映画『まる』公開
映画『波紋』(2023) の荻上直子監督が監督・脚本を務めた映画『まる』が2024年10月18日(金) より全国の劇場で公開された。堂本剛が『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』(1997) 以来となる映画主演を務めた本作は、現代美術と円相をモチーフにした少し不思議な物語。綾野剛、吉岡里帆、森崎ウィンら実力派の俳優が脇を固める。
映画『まる』は現代社会が抱える問題に切り込んだ作品でもある。荻上直子監督は映画『まる』で何を描いたのか。今回は、そのラストについて考察しつつ感想を記していこう。なお、以下の内容は映画『まる』の結末に関する重要なネタバレを含むので、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『まる』の結末に関するネタバレを含みます。
Contents
映画『まる』ネタバレ解説
「◯」から始まる物語
映画『まる』の主人公・沢田は孤独に生きる“美術関係者”の人間だ。冒頭では人気現代美術家のアシスタントとして働いているが、沢田にはアーティストという意識はなさそう。同僚の矢島に「搾取されている」と指摘されても、「そういうもの」と割り切っているようである。
そんな沢田は、ある雨の日に自転車で走りながら鳥を眺めていた時に転倒してしまい、アシスタントの仕事をクビになる。「食べてはいける」、そう思っていても、不慮の事故や病気で簡単に職を失ってしまう。法律や組合、福祉がそうしたリスクから個人を守って然るべきだが、沢田は腕が折れた状態でコンビニバイトで食い繋ぐことになっていく。
だが、ある日部屋に出たアリに導かれるようにして描いた「◯」が瞬く間に世間に広がり、沢田は売れっ子画家になる。どうやらSNSやメディアで拡散されたようだが、映画『まる』は世間のことに無頓着な沢田の視点で描かれるため、実際に何が起きているのかはほとんど分からないまま、沢田は自分が描いた「◯」を中心とした不思議な騒動に巻き込まれていく。
世間の評価・需要に合わせた描いた「◯」は評価されず。一方で、周囲の人々は金になる「◯」を求めて沢田を追いかけ、沢田を憎み、沢田になろうとする。気づけば沢田は信者達が描く「◯」の中におり、「◯」で閉じ込められたあの日のアリのようになっていた。
沢田は次第に何を描けばいいのか分からなくなっていくが、そんな澤田にも何度か転機が訪れる。そして、きっかけはいずれも周囲の人々の言葉や存在だった。
映画『まる』ラストをネタバレ解説
「これくうて茶飲め」
映画『まる』の序盤では、沢田は孤独に生きていたが、物語が進むにつれて多くの人に囲まれるようになっていく。「先生」と呼ばれる柄本明演じる老人は、悩める沢田を茶室に連れて行き、江戸時代の坊主・仙厓義梵(せんがいぎぼん)の円相図を見せる。そこには「◯(円相)」と共に「これくうて茶飲め」と書かれていた。
円相は仏教の禅宗で宇宙のようなもの、悟りの象徴と考えられているのだが、仙厓義梵はこの「◯」を饅頭に見立てた。難しいことはいいから宇宙に身を委ねよう、分からないならジタバタすればいいというメッセージを、沢田は受け取ったのだった。
この考えは、映画『まる』で沢田が時々つぶやく「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり——」という『平家物語』の冒頭からの引用と意味が重なる部分がある。「諸行無常」は仏教の教えで、どんなものも移り変わっていくということを教えている。ゆえに考えすぎずに身を委ねることも大事だということだ。
個展での騒動
個展のシーンでは、沢田はアートディーラーの土屋が連れていたアーティストから、自分たちはペットなのだと言われる。アーティストは資本家のために鳴かなければならない。そんなことを言われた矢先に、個展会場に戻った沢田は矢島が率いる集団が展示会場を襲っている姿を目にする。
美術アシスタントの同僚だった矢島は、社会に蔓延する経済格差に抗議する活動に取り組んでいた。矢島は街頭で「私も寿司が食べたい」と主張していたが、この時の沢田は個展の会場で寿司を食べられる立場になっていた。しかし、それは資本家からのおこぼれであり、ペットとして振る舞っている限りにおいて得られる褒美だった。
矢島は沢田を見かける度に両手で「◯」を作って双眼鏡のようにして沢田のことを見ている。それはまるで、アーティストとして売れていく沢田が搾取する資本の側に立つのか、民衆の側に立つのかを「見ている」と突きつけるかのような行動だった。
名演。沢田の告白シーン
そして自宅に帰った沢田は、隣人の横山に寿司を分け、正直な気持ちを語りだす。ほとんど自分の気持ちを吐露することがなかった沢田の告白シーンは、堂本剛の名演技によって涙なしには見れない名シーンに仕上がっている。
漫画家を志す横山は成功を追い求めていたが、もう心が折れそうになっていた。「なぜ絵を描くのか」と問われた沢田は、人間の身勝手な行為で役に立たないとしても、絵を描きたいという気持ちは止められないと涙を流しながら答える。
