『打ち上げ花火』の問題点
2017年に総監督・新房昭之、監督・武内宣之、脚本・大根仁で製作されたアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』。1993年に放送された岩井俊二監督の同名ドラマおよび映画を原作にしたアニメで、前年に大ヒットした『君の名は。』(2016)の企画を手掛けた川村元気が企画・プロデュースを担当したことでも話題となった作品だ。
🎊地上波初放送🎊
打ち上げ花火、
下から見るか?横から見るか?
今夜9時原作:#岩井俊二
脚本:#大根仁
総監督:#新房昭之
監督:#武内宣之
声の出演:#広瀬すず,#菅田将暉,#宮野真守,#松たか子,#浅沼晋太郎,#豊永利行,#梶裕貴,#三木眞一郎,#花澤香菜,#櫻井孝宏,#根谷美智子,#飛田展男,#宮本充,#立木文彦 pic.twitter.com/K1nMEFkSFi— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) August 7, 2020
アニメ版の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』では、“もしも玉”を投げることで時間の分岐点からパラレルワールドで物語をやり直すことができるというSF的なストーリーが展開される。岩井俊二監督の原作をアニメならではの映像表現と、DAOKO×米津玄師らの音楽で美しく蘇らせた同作だが、直視しなければならない問題点がある。それは、作中での無批判なセクハラ描写だ。
『打ち上げ花火』の無批判なセクハラ描写
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は冒頭からギョッとする場面が続く。原作では小学生の設定だった主人公を含む少年たちが、アニメ版では中学生の設定に変更。物語の冒頭、少年たちは自転車とスケボーに乗り海岸沿いで競争をするのだが、ここで「今日はなに賭ける?」「負けた奴が三浦先生にセクハラ!」という会話がなされる。罰ゲームに性加害を設定する異常な光景が、爽やかな音楽と美しい風景と共に展開される。
いや、問題は、こうした少年たちが抱えるホモソーシャルの萌芽や日本社会と直結するセクハラ文化が、その後の物語で一切展開しないということだ。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』では、少年たちのセクハラ体質は問題にされない。効果的な演出にもなっておらず、ただ繰り返されるだけなのだ。その後も作中で度々繰り広げられる三浦先生へのセクハラやヒロインのなずなへの性的な眼差しに対しては、なんの批判も反省も加えられないまま物語は進んでいく。
教室で男子生徒が三浦先生の胸の大きさや彼氏の存在を弄るセクハラシーンは、なんの脈略もなく披露される。ゆえにこれらのシーンは、ただただ性加害を学校生活の日常的な風景に溶け込ませる役割を果たしている。こうしたセクハラシーンへの無批判な態度を見た海外の視聴者は「これが日本の文化か」と思うだろう (翌2018年に公開された米中合作の映画『MEG ザ・モンスター』では、マシ・オカ演じる日本人キャラクターのトシはセクハラキャラに設定されている)。
明らかな想像力の欠如
そもそも『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の描き方に通底しているのは、登場する女性たちが一人の人間として見られていないということだ。ヒロインのなずなには、再婚を繰り返す母を揶揄して「私にはママのビッチの血が流れてるんだから」と言わせてしまう。性加害を受ける女性、本人の意思とは無関係に性的な視線を向けられ、卑猥な言葉を投げかけられる女性、様々な事情から生きる道を選択してきた女性たちに対する想像力が明らかに欠けている。
こうした作品が年齢制限も設定されず、ゴールデンタイムにテレビで流れるとあれば、「問題はある」ということを明確に発信していくべきだ。次の時代をつくりだしていく子ども達には、こうしたセクハラ表現は“日常的なジョーク”では済まされず、現実ではあってはならないことだと、きちんと伝えていく必要がある。
2017年に進化した音楽や映像と共に復活した『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』。形式は進化しているが、真にアップデートしなければいけないのは、中身の方だ。