実写映画版『白雪姫』公開
1937年に公開されたディズニーのアニメ映画『白雪姫』が2025年についに実写化。アニメ『白雪姫』は同名のグリム童話を原作とした作品で、ウォルト・ディズニー社の社運を賭けた一大プロジェクトとして制作され、大ヒットを記録した作品だ。
実写版『白雪姫』を指揮したのは「アメイジング・スパイダーマン」シリーズや『Gifted/ギフテッド』(2017) で知られるマーク・ウェブ監督。映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021) で3万人のオーディションを勝ち抜いて主演を務めたレイチェル・ゼグラーが白雪姫を演じる。
ディズニー作品では実写化が相次いでいるが、実写版『白雪姫』はどんな作品になったのだろうか。今回は実写映画『白雪姫』のラストについてネタバレありで解説と感想を記していこう。なお、以下の内容は結末に関するネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、実写映画『白雪姫』の内容および結末に関するネタバレを含みます。
Contents
実写映画『白雪姫』ネタバレ解説
原作アニメからの変更は?
実写版『白雪姫』は、基本的には原作のストーリーと象徴的なシーンをなぞりながらも、他のディズニー実写化映画と同じようにアレンジを加えた内容になっていた。実写版では白雪姫は吹雪の日に生まれたため白雪(Snow-white)と名付けられているが、原作の童話では白雪の母が雪が降る日に雪のような肌の子どもが欲しいと願い、その後に白雪が生まれたことになっている。
実写版の大きな変更点は、アニメ版に登場しなかった白雪姫の父の存在だろう。白雪姫は豊かな国で聡明な女王と王に育てられていたが、王は女王の死後にガル・ガドット演じるよそから来た女性と結婚。新たな女王は戦争が起きると言い王を騙して南の国へ行かせ、女王による専政を敷いているという設定になっている。
故に白雪姫とこの国の民はかつて希望を抱いていたが今は苦しい生活を強いられている、というポリティカルな設定が付け加えられることになった。これにより、7人の小人と原作アニメの王子にあたるジョナサンの集団、白雪姫が抱えるテーマ、そしてラストの展開にも変化が生まれている。
7人の小人と盗賊
原作アニメ『白雪姫』の原題は『白雪姫と7人の小人達(Snow White and the Seven Dwarfs)』で、実際に半分くらいが7人の小人達の生活を描いた作品になっている。実写版の原題は日本版と同じ『白雪姫(Snow White)』に改められているが、それでも7人の小人の背景に深みを与える改変が取り入れられていた。
7人の小人は長寿の種族で、274年の間森の中に暮らしていたという設定になっている。小人達は鉱山で宝石を採掘する労働者で、ジョナサンは女王の政権で食えなくなった元役者の盗賊のリーダー。つまり原住民の鉱業労働者と圧制下のアーティストという設定に生まれ変わっている。
実写版『白雪姫』の小人達の表現をめぐっては、小人症の俳優が演じるのではなくCGで制作されたキャラクターになるということで、小人症の俳優の仕事を奪っているという批判もあった。一方で小人達が街と隔絶した場所に暮らしているという設定自体に対する批判もあった。
蓋を開けてみると、実写版『白雪姫』では7人の小人は長寿の原住民族という設定に変更されており、なおかつ盗賊の方に小人症の俳優のジョージ・アップルビーがクイッグ役を演じていた。小人症でも小人症でなくてもよいキャラクターに小人症の俳優が起用されたという意味で、よりフェアなキャスティングが行われたと言える。
白雪姫のリーダーシップ
実写版『白雪姫』の大きなテーマの一つとなったのが“リーダーシップ”だ。美と力を思考して圧政を敷く女王に対し、「採れた作物は民のもの」という教えを受けて育ってきた白雪姫は、協調を重視する。象徴的な場面は小人達の家で掃除をするシーンだ。
原作アニメでは白雪姫が掃除と料理をして小人達が白雪姫に好意を抱くため、白雪姫の“女子力”的な部分が強調されていた。しかし、実写版では小人達は自分たちで料理を作っており、その上白雪姫の指揮のもとで掃除を始めるため、白雪姫は家政婦のような扱いを受けず、むしろ小集団のリーダーとしての才覚を発揮することになる。
言葉を発せない“おとぼけ”に寄り添い、意見を聞いてもらえない“おこりんぼ”に理解を示し、「喧嘩していても家は綺麗にならない」と指摘する白雪姫は、一方的な話の進め方をしない調整型のリーダーだ。助言や意見を求めない強いリーダーシップの女王とは真逆のタイプである。