横山は初めて沢田と酒を飲んだ時、「働かない2割のアリ」が許せない、役に立たない奴は存在価値がないと激昂していた。横山の自分を認めてもらいたいという欲求は、「役に立たない奴は生きていてもしょうがない」という他者への攻撃に転じていたのだ。このシーンでは綾野剛の怪演も光っていた。
一方の沢田は、役に立たないとしても、「行為」も「存在」もあってはいいのではないか、それは誰にも止められないのではないかと訴えた。自分が世間から求められていると思っていたことを、いつの間にか他者に求めるようになっていた横山は、この沢田の言葉に何かを感じたようで、もう一度漫画家として成功することを目指すことにするのだった。
「◯」が売れることや、誰かに求められること、勝手に意味づけされることに振り回されていた沢田は、「自分が描きたいから描く」という根源的な動機に立ち戻ることができた。そして、寝不足が続いていた沢田はようやく眠りにつくことができ、横山は「おつかれ、おかえり、おやすみ」と声をかけてやるのだった。長い旅に出ていた沢田が他者との間で多くのことを学び、同時に煩悩を削がれ、“自分”に帰ってきた瞬間だ。
三つの皮肉
骨折も完治して右腕のギプスも外れ、沢田は自分が描きたかった「◯」以外の絵を画廊のオーナーの若林とアートディーラーの土屋の元へ持っていく。しかし、その絵は酷評され、その上に「◯」を描くことを要請されてしまう。沢田は言われた通りに「◯」を描いて若林と土屋は喜ぶが、その上で沢田は絵の中央を拳で突き破り、その場を後にする。
沢田はペットになることを拒否したのだ。その決断は、社会のために闘い自分のことを見ていた矢島、家の壁を突き破った横山からの影響なしには語れないだろう。もっと言えば、自分を搾取しようとしたが実は夫の病気で経済的に苦しい立場にあった大家さんら、経済格差によって苦しめられている人たちの分まで拳を突き出したのではないだろうか。
しかし、沢田が破壊した絵は、海外で高く評価されることになる。このシーンは三つの意味で皮肉が効いている。一つ目は、日本では禁忌とされることが海外で評価されること、二つ目は絵が本来の横向きではなく縦向きに飾られていること、三つ目は海外の美術関係者が「寿司を食べに行こう」と言いながらもアメリカで生まれた「カリフォルニアロールが食べたい」と言うことだ。
確かに海外では、日本の業界における意味不明なルールや上下関係を度外視して評価してくれる土壌はある。しかし、それは日本の業界に対する抵抗さえも商業化するパワーを持っているということでもある。また、横向きの絵を縦にして解釈することで、この作品はすでに沢田の手を離れている。
そして、評価者達はそうしてアボガドの入った「カリフォルニアロール」を「寿司」という基準に取り込んでいく。矢島や横山の「寿司を食わせろ」という単純な叫びすらも枝分かれする、巨大で複雑な構造が存在するということも示されている。
モーの言葉
映画『まる』ではもう一人、沢田にとって重要な人物がいた。ミャンマー出身のコンビニ店員モーだ。モーは、日本人客から差別を受けながらも、「満たされている」という意味の「福徳円満、円満具足」という仏教の考えを持ち、前向きに生きていた。
仙厓義梵は「◯」を饅頭に見立てたが、モーもあんまんを一つの「◯」の形として沢田に提示していた。日常の中で沢田にヒントを与えてくれていたのである。
住んでいたアパートが取り壊されることになり、沢田は遠くに引っ越すことに。コンビニバイトも辞めることになるだろう。最後にモーは沢田から色紙に「◯」を描いてもらうが、署名が入っていないのでお金にはならない。けれど、モーは沢田に「ありがとう」「大切にします」と言う。
沢田はこれまでお金目的で絵を描いてくれと言われるばかりで、絵を描いてもらった本人からその絵を「大事にする」という言葉はもらったことがなかった。お金になるから絵を描くのではなく、絵を描きたいから描く。お金になるかどうかではなく、その絵そのものに価値がある。モーから言ってもらえた言葉で、沢田の「◯」も報われたのではないだろうか。
そしてモーは、沢田が自転車で事故をした時に眺めていた鳥は、思いの外ポジティブな気持ちだったのではないかと話す。沢田は序盤で思い悩んでいた時に、雨に濡れた鳥達が不快感を抱いていたのではないかと話していた。
相変わらずなポジティブさを示すモーに関心する沢田だったが、モーは「そう思わないとやってられないんです」と吐露する。序盤でコンビニ客がモーをからかう場面では、客はモーの数字の発音を嘲笑していた。日本では関東大震災で「十五円五十銭」と発音できるかどうかで朝鮮人かどうかを判断され、うまく発音できなかった者が殺されたという歴史がある。
そんな歴史も共有していない日本人が日本で働くモーに投げかける差別は、モーに突き刺さっていないわけではなかった。モーにも、ポジティブに振る舞わないとやってられないという思いがあったのだ。
三角形の意味は?
