『エディントンへようこそ』公開
映画『ヘレディタリー/継承』(2018)、『ミッドサマー』(2019) などで知られるアリ・アスター監督の最新作『エディントンへようこそ』が2025年12月12日(金) より、日本の劇場で公開を迎えた。『ボーはおそれている』(2023) に続き、アリ・アスター監督とホアキン・フェニックスがタッグを組み、コロナ禍のニューメキシコ州の小さな町を舞台とした物語が展開される。
『エディントンへようこそ』では、『マンダロリアン』(2019-)、『THE LAST OF US』(2023-)、『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』(2025) などでの主演で知られるペドロ・パスカルが市長役で出演。加えてオースティン・バトラーにエマ・ストーンと、豪華キャストの競演が実現した。
今回は、『エディントンへようこそ』の特にラストの展開について、ネタバレありで解説&考察し、感想を記していこう。以下の内容は結末の重大なネタバレを含むため、必ず本編を劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。また、以下の内容は性暴力および児童への虐待についての描写への言及を含むのでご注意を。
以下の内容は性暴力および児童への虐待についての描写への言及を含みます。
以下の内容は、映画『エディントンへようこそ』の結末に関するネタバレを含みます。
Contents
『エディントンへようこそ』ネタバレ解説&考察
ニューメキシコという土地
映画『エディントンへようこそ』の舞台は2025年5月下旬のニューメキシコ州エディントン。市長のテッド・ガルシアは州知事からの指示に基づき、新型コロナ対策としてロックダウンを実施し、マスクの着用を市民に義務づけた。一方、保安官のジョー・クロスはこれに反対し、選択の自由を主張している。
エディントン自体は架空の地名だが、ニューヨーク生まれのアリ・アスター監督は、父がジャズバーをオープンしたイングランドでしばらく過ごした後、10歳の時に家族でニューメキシコ州のサンタフェに移住している。
アリ・アスター監督はそのまま少年期をニューメキシコで過ごした後、同地のサンタフェ大学アート・アンド・デザインに通っており、そこで映画制作について学んだ。『エディントンへようこそ』は、アリ・アスター監督が故郷を舞台にしつつ、コロナ禍とSNSという人類が共有した直近の題材を扱う作品なのだ。
保安官のジョーは市長のテッドと対立するようになり、市長選への立候補を決意する。データセンターの建設を公約に再選を目指すテッドに対し、ジョーはテッドが過去にジョーの妻ルイーズに性的暴力を加えたと告発。ジョーとテッドは明らかに異なる動機を持って選挙戦を戦うことになる。
ジョーが抱えているのは、家庭内の不和やコロナ禍での窮屈さも含め、自由が奪われているという感覚だ。それはコントロール(支配力)が奪われているということでもあり、だからジョーは最も身近な権力を志向して市長になろうとするのだろう。そして、それがうまくいかないと見るや、ジョーは“銃”という最も分かりやすい力の形を行使することになる。
陰謀論とルイーズの真実
一方、『エディントンへようこそ』が扱うもう一つの重要な要素が陰謀論だ。ジョーの妻ルイーズは、コロナ禍になって同居し始めた母ドーンの影響を受け、陰謀論に傾倒していく。ドーンを演じるのはディードル・オコンネルで、ドラマ『THE PENGUIN -ザ・ペンギン-』(2024-) でも主人公オズの母フランシス役を演じている。
市長選に出馬したジョーをよそに二人は陰謀論にハマっていき、カルト集団の教祖ヴァーノンと繋がることになるのだが、皮肉にもヴァーノンを通してドーンとルイーズの違いも明らかになる。ヴァーノンは本人によると幼少時代に虐待を受けていたサバイバーで、幼児虐待に関する陰謀論を展開して支持者を増やしていた。
一方、ルイーズは自身の父、つまり母ドーンの夫から性的虐待を受けていたことが示唆されている。ジョーの家を訪ねたヴァーノンが、「悪は感傷的だ」と話した後に、ルイーズに向かって「君の父は感傷的だった」と言うのだ。
序盤では、ルイーズの父はかつて保安官だったとドーンが話している。ドーンが夫の話をし始めるとルイーズはそれを遮るように祈りを始めて、ルイーズが父の話題を避けているという描写もあった。ドーンもジョーもルイーズが父に虐待を受けていたことはなんとなく分かっているのだが、それを認めたくないと言う気持ちが二人を否認行動に走らせる。