マネジメント学において、リーダーシップにはパワフル(Powerful)とピースフル(Peaceful)という二つのタイプが存在すると言われている。パワフルは一度決めたことを迅速に実行できるリーダーで、ピースフルは構成員の利害を調整して間をとって決定を行う。
アメリカでマネジメントを学んだ筆者の体感だが、アメリカではパワフル型のリーダーが好まれる傾向があったように思う。ピースフル型のリーダーは一見良い人に見えるが、様々な利害関係者の間をとった結果、全員にとって少しずつ好ましくない結論を採用する傾向にある。そのため、嫌われてでも結果を出すパワフル型も、リーダーとしては理想的とされている。
だが昨今、ドナルド・トランプのようなパワフル型のリーダーによる暴走が顕著になり、実際には様々な調整と譲歩によってこれまでの社会が成り立っていたことが明らかになってきた。映画『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(2025) では、ヴィランにも耳を傾ける対話型のキャプテン・アメリカが描かれたが、これもピースフル型リーダーの一例だ。
実写版『白雪姫』では、部屋の掃除を通してリーダーシップ/マネジメントが描かれるという点も興味深い。かつて黒人解放指導者のマルコムXは、「あなたの家の一部屋が汚れていれば、あなたは汚い家を持っているということになる。あの部屋は汚いが他の部屋は綺麗だと言うことはできない」という言い回しで国を家に例え、一部にでも差別があれば優れた国と言うべきではないと看破した。
「喧嘩していても家は綺麗にならない」という白雪姫の訴えは、国のガバナンスを想起させる表現だ。かつて白雪姫に性別役割を押し付けていた掃除のくだりは、分断と対立の時代における新しいリーダーとしての白雪姫を提示する機会へと生まれ変わったのである。
実写映画『白雪姫』ラスト ネタバレ解説
キスと狩人と白馬と
その他にも、助けてくれた盗賊の一団を見捨てなかったことや、小人達と盗賊達に和解をもたらしたことは白雪姫のリーダーとしての適性を示している。その中で、白雪姫はジョナサンと惹かれあい、二人は恋に落ちることになる。
ジョナサンはアニメ版と違い王子様ではなくなったが、白雪姫をキスで目覚めさせる役割は変更されなかった。ただし、実写版では歌の中で白雪姫が「私が眠ってしまった時、キスをして目を覚まして」という内容を歌うことで、事前の合意が形成される工夫がなされていた。
これにより、“王子が同意なく姫に口づけを交わすことで姫を救う”というアニメ版の厳しい展開を回避。特定の状態に陥った際の対処法として“キス”を提示しておくことで、多くの人にとってより受け入られやすい展開になっている。
老婆に化けた女王の毒リンゴを食べて白雪姫は永遠の眠りにつく。白雪姫が意識を失う間際に女王は、白雪姫の父は南の国に行ったのではなく自分が殺したと明かす。これは実写版オリジナルの展開だ。
また、ジョナサンはすでに城に捕えられていたが、ジョナサンを救ったのは同じく地下牢に入れられていた狩人だった。狩人は女王に白雪姫殺害を命じられたが実行できず、牢に入れられていた。原作アニメでも白雪姫の逃亡を手助けした狩人だが、実写版ではジョナサンと協力して脱獄に成功する。
ジョナサンはこうして城から白雪姫の元へと向かうため、城の馬を使うことになる。そこでジョナサンがまたがるのが白馬であり、アニメの版の“白馬に乗った王子様”が再現されることになる。そしてジョナサンは眠りについた白雪に歌の通りに口づけをかわして白雪を目覚めさせたのだった。
「ウィッシュ」を越えて
だが、実写版『白雪姫』のクライマックスはここからだ。アニメ版では、女王は白雪姫が眠りに落ちた直後に小人達に追われ、崖から転落して死んでしまう。だが、実写版では白雪姫が7人の小人と盗賊と共に城へ向かい、姫の帰還を伝えて民衆達を味方につけて女王に挑む。
印象的なのは、その前に歌われる「Waiting On A Wish(Reprise)」で、願うだけでなく、立ち上がり、人々を率いる時が来たと歌われている点だ。ディズニー100周年映画『ウィッシュ』(2023) では「願い(Wish)」がテーマになったが、それを乗り越えていくメッセージが打ち出される。
『ウィッシュ』をめぐっては、イスラエルによるパレスチナ侵攻が激化する中でウォルト・ディズニー社がイスラエルにのみ支援を行い、作品のテーマとの食い違いが批判されていた。そして、『白雪姫』では、願うばかりでなく行動に出なければならないというメッセージが歌われることになった。
実写版の白雪姫役を演じたレイチェル・ゼグラーはパレスチナ支援の姿勢を鮮明にしており、今回の『白雪姫』でも植民地主義を批判する内容が多分に含まれていた。そこに住んでいた人たちを外部から来た者が支配し、追放するという状況はあまりにも現在のパレスチナの現状と重なる。
