2006年公開の映画『時をかける少女』
2006年に公開されたアニメ映画『時をかける少女』は、筒井康隆の同名小説を細田守監督が映画化した作品で、細田守監督が東映からフリーになって最初に制作した作品として知られる。脚本は同監督の次作に当たる『サマーウォーズ』(2009) と同じ奥寺佐渡子が手がけている。
今回は、細田守監督の代表作の一つとして知られる映画『時をかける少女』について、特にラストの展開に注目してネタバレありで解説し、感想を記していこう。以下の内容は結末のネタバレを含むため、本編を視聴してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『時をかける少女』の結末に関するネタバレを含みます。
Contents
映画『時をかける少女』ネタバレ解説
叔母さんと原作との繋がり
アニメ映画『時をかける少女』は、原作に沿ったストーリーではなく、小説版の約20年後を舞台にしている。主人公の少女が「時をかける」というコンセプトを継承したオリジナルストーリーということになる。
高校2年生の主人公・芳山真琴は間宮千昭、津田功介とつるんで学校生活を送っていたが、ある日、学校の理科準備室で人影を目撃すると共に、タイムリープ(時間跳躍)の力を手に入れてしまう。時を超える経験をした真琴は、博物館で働く叔母の芳山和子に相談することになる。
この芳山和子は小説版の主人公の20年後という設定になっており、20年前にタイムリープを経験していたということになる。原作では和子はタイムリープの記憶を消されているのだが、アニメ映画版では、真琴からタイムリープしたことを相談されても、和子は「あるある」として受け止めている。
ちなみにアニメ映画『時をかける少女』の芳山真琴の声は仲里依紗が演じているが、2010年公開の実写映画版『時をかける少女』でも主人公・芳山あかり役を仲里依紗が演じている。同作では、芳山あかりは芳山和子の娘という設定になっている。
桃とクジラとデジモン
細田守監督のアニメ映画『時をかける少女』では、真琴は自転車で電車に轢かれそうになった時に初めてタイムリープする。この時、自転車のカゴにはたくさんの桃が載せられていて桃が飛び散るのだが、桃は細田守監督作品に頻繁に登場するモチーフである。
桃自体が「桃源郷」という言葉に代表されるように異世界に通じる果物だという言い伝えがあり、『時をかける少女』でも時を超えるタイミングで印象的な使われ方をしている。真琴が妹と使っている部屋には、細田守監督作品によく出てくるクジラのぬいぐるみも置かれている。また、時をかける際には、真琴は細田守監督作品の『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000) に登場した電子空間とそっくりな空間に飛ばされる。
自由に時をかけられるようになった真琴は、学校での揉め事を回避したり、テストでいい点を取ったり、カラオケを何度も楽しんだりと高校生らしい能力の使い方をしている。10時間ループでカラオケを楽しんだ後は声が枯れており、タイムリープしても身体への影響は残存することが示されている(つまりループし続ければ真琴の身体だけ年老いていくことになる)。
さらに物語が動き始めるのは、千昭が真琴に告白し、真琴が過去に戻ってその告白をなかったことにしてからだ。気まずくなり千昭を避けてしまっていた真琴だったが、千昭は真琴の友人の友梨と付き合うことになってしまう。しかもそのきっかけは、投げられた消化器から千昭を助けるために真琴がタイムリープし、代わりに友梨を怪我を負って、千昭が友梨を気にかけたからだった。
そうして、都合良くタイムリープを使うことによって、バタフライエフェクトのように想定していなかった事象が連鎖してしまうのだった。
絵画の意味は?
ことあるごとに叔母の和子に相談する真琴は、和子が博物館で修復に取り組んでいる絵画を目にする。この絵画は「白梅ニ椿菊図」という名前の架空の絵画で、「何百年も前の歴史的な大戦争と飢饉の時代」「世界が終わろうとしていた時」に描かれたものということで、この絵画が映画『時をかける少女』のキーアイテムになる。
その後、真琴はもう一人の友人である功介からも好意を寄せられ、後輩の果穂の恋路を遮ってしまうことに。腕に出現した「90」という文字を気にしつつ、真琴はタイムリープを繰り返して果穂と功介の仲を取り持つのだが、最後の最後にこの数字を逆向きに見ていたことに気が付く。
真琴が数字に気がついた時には「06」を意味しており、残りの数字は「01」になっていた。この数字はタイムリープできる回数を示しており、タイムリープするたびに数字は減っていたのである。
一方、功介と果穂は真琴のブレーキが壊れた自転車を借りて二人乗りしており、あのひ電車事故にあった真琴に変わって踏切に突っ込もうとしていた。しかし、真琴は千昭から受けた電話でタイムリープしていることを指摘されると、最後のタイムリープを使ってその指摘をなかったことにしてしまう。
しかし、告白と同じで、「言われた」ということをなかったことにはできるが、心の中にある事実はなかったことにはできない。その直後に自転車に乗った功介と果穂が踏切に突っ込んでいくのだが、ここで時が止まり、そこに立っていたのは千昭だった。
アニメ映画『時をかける少女』ラストをネタバレ解説&考察
千昭の正体と目的
千昭は真琴に自分は未来から来たのだと告げる。確かに千昭は2ヶ月前に転校してきたばかりとされていた。未来では、身体にチャージして使うタイプの時間を自由に行き来できるくるみがあり、真琴は千昭が落としたくるみを踏んでタイムリープの力をチャージしてしまったのだ。
千昭はどうしても見たかった絵があり、それを見るためだけにこの時代にやってきたという。その絵画は和子が修復していた「白梅ニ椿菊図」で、千昭は結局この絵を見れていない。
千昭がいる未来については詳細な説明はないのだが、「世界が終わろうとしていた時」に描かれた絵を見ようとしていたということは、千昭がいた未来の世界は終焉の危機にあるのかもしれない。千昭は川が地面を流れるところや、たくさんの人がいるところをこの時代で初めて見たとも話している。
リープ先に現代を選んだのは、和子によってその絵が修復されるという情報があったからだろう。修復された後に千昭がいた未来までの間にその絵は消失してしまうため、修復されたばかりの時代に来る必要があったのかもしれない。
しかし千昭は、功介と果穂を助けるために自分にチャージしていた分を使い切ってしまい、もう未来に戻れないのだという。しかもタイムリープ先の人間にタイムリープのことを知らせてしまうというルール違反をしたことで、千昭は真琴の前からも姿を消してしまったのだった。
タイムリープは矛盾してる?
