シンボルから読み解く『君たちはどう生きるか』
2023年7月、宮﨑駿監督による十年ぶりの長編アニメーション映画作品『君たちはどう生きるか』が公開された。太平洋戦争中の日本、火事で実母を亡くした少年・眞人が父親の再婚相手である夏子の住む田舎へ疎開し、人語を操る青サギに導かれ、消えてしまった夏子を連れ戻しに不思議な「下の世界」へ入っていってさまざまな出会いを経験する、というのがおおまかなあらすじだ。
英雄譚などで典型的な「行きて帰りし物語」の構造をとりながら、非常に難解な作品として公開当時から多くの観客を悩ませた。また、宮﨑駿監督の過去作品を彷彿とさせるシーンがものすごく、本当にたくさん差し込まれており、気が付いた人も多かったと思う。
『君たちはどう生きるか』にはいくつもの象徴(シンボル)が登場し、それらの持つ意味を紐解くことで作品世界を深く理解することができる。この記事では、ルネサンス以後の西洋美術とキリスト教におけるシンボルと、宮﨑駿監督がこれまでの映画で何度も描いてきたシンボルの二つの面から映画『君たちはどう生きるか』を解説・考察する。
なお、以下の内容は結末に関するネタバレを含むため、本編を視聴してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『君たちはどう生きるか』の内容及び結末に関するネタバレを含みます。
映画『君たちはどう生きるか』ネタバレ解説&考察
西洋美術とキリスト教のシンボルから読み解く
西洋美術では伝統的に、特定のシンボルを用いることで対象とされる人物や出来事を表現する手法がある。映画『君たちはどう生きるか』には主にルネサンスからフランス革命にかけての西洋美術のシンボルおよび、その下地となるキリスト教におけるシンボルが豊富に登場する。(ベックリン『死の島』についての解説はネット上に多く存在するため、ここでは割愛する)
ルネサンス期は宗教の力が弱まり、私財を蓄えた一族が権力を持ちはじめ、宗教中心の封建社会から人間を中心とした民主主義社会の転換期となるフランス革命に繋がる。地動説を唱える学者が現れ、人々の意識の転換期にもなった。この時代を彷彿とさせる背景美術やシンボルが数多く登場するのは、『君たちはどう生きるか』がまさに意識の転換をテーマに描かれた作品だからである。
海に囲まれた世界(ノアの方舟)
眞人がたどり着いた「下の世界」は広い海に覆われ、そこには魚もほとんどなく、ペリカンたちはどこまで飛ぼうとも、やがてもとの海に戻ってきてしまう。後述する宮﨑駿監督作品における水のシンボルと意味と重ねて考えると、この風景はおそらく、旧約聖書『創世記』における神が起こした洪水の後の世界を模している。『創世記』では神に選ばれたノアの一族が地に満ちて新しい人類の祖となるが、「下の世界」ではそれが実現していない。
ペリカン(自己犠牲の愛)
映画『君たちはどう生きるか』でワラワラを食べる「敵」として登場したペリカンだが、彼らもまたそうしなければ生きていけない悲しい存在だ。眞人は老いたペリカンの死を目の当たりにし、あらゆる形で命を奪っていく死という「悪意」について深く考えるようになる。
一方で、キリスト教ではペリカンは自分の胸を傷つけてその血で雛を育てるとされ、転じて、自分が磔刑にされることで人間の罪を贖ったイエス・キリストを示す自己犠牲の愛のシンボルとされる。現実世界でキリストの自己犠牲の愛を象徴しているペリカンが、「下の世界」では逆に命を奪う存在にさせられていることから、「下の世界」は現実世界の宗教観と対立する、歪な構造が見え隠れしている。
アーチ型の柱廊(受胎告知)
『君たちはどう生きるか』には宗教画を連想させる表現が多々あり、もっとも象徴的なのが、「下の世界」で眞人と青サギが大伯父に会いに行くときに通るアーチ状の柱廊のシーンだ。柱の建築様式、光と影が遠近感をともなってくっきりと描かれる手法からも、ルネサンス期の西洋絵画がイメージされていると見ていいだろう。
