実写版『秒速5センチメートル』公開
新海誠監督・脚本で2007年に公開されたアニメ映画『秒速5センチメートル』は、新海誠監督にとって短編「星のこえ」(2002)、初長編『雲のむこう、約束の場所』(2004) に続く連作短編。『秒速5センチメートル』を構成するのは「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3作品で、後の新海誠作品にも色濃く残る要素も見られる重要な作品群だ。
そして2025年10月10日(金)、『秒速5センチメートル』が『アット・ザ・ベンチ』(2024) の奥山由之監督によって実写化。主人公・遠野貴樹の成人期を松村北斗、篠原明里を高畑充希、澄田花苗を森七菜が演じた。今回は、実写版『秒速5センチメートル』をネタバレありで解説し、感想を記していこう。以下の内容は結末までのネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、実写版『秒速5センチメートル』の内容及び結末に関するネタバレを含みます。
Contents
実写版『秒速5センチメートル』ネタバレ解説
松村北斗の見事な演技
実写映画『秒速5センチメートル』は、原作アニメの描写はほとんど残したまま、構成を大幅に変更し、さらに新海誠監督が自らアニメで描ききれなかった要素を書き足した小説版の内容を踏まえた作品となっていた。
主人公の遠野貴樹は東京都内で働くプログラマーだが、30歳を目前に職場で仲間も作らず、恋人の水野理紗とは距離を作り、なんだかうまくいかない日々を過ごしている。結局、貴樹は冒頭で仕事を辞めてしまうのだが、この展開はアニメ版のクライマックスに当たる。実写映画版では、ここから貴樹のルーツが描かれていくことになる。
貴樹は人に対して距離を作り、日曜日にデートに誘ってくれる水野理紗に対しても、冷たいとまでは言わないが、積極的に距離を詰めることもない。この微妙にモラ男っぽい貴樹を、松村北斗が見事に演じる。
松村北斗は、2025年2月に公開された映画『ファーストキス 1ST KISS』では、松たか子演じる主人公の夫役を演じた。同作では、純朴な29歳の大学院生と、モラハラ夫になった44歳の夫を見事に演じ分けており、実写版『秒速5センチメートル』でも近い役を演じる形になった。
「桜花抄」は森七菜の独壇場
『秒速5センチメートル』は、アニメ版でも小説版でも、ストーリーは時系列で描かれていたが、実写版では時を遡るように逆順でストーリーが描かれていく。アニメの第3話「秒速5センチメートル」で描かれた現在の貴樹、高校時代を描く第2話「コスモナウト」、小学生から中学生時代を描く「桜花抄」の順だ。
鹿児島の種子島を舞台にした「コスモナウト」のパートはほとんど忠実な実写化になっていた。小中時代の初恋の相手である明里のことが忘れられない貴樹、その貴樹に恋をする澄田花苗。花苗役の森七菜の演技が素晴らしく、切ない片思いを見事に表現していた。ちなみに森七菜は新海誠監督の『天気の子』(2019) で、オーディションを勝ち抜いて主人公の天野陽菜の声を演じ、本作の奥山由之監督の『アット・ザ・ベンチ』にも出演している。
「コスモナウト」の数少ないオリジナル要素が、花苗の姉・輿水美鳥とカラオケのシーンだ。宮崎あおいが演じた輿水美鳥は原作にも登場したが、実写版では名前が付けられ、貴樹との教師と教え子という関係も深掘りされている。
さらに花苗と貴樹がカラオケに行くシーンもオリジナルだが、ここでアニメ版主題歌の山﨑まさよし「One more time, One more chance」を流しながら、美鳥が遠距離恋愛を経て変化したという話も登場する。美鳥の遠距離恋愛が成就しなかったという話を聞いて、貴樹の明里への想いはさらに頑なになったのかもしれない。
ほぼ忠実に実写化された「桜花抄」
そして、省略もあり得るかと思われた「桜花抄」もほぼ忠実に実写化される。貴樹は科学や宇宙の話を通して明里と仲良くなったが、明里は小学校卒業と同時に栃木に転校。手紙のやり取りをしていたが、貴樹の鹿児島への引越しが決まり、最後に栃木県の岩舟まで明里に会いに向かう。
アニメ版では岩舟へ向かう貴樹のモノローグが、いわゆる“厨二病”的な空気感が強すぎて、『秒速5センチメートル』を見る人を選ぶ作品にしていた要因の一つだった。だが、実写版ではモノローグがなく、電車が雪で停まっていた時間を腕時計の表示で表現するなど、淡々と状況を描く描写にシフトしていた。
また、大人になった貴樹、高校時代の貴樹、中学時代の貴樹と順番に見せていたことで、アニメ版よりは感情移入が可能なキャラになっていたいたようにも思える。
雪で電車が遅れる中、二人はついに再会を果たすと、「秒速5センチメートル」で花びらが落ちると明里が話していた桜の木の下で口付けを交わす。大人が見るには少々きついシーンだが、貴樹の人生を変える出来事として、原作から改変するわけにはいかなかったのだろう。演技の上では子役は口付けをしていないと分かるように首を傾け、カメラも引きで撮るという配慮でギリギリ観れる画になっていたという印象だ。
実写版の唯一の改変は、その後二人が小さな納屋で眠って一晩を過ごしたという描写がカットされていたことだ。二人はそのまま起きていて朝を迎えたと取れる演出となっており、中学生の恋愛を実写で描くというセンシティブなストーリーの中で、より親密な描写をカットすることで、キスシーンとのバランスをとったのかもしれない。