『白雪姫』からは、想像の中だけで満足していてはダメで、現実の世界においても行動しなければならないという問題意識が読み取れる。そして、親イスラエルの姿勢を崩さないガル・ガドットについては、後の感想部分で記したい。
実写版『白雪姫』のラストでは、女王と対峙した白雪姫が兵士一人一人の名前を呼び、かつては農家やパン屋だったという過去について語る。白雪姫は両親に言われた通りに人の名前を覚えていたばかりか、人々の背景まで全て覚えていたのである。
この兵士達は女王によって徴兵された市民であり、白雪姫の行動は、全ての人間に顔と名前があるという事実を思い出させてくれる。家族と豊かに楽しく暮らしていた過去を思い出した兵士は女王の言うことを聞くのをやめ、盗賊で弓矢の名手であるクイッグが女王の刃物を撃ち落として勝負あり。白雪姫は非暴力革命を成就させたのだった。
「脆い花よりも強いダイヤモンド」を主張する女王と、公正と分配を主張する白雪姫の戦いは、強いリーダーシップに支配されたアメリカの現状を示すような展開だった。白雪姫役のレイチェル・ゼグラーはドナルド・トランプに対しても批判的なコメントを出しており、こちらもメッセージと現実での行動が一致している例だと言える。
そして女王は、「あなたの美しさは表面だけ、白雪姫の美しさは内面からくるもの」と言った鏡を叩き割ると、炭化して鏡に吸い込まれていった。鏡の中でも生きているかもしれないと思わせるような、一応ディズニーヴィランのスピンオフに含みを持たせるような最期だった。
女王が去り、白雪姫は新たな女王に。豊かな国を祝福する「Good Things Grow」が歌われて実写版『白雪姫』はフィナーレを迎える。最後にはこれまで喋らなかったおとぼけが白雪姫の物語を伝えている。
実写映画『白雪姫』ネタバレ感想&考察
レイチェル・ゼグラーの存在感
実写版『白雪姫』は、誰もが知る展開と結末に合理的な設定を追加し、キャラクターにも深みを与えるディズニー実写映画の試みが成功した例だと言える。特に白雪姫を演じたレイチェル・ゼグラーの躍動感と存在感は凄まじく、レイチェル・ゼグラーが中心になっているシーンは全てハイライトになってしまうような魅力があった。
英語のセリフは歌だけでなく会話のシーンも細かく韻を踏んでおり、詩的な楽しさもあった。ジョナサン役のアンドリュー・ブルナップの演技も素晴らしく、最近のディズニー実写映画では“王子”枠は印象が薄くなりがちだが、ジョナサンは十分に存在感のあるキャラクターになっていた。
問題は女王役を演じたガル・ガドットだ。政治信条云々を抜きにして、誰もが知るディズニーヴィランの実写版としては成功していたように思うが、歌唱力の点ではレイチェル・ゼグラーの圧倒的な歌唱力と対比すると厳しいものがあった。
日本では同時期に公開された『ウィキッド ふたりの魔女』が非常に高い評価を受けている。同作の魅力はシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデの、タイプは違うがハイスキルな歌唱がベースにあるが、『白雪姫』はレイチェル・ゼグラー頼りになっている感は否めなかった。
テーマとしては、「古き良き」親世代の記憶を乗り越え、世界は自分たちがリードしていかなければならない、それには勇気も行動も必要だというメッセージが中心にあった。88年前に公開されたクラシックを更新するに相応しい野心的なテーマだったと言える。
ガル・ガドットを巡って
実写版『白雪姫』は既に記したような植民地主義とアメリカ国内の分断やリーダーシップをめぐる政治的なメッセージが込められた作品でもあった。『ウィッシュ』に近い部分もあるが、『白雪姫』ではパレスチナ支援やトランプ政権について積極的に発信してきたレイチェル・ゼグラーを起用しているという点が最大の違いである。
このキャスティングが「願いを込めるだけでなく行動を」という『白雪姫』のメッセージに説得力を与えている。一方で、イスラエル人のガル・ガドットは長らくイスラエルを支持するメッセージを発信してきた。
ガル・ガドットの出演作をボイコットする動きは以前からあったが、2023年10月にガル・ガドットはInstagramのストーリーズに「罪のないパレスチナ人が殺されるのは恐ろしいことだ」と投稿。「罪のない」という留保をつけていることから批判されたが、同時に親イスラエルのシオニストからもイスラエル人とパレスチナ人の死を同一視しているとして批判されることになった。