市長のテッドは、過去にルイーズと数回デートしたが肉体関係はなく、半年後にドーンが現れてルイーズが妊娠したと言ってきたと語っていた。ルイーズは父に妊娠させられていたが、ドーンはそれを受け入れられず、テッドのせいにしようとしたのだ。
そしてジョーも全く同じ行動をとることになるが、蓋をされた過去と今回が決定的に異なるのは、ジョーがテッドをSNSで告発したという点である。“悪”が自分と同じ保安官の義父であってほしくない、市長選で対立するテッドであってほしい、ジョーの個人的な否認行動は、けれど瞬く間に世界に拡散されていく。
ジョーの勝手な行動により、ルイーズはヴァーノンと共に家を去ると、テッドに虐待されたことを否定する動画を公開。ジョーはテッドはもちろん、その支持者たちからも軽蔑され、義母のドーンだけが残されることに。そうしてジョーの行く末はかなり自業自得な形で方向づけられてしまう。
まさかの急展開
勝手に絶望的な状況へと落ちたジョーは、バーを荒らしていたロッジを射殺。ここからジョーは止められなくなる。なお、ロッジは冒頭でエディントンの外からやってきており、バーで酒の味がしないと発言していることから、ロッジによってエディントンに新型コロナが持ち込まれたものと考えられる。
ロッジはロッジで、デモのシーンでは娘のグロリアを奪われたと発言し、バーでも「なぜあの子の手を離してしまったのか」「あの子を返してくれ」と叫んでいる。子を失った父としての側面を持っているようだが、ホームレス状態にあると思われるロッジの言葉は誰にも届かない。『エディントンへようこそ』の特徴は、こうして一人一人が異なる背景と主張を抱えて行動していることにある。
ジョーはさらにスナイパーライフルでテッドとその息子のエリックを射殺。ここからがクライマックスというところでテッドを演じるペドロ・パスカルが退場してしまう。初見では「えぇ!?」と思ったものの、この後の展開を見れば、ペドロ・パスカルを付き合わさなくてありがとうとも思ってしまった。
ジョーは市長殺害事件の犯人だが、同時に捜査を行う立場でもある。いくらでも隠蔽が可能だ。しかし、ジョーはテッドの狙撃をプエブロの領地から行ったため、バタフライらプエブロの警察も捜査に入ることに。プエブロとはネイティブアメリカンの集落のことで、ここでは「サンタルーペ共同体」という名前で登場している。
ジョーは記者会見で市長暗殺をアンティファ(ANTIFA)の仕業だと断定。アンティファとは「アンチ・ファシズム」、つまりファシズムに抵抗する人々や運動の総称だが、現実ではドナルド・トランプ米大統領は実体のないアンティファを「テロ組織」に認定。政府が敵を作り出して不安を煽り、分断を生む手段として利用されている。
だがしかし、『エディントンへようこそ』の驚くべき点は、存在しないはずのテロ組織としての「アンティファ」がプライベートジェットに乗ってエディントンへやって来ることである。エディントンへようこそ。
『エディントンへようこそ』ラストをネタバレ解説&考察
「アンティファ」vs ジョー
明らかに新型コロナに感染しているジョーだが、濡れ衣を着せて拘束した黒人警官のマイケルが何者かによって解放されてしまう。さらにバタフライはジョーがテッド殺害をアンティファの仕業に見せかけるために現場に残したメッセージの筆跡と、警察署のホワイトボードにあった「E」の筆跡が一致することに気づき、真実へと近づいていく。
アリ・アスター監督名物、悪い夢でも見ているかのような終盤の展開。ジョーと部下のガイはマイケルが動けない状態にされているのを発見するが、マイケルの周辺は突如として大爆発。地上には炎で作られた「NO PEACE」と文字が浮かび上がる。
ジョーは実行犯が落としたスマホの中にニュースで見たBLMの過激派の映像も発見。マイケルの爆破は飛行機でやって来た「アンティファ」がジョーを誘き出すための犯行であったことが示唆されている。
ここからはひたすら不憫なホアキン・フェニックス再び。「アンティファ」から逃げる中でネイティブアメリカンの資料館に派手に落下するなどやられ放題。ペドロ・パスカルは早々に退場していてよかった……。
ジョーvs「アンティファ」は、BGMなしの異様な銃撃戦が展開され、バタフライもあっさり殺されてしまう。このお話は一体どこへ向かうのかと固唾を飲んで見守っていると、ジョーはサクッと敵にナイフで頭を突き刺されて倒れる。そこに、市長テッドの息子のエリックの友達だったブライアンが登場し、カメラを回しながら「アンティファ」を射殺して事件は収束する。
なんじゃこれ。
ラストの意味は?
