲイシーの最後の被害者になるところだった。
品川真珠との面会にこぎつけた夏目アラタだが、会ってすぐに手紙の主ではないことを見抜かれてしまう。1日20分しかない面会時間で山下良介の首を見つけるには、毎日のように面会をして品川真珠の心を開くしかない。その第一歩を失敗しそうになった夏目アラタは咄嗟に「結婚しよう」と口に出してしまった。
品川真珠改め、夏目真珠となった真珠は夏目アラタだけではなく、その同僚の桃山香や自分の私選弁護人の宮前光一を振り回していく。真珠は夏目アラタに自分は無実だと言い、宮前光一を喜ばせたと思えば、その口で夢を見たと語り、見つかっていない死体の隠し場所を話す。
次に真珠は夏目アラタがタイプだと言って口にした彼の同僚の桃山香を呼び出すと、彼女を挑発して怒らせる。そして怒る桃山香に対して憧れているというなど、支離滅裂な言動を繰り返して、周囲の人間は真珠を理解しようとするあまり深みにはまっていく。
夏目アラタは真珠の過去を探る中で、彼女が8歳の頃に「田中ビネー知能検査」でIQ70という低い数値だったのにも関わらず、逮捕後の20歳に受けた「田中ビネー知能検査」ではIQ108と急激に高くなったこと。真珠は歯医者にも行かせてもらえず、高カロリーな食事しか与えられていなかった被虐待児だったことを知る。しかし、児童相談所の職員である夏目アラタは真珠の幼少期のトラウマを掘り下げるべきではないと考える。
IQの平均は100であり、90から109が平均値内だとされる。真珠のモデルになったと考えられる殺人ピエロと呼ばれたジョン・ゲイシーもIQは高かったとされる。それを考えると、幼少期の真珠のIQ70は「境界線級」とされるものなのに対し、20歳になるとIQ108という比較的高い数値になる異常性を読み取ることが出来る。
本物の“品川真珠”と偽物の“品川真珠”
真珠は何度も証言を変え、父親である三島正吾にストーキングされ、死体の処理を手伝わされていたと審理で言うが、その後の審理では死刑で良いと言い出す。どれが本物の証言かわからないまま、裁判は続くが、夏目アラタに対しては死体の隠し場所を話す。
検察は現場に残されていた血液が三島正吾のものであり、DNA鑑定で真珠と三島正吾の間に血縁関係が無いことを明らかにする。その上、これまでの殺害方法は毒殺であり、看護学校に通っていた真珠ならば可能だが三島正吾には不可能だと結論づける。
拘置所のガラス越しではあるが、夏目アラタと真珠の関係性は完全に一線を越えており、藤田信吾に忠告されていた通りの死刑囚に取り込まれている状況になっていることが考察できる。その忠告を受けても夏目アラタは諦めず、本音のやり取りをしようと真珠に話し、「お前をただ人殺しだと思っている」という旨の発言をし、直接山下良介の首をどこに隠したのか聞くのであった。
真珠は本音で話し合うことを承諾すると、自分が死んだら母親の品川環と同じ墓地に埋めてほしいと語る。母親の墓には真珠のネックレスのようなマークが彫られており、必ず土葬にするようにと頼み込む。夏目アラタは不審に思い、品川環の育った新潟へと向かう。
そこで森の木の株に真珠のネックレスのようなマークがあるのを見つけると、夏目アラタはその手作りの墓を掘り返す。そこにはアタッシュケースが埋められており、中には生後5か月の赤ん坊の遺体と品川真珠と記されたへその緒を入れた箱が入っていた。この赤ん坊が本当の品川真珠だとした場合、夏目アラタと結婚した真珠は何者なのだろうか。
本物の“品川真珠”が発見されたことで、偽物の“品川真珠”が置かれている状況が見えてくる。それは品川環と三島正吾の間に生まれた本物の“品川真珠”は生後5か月で死亡し、それを隠すために直後に妊娠した赤ん坊を偽物の“品川真珠”として育てたというものだった。
偽物の“品川真珠”は逮捕時18歳であり、2歳も年を誤魔化しながら生活を続けていた。IQの数値が低かったのは6歳児で8歳児用のテストを受けさせられたためであり、高カロリーな食事は発育の遅れを肥満で誤魔化すため、歌声が変わると言って歯の治療を受けさせなかったのは乳歯から永久歯への移行具合で戸籍上の年齢との誤差が明らかになってしまうからだった。
歯の治療記録というものは遺体の身元証明で用いられるほど、重要なものであり、焼死体になるなどして指紋が焼けてしまっても歯の治療記録から身元を辿れるほどである。そのような意味では歯の治療を受けた人物は犯罪の有無を問わず身体的な個人情報が登録されていると言ってもいい。