また、岩舟のシーンは、明里にとっても大きな経験だったということを明里の視点でも描くことでバランスをとっていた。この改変は小説版からのものだ。この経験を経て明里は前へ進んだが、貴樹は過去に縛られることになる。
ボイジャー1号と2号
もう一つ、実写版のオリジナル要素で印象的だったのは、ボイジャー1号とボイジャー2号がそれぞれの道をゆくという解説がなされる場面だ。ボイジャー1号と2号は1977年にNASAによって打ち上げられた無人惑星探査機だ。
両機の目的は太陽系の外を探索することで、実写版『秒速5センチメートル』にも登場した「地球の音」という名の金のレコードを搭載していた。地球外生命体によって発見された時のために、地球の自然環境の音や55種類の言語での挨拶が録音されたものだ。
ボイジャー1号と2号は同じ地球から飛び立ちながら、宇宙で交差することなく外の世界へと突き進んでいく。それはまさに貴樹と明里のあるべき姿だ。なのに、本屋で働き日々を明るく懸命に生きる明里に対して、貴樹は過去を引きずり人を遠ざけるようにして生きているのだ。
実写版『秒速5センチメートル』ラストをネタバレ解説&考察
ついに流れるあの曲
実写版『秒速5センチメートル』は、そうして丁寧に過去を紐解いた上で、ラストの30分でアニメ版では描かれなかった結末を描く。映画オリジナルキャラの元上司・久保田邦彦から紹介を受けた貴樹は、同じくオリジナルキャラである科学館の館長・小川龍一を紹介され、科学館のプログラマーとして働くことになる。
貴樹はプラネタリウムのプログラミングだけでなく、音声解説も担当し、偶然仕事で科学館を訪れた明里はそのアナウンスを聞くことになる。明里はその帰り道でイベントのフライヤーの中に貴樹の名前を見つけ、貴樹は今プラネタリウムのプログラマーとして働いているということを知るのだった。
明里からすれば、宇宙が好きで科学に詳しかった貴樹が東京に戻ってきて科学館でプラネタリウムに関わる仕事をしていたことに安心に近い感情を持ったことだろう。貴樹が解説したボイジャー1号と2号がそれぞれの道をゆくという話も、明里の背中を押したはずだ。
一方の貴樹は、「花びらは秒速5センチメートルで落ちる」という明里がかつて貴樹に教えた話を、科学館を訪れていた子どもたちが「お姉さんが教えてくれた」と言っていたことから、明里が科学館を訪れていた可能性に思い至る。
そして貴樹は小惑星が地球に衝突するとされていた日の前夜19時に、岩舟の桜の木の下で会おうという約束を果たすため、岩舟へと向かう。この決意の瞬間に流れるのが、アニメ版でBGMとして何度も流れ、ラストで印象的に使用された山崎まさよし「One more time, One more chance」のリマスターバージョンだ。
アニメ版の「One more time, One more chance」が流れるシーンが、別れを描くスペクタクルな“結末”だった一方で、実写版はここからもう一つの結末を描く。
貴樹が忘れていた言葉
岩舟の桜の木を訪れた貴樹の前に、明里は現れなかった。約束は、貴樹が立派な大人になれなかったか、地球が滅亡するとき、桜の木の下で会うというものだった。明里は貴樹が“立派な大人”になると信じていたし、それに今の明里には別の大事な人がいた。
何も不思議なことはない。貴樹だって水野梨沙と付き合っていた。だけど明里は前に進んでいて、岩舟を訪れることはなかった。そして貴樹は館長の小川に約束のことを吐露。明里をプラネタリウムに案内していた小川は、明里もまたその約束について話していたが、相手には約束を忘れていて幸せに生きていて欲しい、だから会いには行かないと言っていたと明かすのだった。
そして、貴樹は涙ながらに「思い出せない」と言っていた大事な言葉をついに思い出す。それは中学生の時に岩舟での別れ際に明里が言った「貴樹くんはこの先も大丈夫」という言葉だった。この一連のシーンの、弱さを見せて苦しさを吐露する松村北斗の演技は見事だ。貴樹はこの姿を他者に見せられずにここまで生きてきたのだろうというところまで想起させる。
明里は東京を離れることになり、一緒に仕事をしていた輿水美鳥にも別れを告げる。「旦那」という言葉も出ていることから、明里はすでに結婚しているものと思われる。
一方の貴樹は、別れた水野理紗に折り畳み傘を返し、水野の好きだったところを正直に伝えたのだった。二人はヨリを戻すことはないだろうが、貴樹に「明るい」と言われて明るい人になった明里のように、水野もその言葉を糧に前に進んでいけるはずだ。
ちなみにこのシーンで水野は自転車に乗って登場している。序盤で水野は電車に乗れない(おそらくパニックの症状が出る)とされており、薬を飲んだから大丈夫だと思ったがダメだったという描写があった。水野が自転車に乗っているところを見るに、水野はなおもその現実と付き合いながら日々を暮らしているのだろう。
ちなみに、水野理紗はアニメ版では人の心を失ったような貴樹と破局する普通に可哀想な人物だったが、小説版では貴樹との関係について大幅にストーリーが追加されている。それにより、小説版は三部構成の中で明里、花苗、水野の三人のヒロインと貴樹の関係を描くようなつくりになっている。
ラストの意味は?