このアーチ型の柱廊がシンボルとして採用されるのは「受胎告知」をテーマとした絵画で、『新約聖書』による、天使ガブリエルが降臨し、マリアに神の子を宿したことを告げるエピソードである。フラ・アンジェリコ、ヤン・ファン・エイク、マゾリーノなど、ルネサンス期に描かれた「受胎告知」では、柱廊の内側(向かって右側)に聖母マリアが配置され、外側(向かって左側)にいるのが天使である。
『君たちはどう生きるか』では、夏子の産屋を出た眞人と青サギは柱廊を通って画面の右から左に移動する。つまり、産屋のあった柱廊内側(右側)にいる夏子が聖母マリアであり、外側(左側)にいる大伯父に神の世界を重ねさせる表現である。
荊・鉄の釘(磔刑)
映画『君たちはどう生きるか』で捕えられたヒミがインコたちによって大伯父のもとに運ばれていくシーンでは、インコたちはヒミを使って大伯父に世界の支配について重要な取引を持ちかけようとしている。大伯父は過激派であるインコたちとは対照的に描かれていることもあって、まるで俗世(インコ社会)から隔離された神のような印象さえ受けるが、ペリカンの例と同じように、「下の世界」での見え方をそのまま捉えるだけではもう一方の視点に気付くことはできない。
インコがヒミを運んでいる最中、眞人と青サギが通る街中の梁の上に鉄製の釘のようなものが登場する。これは鳥避けの剣山なのだが、眞人が通ることで釘状になった個々の針がインコの頭の上にバラバラと落ちていく。この表現は、茨の冠やキリストの手に打ち込まれた釘として読むこともできるだろう。
禁忌を犯して夏子の産屋に入った眞人の代わりにヒミが捕えられるのは、罪を犯した人間の代わりに十字架に架けられるキリストの表現と重なる。磔刑を待つキリストが運ばれる場所は彼を断罪する丘の上なのだから、そこで待ち構えている大伯父は本当は世界の創造主ではなく、神のふりをした人間である。
13個の積み木(忌み数)
終盤で大伯父は「悪意に染まっていない石」として13個の積み木を眞人に差し出し、自分の代わりにこの世界を継いでくれと頼む。それは「悪意から自由な王国」であり、「豊かで平和な美しい王国」なのだと大伯父は綺麗な言葉を並び立てる。
しかし「最後の晩餐」でキリストと十二人の使徒を含んだ十三人の中から裏切り者が現れたことから、キリスト教における13は忌み数であり、不吉なもののシンボルとして扱われる。つまり、あの石の積み木は大伯父の「悪意」である。
「はるかに遠い時と場所を旅して見つけてきた」と大伯父は言ったが、そんな場所も、悪意に染まっていない石も、世界のどこを探しても見つけられなかったのかもしれない。あの石が本当に悪意に染まっていなかったとしても、13という数字を眞人に差し出した時点で積み木は大伯父の悪意のシンボルとなり、あらゆるものが人間の手によって悪意に染められることが、このシーンでは示されている。
巨大化したインコ・財産(神の国からの拒絶)
映画『君たちはどう生きるか』の「下の世界」には人間はほとんど存在せず、代わりにたくさんの鳥たちが生活していた。代表がペリカンとインコだ。連れてこられた鳥たちや繁殖した鳥たちは、「下の世界」における人間の代役として捉えることができる。
積み木が倒れて世界が崩壊するとき、青サギやペリカンたちが身ひとつで逃げる中、「下の世界」で権力を持っていた巨大なインコたちは風呂敷を抱えながら扉を出ようとしている。
──「また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
マタイによる福音書 19:24 口語訳
キリスト教では、どんな者も財産を持ったまま神の国に入ることは許されないとされる。ルネサンス期には、金融業で莫大な財を成したメディチ家のような権力を持つ一族が各地で台頭した。あり得ないサイズに巨大化したインコはこれらの富める者・権力者を表しており、インコたちが外の世界へ持ち出そうとした風呂敷は財産のシンボルである。
しかし扉の外側(現実の世界)に出た途端にインコたちは普通のサイズに戻り、風呂敷は次々に地面に落ちていく。つまりインコが通った扉は神の国への入り口であり、貧しい者と平等に、富める者が財産を神の国に持ち込めなかったことを示すシーンである。