映画『まる』のラストでは沢田が気持ちよさそうに自転車に乗るシーンが映し出されるが、最後に「先生」がなぜか交通誘導員として登場する。三角形の反射板を持った先生は、「底辺×高さ÷2」と三角形の面積の求め方を叫んでいる。
三角というのは格差社会のヒエラルキー/ピラミッドの形だ。底辺にいる人々とトップに立つ人々の富を掛け合わせて分配すれば社会はマシになる、そんなメッセージがあったのかもしれない。横山は冗談で「インドで×を描く」と言っていたが、世界に溢れる図形からは様々な意味を読み取ることができる。沢田をこだわりから解放してくれた先生は、もう「◯」に囚われるなと言っているようでもある。
あるいは、あれだけ高名っぽかった先生だが、映画『まる』のラストの時点ではすっかり転落してしまって工事現場でバイトをしていると見ることもできる。まさに「諸行無常」。一つの怪我で職を失った沢田と同じく、理不尽でいつ転落するか分からない資本主義の仕組みは誰にでも襲いかかってくる。
それを象徴するかのように、最後に沢田は夕陽を背後に飛ぶ鳥達を見ながら、画面の外でクラッシュしてしまう。沢田が再び怪我を負ったのかどうかは分からない。映画『まる』にはゴールや答えはないのかもしれない。だが、それでもよいというのが仙厓義梵の円相図の意味だ。
エンドロールで流れる曲は堂本剛が歌う「街(movie ver.)」。2002年に堂本剛が初めてソロ名義でリリースした曲のアレンジバージョンである。「愛を見失ってしまう時代だ」という歌詞が、20年以上の時を経ても刺さる。「街も求めているんだ」「傷ついたりもするんだけど」というラインは『まる』における沢田が置かれた状況に重なる歌詞になっている。
エンディングでは、沢田が描いたと思われる絵も複数枚登場する。おそらく沢田はもう「◯」を描かなくてもよくなり、自分が描きたい絵を描くようになったのだろう。
映画『まる』ネタバレ感想
『まる』というアート
映画『まる』は、堂本剛が2024年3月末でSMILE-UP.を退所してから初めての俳優業の仕事だった。自ら利き手ではない左手で「◯」を描いたり、.ENDRECHERI. / 堂本剛名義で映画の音楽も手掛けるなど、堂本剛のアーティストとしての本領が発揮された作品と言える。
一方で、沢田が「◯」を描くまでは音楽が一切流れないなど、静かな作品でもあった。言葉で説明されないことも多く、絵画のように、示されたモチーフから様々なことが読み取れる自由度の高い作品だったと言える。
ストーリーには直接関わりはないが、劇中で時折起きる地震も『まる』の世界の不安定さを示している。だが、恐ろしいのはこの『まる』の世界の状況はほとんど現実と同じということだ。
自己責任論と陰謀論に傾倒する横山や、美術作品への襲撃をダルそうに見ているディーラー達、自分が資本家のペットだと受け入れるアーティスト、アーティストが売れた途端に投資すると言い出す知り合いの個人投資家など、現実の社会を構成する矮小な人々が高い解像度で描かれている。
格差社会に抗議する矢島については、“活動家”のステレオタイプな描き方はやや引っかかった。矢島自身の物語は描かれず、沢田のための装置として登場したに過ぎなかった。一方で、映画『まる』の中で沢田はSNSやテレビも目にせず、自分以外のことについてほとんど知ることはない。沢田の無関心と無気力をベースに置いた『まる』の物語においては、沢田以外の他者のバックストーリーの開示は最低限にとどめられている。
私たちは他者の全てを知ることができるわけではない。それでも困った時に相談し、目を向けてもらい、言葉をもらって何かに気づくきっかけになる。そのきっかけは気が合わない隣人の存在かもしれないし、大昔の坊さんの言葉かもしれない。
映画『まる』で提示されたモチーフや要素は非常に多い。仏教の教えから、個人同士の向き合い方、社会が抱える問題に至るまで、全て説明されるわけではなく“アート”として作品の中に散りばめられている。
『まる』は多少難解な作品ではあるかもしれない。しかし、それもまた一言では言い表せない複雑な社会のあり方を反映した結果とも言える。円を描くように何度も鑑賞することで、見えてくることもあるだろう。
映画『まる』は2024年10月18日(金) より、全国の劇場で公開。
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