BLMに打ち込むサラに近寄りたいだけの軽薄な白人青年だったブライアンは、SNSを通して一躍英雄に。一年が経過してフロリダ大学に進学し、保守系の人気インフルエンサーとして活動している。
そして、市長とその息子を殺したのは「アンティファのテロリスト」ということになっている。一方でそれを報じる映像には「FOX NEWS」のロゴがあり、保守層からの視点であることが示唆されている。
その映像をスマホで流していたのはウォーレンだ。ウォーレンはテッドに助言をしていた州知事の経済アドバイザーで、州知事からの懐中時計をテッドに届けていた人物だ。中盤では、データセンターの誘致計画についてテッドに詰め寄っていたポーラは、エディントンの経済開発担当であるウォーレンがテッドを立候補させたとジョーに話していた。
ウォーレンが動画を見せていたのは、意識はあるが動けない状態で生きているジョーだった。ジョーは生き延びて市長となり、義母ドーンの傀儡となっていたのである。そして、エディントンにはSGMK (SolidGoldMagikarp)社によってデータセンターが建設されていた。
いずれは国政に進出するとされていたニューメキシコ州知事のもとで働くウォーレンは、市長が誰であれデータセンターの誘致が実現できればそれで良かったのだろう。相変わらず陰謀論を並べ立てて演説するドーン、そして動けなくなったジョーの姿を撮影していたのは、顔中に傷を負いながら生き延びていた警官のマイケルだった。
データセンターの建設にはプエブロの土地も利用されており、バタフライは壁画になっているが、風力発電所が次々と建設されている。ヴァーノンが演説する動画では妊娠したルイーズの姿が確認できる。ドーンとジョーが眠るベッドには、介護士が入ってきてドーンと眠る奇妙な光景も。
そして、『エディントンへようこそ』のラストシーンは、闇夜の中でスナイパーライフルの射撃練習に取り組むマイケルの姿と、荒野の中で煌々と光を放つSolidGoldMagikarp社のデータセンターの姿を捉えて幕を閉じる。撮影禁止のイベントでじっとジョーを撮り続けていたマイケルは、ジョーがテッドにそうしたように、いずれスナイパーライフルで市長の命を狙うことになるのかもしれない。
『エディントンへようこそ』ネタバレ考察&感想
込められていたメッセージは?
アリ・アスター監督最新作『エディントンへようこそ』は、前作『ボーはおそれている』よりは現実路線の映画だったが、ラストの数十分はやはりどこへ連れて行かれるのか分からないアリ・アスター監督らしい展開が用意されていた。それでも全体を通して見れば、一貫して現代的なメッセージが込められていたことも分かる。
『エディントンへようこそ』の登場人物に共通するのは、それぞれのキャラがそれぞれに異なる関心を抱えているという、当たり前の現実だ。例えば、陰謀論にハマるドーンとルイーズでも方向性は全く異なる。子を失った親の立場で叫び続けるロッジはルイーズらと近い立場にいるはずだが、その声は誰にも届かない。
ジョーの部下のマイケルは仮想通貨(暗号資産)に関心を持っていて、勝手にビットコインのポスターを貼っていたり、イーサリアムに関するニュースを聞いていたりする。仮想通貨には非中央集権という側面もあるが、データセンター建設を進める市長テッドと戦う立場にあっても、マイケルはどちらかというとテック寄りの人物でもあるのだ。
近いようで離れていて、離れているようで近い。人口わずか2千数百人の町ではそんな日常で溢れているのだろうが、これがひとたびSNSで拡散されると、私たちが知っている“SNS社会”が顔を出し、遠く離れたエディントンの町も分断と対立が激化する。発信源は現実社会なのだが、その怒りと扇動はSNSを通して何倍にも増幅され、現実へと帰ってくるのだ。
アンティファ、BLM…アリ・アスター監督の意図は?