このことから、大伯父が神のふりをして作り上げた(彼の考える)平和で理想な世界も「悪意」で成り立っていた偽物であり、実は眞人たちのいた現実世界こそが、神の国であったのだと示唆される。同時に、神の国である現実世界にも「悪意」はあるのだ。
ミレー『種をまく人』(市民の生活)
眞人が母から贈られた小説『君たちはどう生きるか』を開くシーンでは、ジャン=フランソワ・ミレーの『種をまく人』の挿絵が描写される。
ミレーはフランス革命以前・以後を経験した画家であり、代表作である農民画を描く前は肖像画や裸体画を製作していた。フランス革命以前は華美な装飾様式にファンタジックな風景を織り交ぜたロココ美術の時代であったが、民主化によって、市民の生活にも焦点が当てられるようになり、農民の生活を実直に描いたミレーの画風は高く評価された。
『君たちはどう生きるか』の映画内において『種をまく人』のシーンはほんの一瞬だ。だが、一部の貴族たちが政治の中枢を担っていた時代から民主主義へと移り変わるなかで評価を高めたミレーの絵画は、巨大化したインコに支配される「下の世界」や軍国主義の時代であった眞人のいる現実世界、そして資本主義により格差がさらに広がった現代社会に対し、小説『君たちはどう生きるか』とともに鑑賞者に対して意識の転換を投げかけるシーンとして見ることができる。
地球儀(天文学・地動説)
米津玄師による『君たちはどう生きるか』の主題歌が『地球儀』だ。歌詞の中でも非常に重要なシンボルとして地球儀が語られているが、映画内で地球儀にスポットライトが当たるシーンは登場しない。
西洋美術において「地球儀」は知識、学問、天文学を示すシンボルであり、ルネサンス期に地動説を唱えた天文学者がコペルニクスである。作中で眞人が実母から贈られた吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』では、物事を新しい視点で見る転換期を意味して、主人公はコペルニクスにちなんだ「コペル」というあだ名で呼ばれている。
大伯父の作った「下の国」を受け継ぐことを眞人は拒否し、自ら扉を開けて現実世界に帰ってきた。行く前と帰ってきた後で眞人自身に変化はない。かつて塔で消えて一年越しに戻ってきたヒミ(眞人の実母)がそうであったように、眞人もまた、行ったときと同じ姿で帰ってきたはずなのだ。
眞人の「悪意」でつくられた頭の傷は、行く前も帰ってきた後も変わらずそこにある。世界は何も変わらないが、眞人は世界を捉える意識そのものを転換させることで、自分の世界を得た。そうして父と夏子と抱き合い、新たな人間関係を受け入れ、現実世界をこれからも生きていく。
宮﨑駿がこの映画を通して意識の転換を描こうとしたことが、地球儀というシンボルの扱われ方からも察することができる。これらの西洋美術・キリスト教のシンボルから、「下の世界」における大叔父は内と外を区別し自分のための聖域を作りながら、神の真似事をしていた人間であって、彼があの世界を維持できなかったのは彼の手もまた、悪意に染まっていたからである。
次に、宮﨑駿監督作品に頻出するシンボルから、各キャラクターについて掘り下げてみよう。
宮﨑駿監督作品のシンボルから読み解く
『君たちはどう生きるか』では宮﨑駿監督の過去作品のオマージュがふんだんに取り入れられており、ジブリ作品を複数見たことのある人ならば、映画のタイトルが思い浮かんだのではないだろうか。
パッチワークのようにたくさんのオマージュを作中に散りばめたのは、宮﨑駿監督自身が、過去の作品における文脈を含んだシンボルとして使うことで、『君たちはどう生きるか』により多くの意味を持たせたかったからだと考えられる。あまりにもたくさんのシンボルが登場するので、とくに重要なものについて簡単に触れたい。
火(コントロールすべき力)
宮﨑駿監督作品において、火は戦争や魔法、人間の武力としてよく登場する。『風の谷のナウシカ』では「火は森を一日で灰にする。水と風は100年かけて森を育てる」と説明され、『ハウルの動く城』では火の悪魔カルシファーの姿で現れた。
このシンボルを理解すると、冒頭の病院の火事にも、災害だけではない意味を見出すことができる。眞人と別れて元の世界に帰る直前、ヒミは「火は平気だ。素敵じゃないか」と言った。映画冒頭では母親を奪った火事のイメージは何度も繰り返し眞人の恐れとして登場したが、もしかすると、ヒミは最後の瞬間には火を恐れなかったのではないだろうか。
