映画『八犬伝』公開
山田風太郎の小説『八犬傳』を実写映画化した『八犬伝』が2024年10月25日(金) より劇場で公開された。本作は、『南総里見八犬伝』の作者・滝沢馬琴と江戸時代の絵師・葛飾北斎の交流と『南総里見八犬伝』の物語を交錯させて描く作品で、木下グループが製作、unifilmが制作を担当した。
『八犬伝』は、映画『ピンポン』(2002)、実写版「鋼の錬金術師」シリーズなどを手掛けた曽利文彦監督が長年映画化を目指してきた作品だ。その長年の思いが見事に結実した傑作に仕上がっており、公開初日から高い評価を得ている。
今回は、映画『八犬伝』のラストについて、ネタバレありで解説&感想を記していこう。以下の内容は本編の結末に関するネタバレを含むので、必ず劇場で『八犬伝』を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『八犬伝』の結末に関するネタバレを含みます。
映画『八犬伝』ラストをネタバレ解説
書き手と絵師の創作論
映画『八犬伝』では、滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』の冒頭を思いつき、葛飾北斎が挿絵の提供を依頼されるところから幕をあける。構成としては『南総里見八犬伝』の作中の描写から幕を開け、物語の内容が進んではその話を馬琴が北斎に語る、そして二人が創作と生活について話をするという形で進んでいく。
短い時間で世界観が展開していく構成が実のところ非常に現代的で、ショート動画を見慣れている私たちにとっても見やすい形になっていた。また、馬琴と北斎というおじいさん同士の会話は微笑ましく、“書き手と絵師”である二人のやりとりは、現代のクリエイターにとっても親しみやすい内容になっている。
『南総里見八犬伝』を書き始めた頃の馬琴は、自分の創作活動を「作り話」を作っているだけと卑下していて、「なぜ虚を描くのか」という問いには「生活のため」と答える。だが、北斎との交流と『八犬伝』の物語を進めていくにつれて、現実が不条理であるからこそ物語の中でこそ勧善懲悪を描かなければならないという信念を持ち始める。
そんな中、「東海道四谷怪談」の作者である鶴屋南北との問答を経て、馬琴はスランプも経験する。馬琴は鶴屋南北の作る物語を「理屈が通らない」と考えていたが、鶴屋南北は“虚”であるはずの怪談を“実”だと考えていた。理屈が通らず、不条理にまみれているのは現実の方だと言うのだ。
確かに、勧善懲悪が現実で成り立たないからこそ、馬琴は物語の中で勧善懲悪を描いていたはずだ。悩む馬琴に、『南総里見八犬伝』のファンである渡辺崋山は、虚を描き続けることで、その作家が生きることは実となるという助言を与える。渡辺崋山は、江戸時代に画家でもあったが、田原藩士として藩政改革にも取り組んだ人物だ。
家族との関係、そして晩年
“虚”を描き続ける曲亭馬琴だったが、馬琴にとっての“実”は家族だった。息子の宗伯のことは厳しく躾けてきたが病気で早死にしてしまい、馬琴は自分を責めることになる。“虚”の『八犬伝』の中では正義が報われる物語が進んでも、現実の生活では家族がバラバラに。『八犬伝』の物語とは裏腹な馬琴の“実”の苦悩は、リアルで切ない。
それでも、映画『八犬伝』のラストでは、ついに『南総里見八犬伝』が完結へと向かっていく。八犬士が揃い、北斎もそれを喜ぶが、北斎が描いた絵を見た馬琴は、その絵を認識することができなかった。北斎が描いたのは城の絵だったが、八犬士が揃ったところを描いたと嘘を言って馬琴に見せ、馬琴はそれを見て何も言わずに喜んだのだ。この時点で馬琴はもう両目が見えていないことが明らかになる。
馬琴が失明したのは73歳の時。劇中でも7歳上の北斎が80歳になっていることに触れられている。『南総里見八犬伝』のラストを書くことができなくなった馬琴は、編集者からも口述筆記(内容を口で話して別の人が書き留めること)で作品を完成させることを依頼されるが、気難しい馬琴は身内以外では務まらないとこれを拒否するのだった。
お路の存在
馬琴の息子の宗伯は馬琴の小説の校正を担当しており、陰で馬琴を支えた重要な人物だった。宗伯亡き今、『八犬伝』を完成させることは不可能かと思われた。馬琴が文字通り「筆を折る」姿も。しかし、ここで口述筆記に名乗りを挙げたのは、宗伯の妻だったお路(みち)こと土岐村路だった(江戸時代は夫婦別姓なので滝沢宗伯とは姓が異なる)。
土岐村路は漢字が書けなかったが、『八犬伝』にふりがながついていたことで作品は読めていた。馬琴は当初難色を示すが、路が分からない漢字を一つずつ教えていく形で執筆を進めていくことに。史実においてもこの作業には相当な苦労があったそうだ。
そんな中、馬琴の妻・お百もこの世を去ることになる。映画『八犬伝』では、馬琴と路が作業をしているところにやって来て、「ちくしょー」と言いながら倒れ込んで息を引き取る様子が描かれた。これは、史実において晩年のお百が馬琴と路の関係に嫉妬するようになっていたことを反映した演出である。
『八犬伝』のラストは?