日本では歯の治療記録を電子化している病院や、紙で記録している病院などさまざまだが、火事などで多数の死傷者が出た場合は歯の治療記録を各病院に提出するように求めることもある。そのため、虫歯が出来ても品川真珠が偽物の“品川真珠”だと悟られないようにするためには歯医者を受診させるわけにはいかなかったのだ。
一方で、歯並びが変わることで歌声が変わるというのも嘘ではなく、歌声を良くするために歯の矯正を受ける歌手や、声を良くするために歯並びを治療する声優なども実在している。この歯の治療を受けさせないというのは大人にも通用する嘘だったと考察できる。
ヘルスケア・シリアルキラー
裁判の焦点は逮捕時、偽物の“品川真珠”が未成年だったかどうかに変わり、やり直し裁判が行なわれることが決定した。その僅かな一瞬に法の網をかいくぐって夏目アラタと真珠は逃亡に成功した。
しかし、真珠はホテルで夏目アラタが「雨の中、裸足で放置されていた可哀想な子どもを救いたかった」という話を聞くと、夏目アラタが寝ている間に外出して再逮捕されたのであった。
夏目アラタに離婚届を送った真珠は、裁判ですべてを語る。真珠はかつて母親の環が心中しようとしたのを止めたが、環がそれ以降辛そうにしているのを見て、死なせてあげるべきだったと感じたとのことだった。
真珠はそれ以降、看護学校に通いアルバイト生活をするようになってからは死にたがっている人間を毒殺し、その死体を処理していたとのことだった。第一の被害者の周防英介も、第二の被害者の相沢純也も、第三の被害者の山下良介も世間的には成功していたが、実際は人生に疲れ切っており、死を望んでいたということだった。
このような連続殺人犯をヘルスケア・シリアルキラーと呼ぶ。ヘルスケア・シリアルキラーは主に医療現場の殺人を行なう犯罪者で、医者や看護師の立場を利用して患者を故意に殺傷する連続殺人犯だ。
ヘルスケア・シリアルキラーは主に三つの類型に分けられる。看護師や医者の立場を利用して無力な患者に対して支配欲を満たす「サディスティック」、患者を自ら危険な状況にして救命する「偽のヒーロー」、そして患者は苦しんでいるやもう手遅れだと決めつけて殺人を犯す「慈悲殺人者」の三つだ。真珠は自殺ほう助の面が強いが、「慈悲殺人者」に区分されると考察できる。
真珠がヘルスケア・シリアルキラーとしてではなく、慈悲を持たずに殺害したのは義理の父親にあたる三島正吾だけだった。三島正吾は本物の“品川真珠”と偽物の“品川真珠”のからくりを知っている人物であり、戸籍上存在しない偽物の“品川真珠”の存在を否定していた。存在を否定されたことで偽物の“品川真珠”は怒りで三島正吾を殺害したのだ。
可哀想な子ども
殺人の真相はあくまでも偽物の“品川真珠”が語っていることであり、偽物の“品川真珠”は俗に言う“信用できない語り手”である。そのため、実際は偽物の“品川真珠”は別の理由で連続殺害を実行していたかもしれない。
しかし、偽物の“品川真珠”が周囲の人物から幼少期より可哀想な子どもとして見られていることに劣等感を抱いており、夏目アラタが「可哀想な子どもを救いたかった」と語った際にその言葉に傷ついたのは確かだった。
真珠は自分を夏目アラタが「ただの人殺し」だと見抜いたときから、自分のことを可哀想な子どもとして扱わない存在として愛していたのだった。そこで夏目アラタは最初から真珠が周囲を翻弄する気などなく、自分をただの殺人犯として扱ってくれることを望んでいたことを知る。
ラストで夏目アラタは真珠を含めた子どもたちを可哀想な子どもと当てはめ、自分は自分の家庭環境と比べてあの子どもよりはましだと思いたかったのではないかと考えてしまう。弁護士の宮前光一はそれでも人を助けているのだから良いと語るが、夏目アラタは児童相談所を辞めてしまっていた。
夏目アラタの結婚式
映画『夏目アラタの結婚』のラストで、真珠は3件の自殺ほう助と1件の殺人、4件の死体損壊の罪で起訴され、懲役13年の判決が下された。この判決には真珠が犯行当時、未成年であったことも大きく影響していた。死刑は免れた真珠だったが、これからの13年間を女子刑務所で過ごすことになる。
そこに宮前光一の案内で夏目アラタがやってくる。夏目アラタは離婚届が涙で滲んでいるのを見て、救いたいという建前を取っ払って、寂しいから一緒に生きてほしいと語り、明日結婚式を挙げると話すのだった。
当然、女子刑務所から真珠が出ることは出来ないため、神前の結婚式の会場となった神社には誰も来ない。それでも夏目アラタは待ち続け、同じ空の下で真珠と夏目アラタは結婚式を想像するのだった。
映画『夏目アラタの結婚』ミッドクレジットシーンの意味は?