また、ヒミの火の力が「下の世界」でペリカンを死に至らしめたことも、現実世界での彼女の死の原因である火事と表裏一体になっているのではないだろうか。死を「悪意」と表現する『君たちはどう生きるか』の世界で、ヒミもまた、ワラワラを守るために悪意に手を染めたと言える。
水(抗えない神の力)
火とは対照的に、水はコントロールできない神の力として頻出する。『崖の上のポニョ』の洪水と海、『千と千尋の神隠し』の川の描写などだ。
『君たちはどう生きるか』では、魚がほとんど住まない海のほか、塔の地下に迷路のようなトンネルを出現させたという大水として登場した。水の描写が至るところで繰り返されたのは、『君たちはどう生きるか』が、抗えない神の力の中で、人間がどう営んでいくかという重い問いを突きつけようとしたからだ。
トンネル(神の世界へと繋がる場所)
これはほとんど解説が不要だと思うが、『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』などで描写されたように、宮﨑駿監督作品においてトンネルはこちらの世界とあちらの世界を繋ぐ場所である。『君たちはどう生きるか』では大伯父の塔の地下にトンネルがあり、青サギが眞人をそこから「下の世界」へと案内した。後述する「扉」との違いは、トンネルには自ら開け放つためのノブが存在しないことである。
温室(管理された理想郷)
インコがヒミを大伯父のもとへ連れていくときに通るのが、光と植物に溢れた温室だ。インコが「天国だ、ご先祖さまだ」と涙するほど美しい場所で、ここは『天空の城ラピュタ』において、ラピュタ文明が滅亡しなかった世界線の温室である。
天国のように素敵な場所でありながら、天井を突き破るほどに巨大化した生命の象徴である大木は存在せず、すべてが大伯父のコントロール下に置かれた、いわば管理された理想郷を表している。(ラピュタにおいても、ラピュタ人が管理していたころの温室は人工的な理想郷でしかなかったはずだ)
石(善悪の区別なく人を導く)
大伯父の積み木、契約の石、夏子の墓石の産屋といった表現で、たびたび石がフォーカスされた。『天空の城ラピュタ』では石は不思議な力を持って何かを訴えかける存在であり、飛行石はラピュタの位置をシータに指し示した。『耳をすませば』では主人公たちがもつ可能性を磨かれていない原石に喩えられ、また、雫の書いた物語の中で、発光する石を追って主人公は先へ進もうとする。
どの作品においても石そのものに善悪の区別はないことからも、『君たちはどう生きるか』でもまた、大伯父が契約した石そのものには悪意がなく、何かを導こうとしていたと考えるのが妥当だろう。おそらく石を悪意で染めるのは、それを墓や積み木として切り出して使ったり、契約を交わす人間の側である。
扉を開ける(選び取る意思)
『君たちはどう生きるか』で扉は現実世界に戻る重要なシンボルだった。『ハウルの動く城』でソフィーがハウルの過去に舞い戻るために自ら魔法のドアを開けたように、眞人もまた、自分の意思で現実世界に帰る扉を開けた。前述のトンネルとの違いはノブの有無で、踏み出せば吸い込まれるように先へ進むしかないトンネルと違い、扉はあらゆる場所につながる選択肢であり、それを自ら開ける行為は、強い決意の表れである。米津玄師『地球儀』でもそれが強調されている。
美味しそうな料理(生命・希望)
ヒミの家で眞人が手作りのバター付きジャムパンを振る舞われるシーンでは、それまで緊張で張り詰めた表情をしていた眞人が料理を口にしたことがきっかけで素直に感情を露わにするようになる。宮﨑駿監督はこの食事シーンについて、「描きたくて描いている」と語っている。
『崖の上のポニョ』では、船の上で出会った赤ちゃん連れの女性にポニョがスープを手渡すシーンがある。ポニョは「赤ちゃんに」と言うのだが、女性は「自分が飲むことで赤ちゃんのおっぱいになるから」とスープを自ら飲み干す。これは食事が命のシンボルであることを強く示すシーンだ。