水野理紗との別れを済ませた貴樹は、階段を登り、坂を登っていく。貴樹の恋愛体験をベースにした拗らせっぷりは、ともすれば“ジョーカー”を思わせる危うさがあるのだが、映画『ジョーカー』(2019) が階段を降りて悪に染まる主人公を表現していたのに対し、『秒速5センチメートル』のラストでは貴樹は“上”へ向かっていく。
ちなみに坂道の描写はアニメ版を再現したものとなっている。急な傾斜の坂道ではなく緩い傾斜の坂道を行く貴樹の姿は、人よりも時間をかけて前へ進む貴樹なりのペースを示しているようでもある。
そして貴樹は踏切で明里とすれ違うと、電車が通り過ぎるのを待ち、そこに明里の姿がないことを確認して、踵を返して歩き出す。このラストはアニメ版と全く同じだ。小説版では、この場面で貴樹は「この電車が過ぎたら前に進もう」と決心している。
エンディングで流れる曲は米津玄師「1991」。実写版『秒速5センチメートル』のために書き下ろされた楽曲だ。
実写版『秒速5センチメートル』ネタバレ感想&考察
人間で描くこと、人間を描くこと
実写版『秒速5センチメートル』は、原作のアニメ版で描かれた描写はほとんど残しつつ、構成を大胆に変更し、さらに小説版での描写とオリジナルキャラクターを用いて大幅に描写を追加した作品だった。それにより、原作改変という印象は最小限に抑えつつ、アニメ版の課題と真摯に向き合った作品になっていた。脚本を担当した鈴木史子の力も大きいのだろう。
筆者のような30代男性が見るには高校生の恋愛は気恥ずかしく、中学生の恋愛は色々な意味で見ていられないという気持ちもあった。具体的に言うと、岩舟のシーンは子どもの帰りを心配しているであろう親の気持ちを想像してしまうし、映像作品としても実写で子どもの恋愛を描かれるのはなかなかにきつい(原作がある作品なので分かっていて観に行っているのだけど)。
だが、制作陣はそのリスクを理解しているからこそ、できるだけ明里と貴樹に感情移入がしやすいように構成を入れ替え、モノローグをとっぱらい、情動を煽るようなBGMも最小限に抑えたのだろう。キャラクターを人間として際立たせるために、むしろ“劇的”な要素を抑えるという手法だ。
アップデートして、大人になること
そのように、実写版では俳優の演技と感情が乗り、アニメ版にあったキャラクターの青臭さが控えめになっているという特徴がある。加えて、小川館長のような“大人の介入”も特徴の一つで、教師の輿水美鳥、上司の久保田邦彦がそれぞれ幼さの残る貴樹に“教え”を与えることで貴樹が前を向くまでの道筋をきちんと描いていた。
貴樹と関わる実写版のオリジナルキャラクターは輿水美鳥と小川龍一、久保田邦彦の三人で、いずれも貴樹とは上下関係がある立場で登場する。明里との過去に囚われて前に進めなくなっていた貴樹が前に進むには、その過去に踏ん切りをつける必要はあった。だが、それだけでは明里=女性との関係がすべてというような貴樹の幼稚さは解決しない。
実際のところ、小説では退職する前の貴樹が職場のリーダーたちと和解する描写もある。貴樹に必要だったのは、再会した明里からの言葉ではなく、社会との繋がりを持って、自分の愚かさを知り、他者の言葉に耳を傾けるというプロセスだったのだ。その中に“おじさん同士のケア”が含まれていた点も印象的だった。
2025年8月に公開され、大ヒットを記録している映画『8番出口』の川村元気監督は、かつてプロデューサーとして新海誠監督に「これは無神経ですよ」「気持ち悪いです」とストレートな意見を脚本会議で伝えていたという。新海誠監督はそれを「だいぶ助かりました」と語っている。
『8番出口』もまた男性性をテーマとした作品で、男性が自らの幼稚さと向き合う話だった。“自己陶酔する悲劇の男子”という色が強かったアニメ版の貴樹は、18年の時を経て成長したのだと思う。かつての自分の痛さとも重なり、観るのに少々エネルギーのいる作品だったが、見事なアップデートを見せた傑作だった。
実写映画『秒速5センチメートル』は10月10日(金)より全国の劇場で公開。
新海誠による小説版『秒速5センチメートル』は角川文庫より発売中。
清家雪子が作画を手がけた漫画版『秒速5センチメートル』も発売中。
劇場用実写映画「秒速5センチメートル」オリジナル・サウンドトラックは発売中。
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