この時のシオニスト側からのガル・ガドットへの非難は凄まじく、ガル・ガドットは「罪のないイスラエル人が殺されることも恐ろしいことだ」とも投稿したが批判が止むことはなかった。結局ガル・ガドットは同月の終わりにイスラエル支持を表明する公開書簡に署名し、改めて親イスラエルの立場を明確にしていた。
その後はイスラエルのプロパガンダ映画の上映会を主催するなど、シオニストとしての活動を継続。一方で、2025年1月にはガル・ガドットが出席したゴールデングローブ賞の授賞式で、イスラエル人人質への支援を意味するイエローリボンをつけていなかったことから、またも親イスラエル派の批判を浴びることになる。
実写版『白雪姫』はそうした流れの中で公開されたが、パレスチナ解放に連帯してきたレイチェル・ゼグラーとシオニストとして批判されてきたガル・ガドットは、プロモーションでほとんど同席していない。米時間3月18日にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにガル・ガドットの手形が設置されたが、その式にレイチェル・ゼグラーの姿はなかった。
3月18日、米Varietyのインタビューに答えたのが、『白雪姫』公開時点でのガル・ガドットのイスラエルに関する最新のステートメントだ。そこでは、2023年の10月7日以降、自分は声をあげざるを得なくなったとした上で、自分はヘイターではない、ホロコーストの生存者の孫で、祖父の家族は全員アウシュビッツで殺され、イスラエルでゼロから家族を築いたと、自身への批判を意識した発言をしている。
また、「私が信じているのは人間性です」とし、「人質達のために主張しなければならないと感じました」と、自身の過去の発信について説明している。この発言は在日本イスラエル大使館にも日本語訳で紹介されている。
「声を上げなければならなかった」
ガル・ガドット 2023年10月7日以降 “人質の主唱者” に黙っていることはできませんでした。憎しみの大きさ、そして、何も知らないのにあたかも知っているかのように振る舞う人々の多さにショックを受けました。また、メディアの不公平さにも衝撃を受けました。… https://t.co/AxGByYqnum
— イスラエル大使館 🎗️Israel in Japan (@IsraelinJapan) March 19, 2025
同日、イスラエル軍はパレスチナのガザ地区を空爆し、子どもを含む400人以上が死亡した。ガル・ガドットが信じる「人間性」は、私たちとは違うようだ。
ディズニーが抱える課題
おそらくガル・ガドットは映画『白雪姫』のメッセージの本質的な部分を理解していない。あるいは理解していても既に発信/行動できない立場にあり、端的に言ってこのキャスティングは人選ミスだったと言える。
一方で、女性であるガル・ガドットはミソジニストから強い言葉での批判に晒されやすいということにも留意したい。ハリウッドにはガル・ガドット以外にも700名以上、イスラエル支持の書簡に署名した人がいる。
例えば、映画『オッペンハイマー』(2023) の製作総指揮ジェームズ・ウッズはXでパレスチナの人々を「#皆殺しにしろ(#KillThemAll)」と投稿した人物だ。クリストファー・ノーラン監督はアカデミー賞の授賞式でジェームズ・ウッズへの感謝を口にしている。
ディズニーは、会社としては親イスラエルでありながら植民地主義を批判し、親パレスチナ的な作品を世に送り出している。はたから見れば、ヘイト本を刊行しながら同時にリベラルな物語を世に送り出す出版社のような矛盾を抱えているように見える。
とはいえ、一言で「会社」といっても株主・資本家と経営陣がおり、実際に作品を作る労働者と個人事業主、クリエイターがいる。米国では労働組合の力が強く、労使は対立の関係にある。組織の中でも戦う人々には敬意を示したい。
その中で沈黙を選ぶ人たちもいるだろう。だが、その人々の発信が消費者である私たちを勇気づけ、より多くの声を生み出すこともある。物語を物語で終わらせない、というのは現代のディズニーが抱える課題の一つになっていくだろう。願うだけでなく行動を、そう白雪姫が言っているのだから。
実写映画『白雪姫』は2025年3月20日(木・祝) より全国の映画館でロードショー。
アニメ『白雪姫』のBlu-ray、MovieNEXは発売中。
ディズニーゴールド絵本『白雪姫』は発売中。
実写版『リトル・マーメイド』のネタバレ解説&感想はこちらから。
映画『ウィッシュ』のネタバレ解説&感想はこちらから。
『ライオン・キング:ムファサ』のネタバレ解説&感想はこちらから。
実写版『アラジン』のネタバレ解説&感想はこちらの記事で。
実写版『モアナと伝説の海』の情報はこちらから。
実写版『リロ&スティッチ』の情報はこちらから。