『もののけ姫』では死を間近にしたアシタカにサンが「食え」と干した肉を与えたことで、アシタカはふたたび生きる気力を得て回復する。宮﨑駿監督にとっての食事は「悪意」の対極にあるものであり、常に生命や希望の象徴として描かれてきた。
結局この世界は「悪意」に満ちている、という帰結でありながら、観終わった後に『君たちはどう生きるか』が穏やかな印象を観客に与えるのは、生きることを諦めない人間の希望がたしかに描かれているからである。
『君たちはどう生きるか』が伝えたかったこと
以上のように様々なモチーフやシンボルが用いられた映画『君たちはどう生きるか』だが、最後に本作が伝えたかったメッセージについて解説及び考察したい。宮﨑駿監督にとって、『君たちはどう生きるか』とはどのような作品だったのだろうか。
大伯父が本当に作ろうとしていた世界
なぜ鳥ばかりが「下の世界」に溢れていたのかといえば、大伯父が現実世界の人間を拒絶しているからに他ならない。人間がほとんどいないのは大伯父が反出生主義的な考えを抱いていることの表れであり、これは夏子の産屋が石の墓でできていることからも察することができる。作中で石は死を連想させる「悪意」のシンボルであると語られており、大伯父の世界で産屋が石でできていることはすなわち、出産の否定である。
また、ペリカンは大伯父から「下の世界」に連れてこられた鳥だ。どこまで飛んでもほとんど魚のいない海から脱出することも叶わず、ワラワラを食べることで命を繋いでいた。新しい命であるワラワラを食べさせるために大伯父がペリカンを連れてきたのも、直接的な出生の否定だ。
「下の世界」について大伯父は「殺し合い奪い合う愚かな世界」と表現していた。大伯父にとっての「悪意」はすなわち人間の背負う業であり、「悪意から自由な世界」とは、最初から何者も生まれることのない世界なのだ。
一方で、大伯父は眞人に「この世界を継いでほしい」とも頼む。彼の差し出す石の積み木は悪意に染まっているが、大伯父自身もまた、彼の作り上げた世界にも希望を見出したくて、眞人に未来を託そうとしたのではないか。「仕事を継ぐ者は私の血をひく者でなければならない」という契約は、新しい命の否定という過酷な「下の世界」を、自分たちの一族で終わらせることを目的としたからだ。
旧約聖書『創世記』では神が人類の罪深さに絶望し、洪水(宮﨑駿監督作品における「抗えない神の力」のシンボル)を起こして地上をリセットし、ノアの一族のみを新たな人類として生かした。大伯父はおそらく、この逆のことを行おうとしたのだ。人類の罪深さに絶望し、『創世記』の洪水と同じように海に満ちた世界で、すべての命を生まれる前に摘み取ってしまう仕事を、自分の一族で終わらせようとした。
眞人が石の積み木を見て「その石は悪意があります」と大伯父に返すと、彼は「その通りだ。それが判る君にこそ継いでほしいのだ」と言い切る。大伯父は、悪意に染まった自分の仕事の罪深さを真に理解したうえで継いでくれる人を、ずっと待っていたのだ。
夏子は「下の世界」で本当は何をしようとしたか
眞人や大伯父についての感情や思想は、これまで整理してきたシンボルを読み解くことで察することができる。問題は「下の世界」での夏子についての描写がほとんどないことである。夏子はなぜ「下の世界」で子供を産もうとしていたのだろうか。
夏子がいた産屋は強力な結界に守られ、彼女は冷たく固い石の墓の上で寝かされていた。これは明らかに死のシンボルであり、一見すると夏子は子供を殺すために「下の世界」で出産しようとしているようにも捉えられる。
一方、「下の世界」には生きているものはほとんどなく死んだものばかりだと言われていたが、鳥たちは繁殖し、ワラワラは自然に湧いて出る。あの世界は大伯父がどれほど望んでも新しい命が生まれることを完全には拒絶できない仕組みなのだ。だからこそ大伯父はペリカンを連れてきてワラワラを食べさせていた。
つまり、「下の世界」で子供を産むことそのものが死とは直結していない。あの世界でもやはり出産は出産であり、生まれた命はたしかに存在することができる。それはヒミが妹の出産をネガティブに捉えていなかったことからも分かる。