そしてついに『八犬伝』が完成。“虚”のラストでは、怨念としての正体を現した玉梓に犬塚信乃が対峙すると、八つの玉を使って玉梓の退治に成功。現八、大角、小文吾は戦いの中で死んでしまったが、そこに伏姫が降臨する。これからも八犬士で力を合わせるよう告げると、現八、大角、小文吾の三人が復活し、八犬士は再び8人揃ったのだった。
映画『八犬伝』の劇中、馬琴は北斎から罪のない女性キャラクターたちが殺されていく展開を批判されることがあった。最後に正義が勝つという展開を用意していると話していた馬琴は確かに、浜路が実は姫だったり、ご都合主義すぎるくらいに最後に辻褄を合わせている。馬琴は「正義が勝つ」「善い行いが報われる」ことを描くという信念を貫いたのだ。
北斎は久しぶりに馬琴に会いに来るが、最後の執筆活動に取り組む馬琴と路の姿を目にして、声をかけずに去っていく。しかし、帰り道に振り返って「あれは絵になる」と呟く。序盤では去り際に馬琴を見て「絵にならねぇ」と語っていた。だが、歳を重ね、物語(虚)を書き続け、その人生を生きた作家人の“実”が「絵になる」と、北斎は思ったのだろう。
映画『八犬伝』のラストでは、『南総里見八犬伝』が28年をかけて完成したこと、路が口述筆記で書き始めてからはわずか8ヶ月で完成したこと、漢字を知らない路は馬琴から教わりながら筆記を続けて馬琴に劣らぬ筆致になったこと、これらは日本文学最大の奇跡として知られていることが紹介される。馬琴の作家人生と『八犬伝』は、路や北斎、お百や宗伯なしにはあり得なかったことが分かる。映画『八犬伝』はそんな馬琴の“実”を描いた作品だったと言える。
ラストシーンでは、机の上で息を引き取った馬琴を八犬士たちが迎えに来る。このシーンの馬琴との八犬士たちの笑顔は眩しいったらない。そこには、執筆を「作り話」「生活のため」と言っていた馬琴の面影はない。自らが生み出した“虚”に囲まれて、馬琴は生涯を終えたのだった。
映画『八犬伝』ネタバレ感想
虚も実も魅力満載の傑作
映画『八犬伝』は、実のパートで現代のクリエイターにも示唆を与えてくれる作品でありながら、虚のパートは一流の本格エンターテインメントに落とし込まれていた。どちらのパートが来るのも楽しみになるクオリティの高さで、2024年ベストと言ってもいい完成度だった。
特に虚のパートの美術・衣装・アクション、そして若手俳優陣の演技は見事なもので、日本の時代劇のレベルの高さを改めて実感した。信乃と現八の芳流閣の戦いはエキサイティングで、原作にあたり直したくなるような、力強い魅力があった。八犬士の魅せ方とアクションにはスーパーヒーロー的な要素も感じられた。
実のパートも滝沢馬琴役の役所広司、葛飾北斎役の内野聖陽、お百役の寺島しのぶらをはじめ、ベテラン俳優陣を皮切りに、路を演じた黒木華、鶴屋南北役の立川談春らの見事な演技が光った。また、「創作は世の中の役に立つのか」という問いの置き方や、老人男性同士の問答でそれを乗り越えていこうとする姿は非常に現代的だった。
そこにいた女性達の姿を捨象したり都合よく扱わないことにも気が配られており、本格和風ファンタジーアクションと合わせて、映画『八犬伝』は海外でも高い評価を得ることになりそうだ。曽利文彦監督とプロデューサーの葭原弓子&谷川由希子が映像化を実現させた名作に拍手を送りたい。劇場で何度も見直したくなる魅力がある作品だ。
映画『八犬伝』は2024年10月25日(金) より劇場公開。
山田風太郎の原作小説『八犬伝』は角川文庫から発売中。
滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は白井喬二による現代語訳版が発売中。
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