では、『エディントンへようこそ』における勝者とは誰だったのか。本作では、冒頭とラストのシーンが分かりやすく一致している。冒頭では「SolidGoldMagikarp社」のロゴが描かれた「ハイパースケール・データセンター開発」の看板が登場し、1年後を舞台にしたラストでは、市長はジョーに交代したもののデータセンターの建設は実現している。
州政府やテクノロジー産業の誘致を進める勢力と繋がりがあったのはテッドの方だったが、エディントンの人々があれだけの死闘を演じようと、より大きな権力は目的を達成するというシニカルな結末。そして力に“寄生”できるドーンのような人物が生き延びるという現実。
『エディントンへようこそ』は米国では2025年7月に公開されたが、海外で先んじて議論になっていたのが、アンティファに関する描写だ。そもそも「アンティファ」とされていた部隊は、アリ・アスター監督が本当にアンティファとして描く意図があったのかどうか。
多数派となっている意見は、あの部隊は、データセンター建設を推進したい勢力が新市長に就任しそうなジョーを排除するために、アンティファを装い送った部隊だったという解釈だ。プライベートジェットを飛ばせて、武器を揃えられる勢力はテック界の人物ではないかという考察である。
つまり、テック業界は実力行使でデータセンターを建設しようとしたが、そのために起こした事件の責任をアンティファ、延いては左派になすりつけたというわけだ。最後に事件がアンティファの仕業だったと報じていたのが保守派御用達のFOXニュースだったという点もこの説を後押しする。
一方で、あの部隊は“アンティファ”の単なる戯画化と見ることもできる。BLMに関しても、抗議者たちは対話不可能な人々として描かれている節があり、そこには「どっちもどっち論」や冷笑の雰囲気も感じ取ることができる。
アリ・アスター監督は第38回東京国際映画祭で来日した際に、舞台挨拶でBLMに関してこう発言している。
実は、ニューメキシコには黒人はあまりいないという事実もあるんです。この運動に参加している若者の中には、本当に誠実な理由で、本当にそれが大事なことだと思って参加している人もいれば、すごくシニカルな理由で入ってくる人もいるんですね。それがネット上で炎上したり、話題になったりすると、すぐに、それが何千人もの視点によって汚染されてしまうということが起こります。
この発言を見るに、アリ・アスター監督の中には、どんな主張であれ、そこには誠実な人と不誠実な人が存在すると考えているのだろう。その上で、ネットを通してそれらの主張が「汚染」されてしまうというところに問題意識を置いているのだ。
すべては“偏執的な思い込み”なのか
その考えを踏まえると、アリ・アスター監督がアンティファやBLMを揶揄していると捉えることも、テック大富豪がすべての黒幕だと捉えることも、エディントンの住人たちが抱えていたような“偏執的な思い込み”として処理できてしまう。
データセンターの建設が悪かどうかは究極的には分からないことだ。住民が「水源の搾取」に抗議する描写はあったが、テクノロジー産業の誘致と雇用の創出という現実的なメリットも示されており、ラストでは多数の風力発電所も建設されてエコなエネルギーも確保されている。
それぞれの立場や見方によって答えは異なるし、だから論戦や選挙が必要なのだが、人々は、私たちは、分かりやすい陰謀論へと流される性質を持っている。
そうした点も含めて、『エディントンへようこそ』は徹底的にイジワルで後味の悪さを残す作品だとも言えるし、この作品を評価するにあたって、すべての人に一度踏みとどまって自身の客観性について考えることを促す巧妙な仕掛けが機能しているとも言える。
まぁ、ここまで考えさせられている時点で、アリ・アスター監督の手のひらの上で踊らされているということなのだろう。いや、それもまた「そう思いたい私」の陰謀論なのかも。
アリ・アスター監督はこうしていつも、バッドエンドと共に“無限後退”の迷宮を創り出す。私たちがやるべきことは、その迷宮を抜け出すロジックを見つ出して、現実の営みで実践することで、この難題を乗り越えていくことなのだろう。
『エディントンへようこそ』は、2025年12月12日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー、ルーク・グライムス、ディードル・オコンネル、マイケル・ウォード
配給:ハピネットファントム・スタジオ 原題:EDDINGTON
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|2025年|アメリカ映画|
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