殺すために産むのではないのなら、夏子が「下の世界」で出産する意味はひとつである。それは、「別の時間に子供を逃がす」ためだ。
「下の世界」はいくつもの扉によって多数の時間と繋がり、すべてが同時に存在する世界でもあった。ヒミが消えた時のままの姿で一年後に現実世界に戻ってきたことはとても重要な意味を持つ。夏子は少女時代、歳を取らずに帰還した姉を間近で見て、塔の中では時間が別の場所に繋がっていることをすでに知っていたのだ。だから自ら塔へ足を運んだ。
夏子が別の時間に子供を逃がそうとした理由は明確になっていない。姉の夫であった(プライドが高く作中では自分の地位を誇示することしか考えていなさそうだった)勝一との結婚や妊娠を本当は望んでいなかったのかもしれないし、眞人に出会ったことで義理の息子と自分の赤ちゃんを同時に家族にする決心が揺らいだのかもしれない。または、つわりの苦しみに耐えかねて、一時的に逃げる場所を追い求めたのかもしれない。どの理由もすべてを説明するには中途半端に思えるが、戦時中という時代背景は、おそらく重要な理由のひとつにあったのではないか。
いずれにしても、夏子は墓石の産屋で眞人と対峙し「あなたなんか大嫌い」と本音をぶちまけてしまい、しかし眞人から「母さん」と返されたことで、意識の転換を迎えたのだ。眞人と本当の親子になれると感じたから現実世界に戻った、と感動的に捉えることは簡単だが、きっと夏子の意識の転換はもっと自身と赤ちゃんに向いたものだったに違いない。
眞人自身も、「母さん」というセリフは心から出た言葉ではなかったはずだ。夏子と信頼関係を築くには作中の二人の交流はあまりに薄い。ラストシーンでプライドの塊の父親を含めて三人で抱き合っているのは、本当の家族の絆を結べたからではない。彼らはそれぞれ別の経緯で意識を転換させ、結果的に家族となる。新しい世界を築くのではなく、悪意に染まったこの現実世界で生きていくことを決意した眞人たちが、それぞれ少しずつ踏み出したことによって家族という都合のいい関係におさまった、と解釈するのが妥当だろう。
「悪意」に染まった世界で生きるということ
宮﨑駿監督にとって、世界の「悪意」とは死であるという。そもそも世界は悪意に満ちていて、生と死の両方をあわせもつ生き物もまた、悪意に染まっている。大伯父も、眞人も例外ではない。我々は生まれ落ちた時点で「悪意」からは逃れられない運命にある。だから誰も、「悪意から自由な」大伯父の世界を真に継ぐことはできない。
しかし、「美しい世界になるか醜い世界になるかは君にかかっている」という大伯父のセリフは真実でもあるだろう。人間は誰しも悪意から逃れられないが、意識の転換によって希望を捨てずに神の作ったこの世界を生きることができる。
2018年に高畑勲監督が亡くなったことは、この映画に大きな影響を与えた。宮﨑駿監督は高畑勲監督を世界の中心に置き、常に語りかけながら『君たちはどう生きるか』を作ったという。登場人物たちの多くもスタジオジブリ関係者をモデルにしたそうだ。(余談だが、青サギのモデルは鈴木敏夫プロデューサーだそうだ。これは本来の意味での「悪意」をちょっぴり感じる)
宮﨑駿監督自身もまた、人間の持つ悪意に自覚的でありながら、この世に希望を見出したいと思っている。そういった苦しみのうえに生み出されたのが映画『君たちはどう生きるか』だ。
この解説・考察だけでオマージュ部分を網羅することは不可能なので、読者の皆さまにおかれましては、ぜひ過去のジブリ作品を見て、また『君たちはどう生きるか』に帰ってきてほしい。地球儀を回すように、きっと飽き足らず思いを馳せることができる。
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吉野源三郎原作、羽賀翔一イラストの漫画『君たちはどう生きるか』はマガジンハウスから発売中。
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本記事の筆者・佐伯真洋による『すずめの戸締まり』のジブリオマージュの解説&考察はこちらから。
『君たちはどう生きるか』ラストのネタバレ解説&考察はこちらの記事で。
『君たちはどう生きるか』の声優紹介はこちらから。