匂いへの執着
『夏目アラタの結婚』では、真珠が匂いに執着している場面が多く描かれていた。手紙の匂いを嗅ぐことにはじまり、差し入れのスポーツブラ、最後の空に至るまで、真珠はありとあらゆるものの匂いを嗅いでいる。
ミッドクレジットシーンでは真珠の匂いを嗅ぐ癖のきっかけが描かれた。その匂いを嗅ぐ癖のきっかけになったのは他ならぬ夏目アラタだった。夏目アラタは覚えていなかったが、彼がまだ若く不良をしていた時に起きた「雨の中、裸足で放置されていた可哀想な子どもを救いたかった」という出来事の「可哀想な子ども」が真珠だったのだ。
真珠はこのとき、手渡されたX字のロゴが入ったハンカチの匂いを嗅いでおり、そこから匂いを嗅ぐことへの執着が始まったと考えられる。また、その一方でX字は東京拘置所の形も表しており、『夏目アラタの結婚』の作中ではX字が印象的な存在として出てくる。そのため、ハンカチのX字も今後のことを暗示していたと考察できる。
映画『夏目アラタの結婚』ラストネタバレ考察&感想
なぜ身体の一部を奪ったのか
真珠がヘルスケア・シリアルキラーの慈悲殺人者だった場合、ラストまで明かされることがない謎は何故被害者の身体の一部を切断して隠していたかだ。そこには連続殺人犯の多くにみられる記念品を取っておく署名的行動があると考えられる。
ミルウォーキーの食人鬼と呼ばれたジェフリー・ダーマーは、冷蔵庫に大量の死体の一部を保管していた。ジェフリー・ダーマーの暮らしていたオックスフォード・アパートメント213号室、通称“ジェフリー・ダーマーの神殿”はひどい異臭が漂い、部屋のあちこちに死体の一部が放置されていたという。
このため、ヘルスケア・シリアルキラーとしては稀だが、真珠も記念品として死体の一部を隠しておき、何かあった後でも殺人行為を反芻できるようにしていた可能性が考察できる。それは死体を隠していた場所にも表れている。
周防英介の左腕は真珠の自宅の近所にある河原に埋められていた。相沢純也の左足は真珠が手に入らなかった近所の幸せそうな家庭の床下、三島正吾の首は看護学校の研修で仲良くしてくれたおばあさんの墓の中など、どれも真珠の人生に関わる場所か近所に隠していた。
そのため、真珠は誰でもない自分が殺人という行為で人を救ったと実感できるために、保険として死体の一部を見つかりづらい場所に隠していたのだと考察できる。しかし、真珠の隠した死体の一部は、皮肉にも真珠が殺人によって誰かを救ったという反芻のためではなく、夏目アラタとの取引に使われることになる。
有害な男性性
ヘルスケア・シリアルキラーの被害者の多くは弱っている患者であるが、真珠の被害者は社会的に成功しており、体格も真珠よりも大きい。そのため、真珠は殺害後、死体をバラバラにする必要性があった。
真珠の被害者の基準には「有害な男性性」があったと考察できる。「有害な男性性」とは男らしくならなければならない、男はこう振る舞わなければならないといったもので、それらの負の側面を指す表現である。今回の場合、社会的に成功している男性たちは弱みを見せてはならないという形で「有害な男性性」が現われたと考察できる。
被害者たちは社会的に成功しているという肩書きがあるが故に、弱いところを周囲に明かすことができなかった。自分の弱さを明かせるのは自分より弱いと判断した真珠だけだったのだ。
この「有害な男性性」が真珠と被害者たちを繋いでいると考察することが出来る。死にたがっている被害者に対し、真珠はもう助からないと判断して毒殺したのではないだろうか。このように連続殺人犯の心理を考えながら観ることで、『夏目アラタの結婚』は新しい面が見えてくる。映画『夏目アラタの結婚』は2度、3度観ても楽しめる映画だと言えるだろう。
映画『夏目アラタの結婚』は2024年9月6日(金)より全国の劇場で公開。
漫画『夏目アラタの結婚』は発売中。
映画『夏目アラタの結婚』の品川真珠の連続殺人犯の類型はこちらから。