真琴は大事な話をしていたのに聞いてあげず、なかったことにしたことを悔やむ。そんな真琴に対し、和子は、高校の時初めて人を好きになり、その人はいつか必ず戻ってくるって言っていたと明かす。原作小説との繋がりを示唆するもので、和子は同様に同級生の深町一夫が未来に戻る際にいつかまた和子の前に現れると約束したのだった。
原作小説では和子は一夫やタイムリープの記憶を消されており、一夫が過去にいた証拠も消されているのだが、アニメ映画『時をかける少女』では一夫が写っていると思われる写真も映し出される。また、小説版の和子は高校生ではなく中学生である。つまり、原作小説とアニメ映画版では微妙に矛盾があり、大まかな設定のみ継承されているということだ。
和子のように待ち人を永遠に待つことにもなり得た真琴だが、タイムリープの数字が「01」に復活していることに気が付く。千昭が功介と果穂を助けるために、真琴がタイムリープしていることを指摘されて最後の一回を使い切る前に時間を戻したため、最後の一回は使っていないことになっているのだ。
この設定は厳密には矛盾があり、タイムリープの使用者が、別の使用者のタイムリープによってタイムリープの回数を回復できるなら、無限にリープできるということになってしまう。この後の千昭がそうであるように、回数が復活するのであればタイムリープしていない過去の個体(つまり記憶の連続性がない)でなければならないが、真琴は記憶を持ったまま回数が復活している。
しかし、アニメ映画『時をかける少女』では、これらのSF考証については敢えてルールを緩くすることでストーリーの自由度を高めている。SF要素よりも人間ドラマが中心に置かれているのである。
ラストの意味は?
クライマックスの最後のタイムリープで流れる曲は奥華子「変わらないもの」。「さまよう時の中で君と恋をした」と千昭目線の歌詞が歌われており、「僕は今すぐ君に会いたい」と、千昭の本心が分かる内容になっている。
ストーリー序盤の7月13日に戻った真琴は、過去の千昭を見つけて、未来の千昭がタイムリーパーだと自分に教えてくれと明かす。この過去の千昭は功介と果穂を助ける前の千昭なので、タイムリープの残数が「01」残っている。だけど真琴と違ってその記憶はない。細かいことは気にしてはいけない。
この千昭は、タイムリープ用のくるみをなくして探している時期だが、真琴はそのくるみを自分が使ってしまったことを伝える。もうチャージができないと分かった千昭は、不測の事態で最後の1回を使ってしまわないように、すぐに残された1回を使って未来に戻る必要があった、と考察できる。
千昭が過去に来た目的はあの絵画を見るためだったので、真琴は、あの絵が未来に残るようになんとかしてみると約束。それはつまり、芸術が未来に残るように平和な世界を築く努力をするという意味でもある。
二人は最後まで互いの好意を伝えることができないが、消えたと思われた千昭は戻ってくると、「未来で待ってる」と伝えて、今度こそ未来へと帰ったのだった。和子は「いつか必ず戻ってくる」と言った未来人を待ち続けていたが、真琴の場合は自分が走って未来に向かい、千昭が未来で待っているという約束になっている。
真琴は、和子から待っているだけではダメだという教訓を得たのかもしれない。ラストでは、進路に悩んでいた真琴は「やること決まった」と話し、絵画の保存に携わるような仕事、あるいはもっと広く世界の平和に貢献するような仕事につくと決めたことが示唆されている。
エンディングで流れる曲は奥華子「ガーネット」。こちらは「あなたと過ごした日々を/この胸に焼き付けよう/思い出さなくても大丈夫なように」と、真琴目線の歌詞が歌われている。
アニメ映画『時をかける少女』ネタバレ感想&考察
二人の女性の対話劇
細田守監督、奥寺佐渡子脚本のアニメ映画『時をかける少女』は、SF設定を除けば完成度が高く、コミカルとシリアスの緩急も絶妙な良作と言える。後の細田守脚本作品に見られるような、家族や親に固執する展開もなく、爽やかな青春譚でありながら、未来についても考えるような奥行きもある作品だった。
特に、母と娘という関係を描くのではなく、和子と真琴という別の時代の主人公同士が対話していく展開が良かった。和子は、真琴が得している分、誰かが悪い目に遭っているのではないかと指摘するなど、経験者として助言を与える一方で、真琴は自分が待つのではなく、未来で待っていてもらうという和子とは違う道を選ぶ。別の時代を生きた女性同士で、不本意ではない生き方を模索するコミュニケーションが積み重ねられていくのだ。
(ただし、原作者の筒井康隆は2017年に韓国の慰安婦像について、みんなで射精して精子まみれにしてこよう、という内容をブログで発信し、国内外から強い批判を受けたことには留意しておきたい。筒井康隆は朝日新聞の取材に対して、昔から書いていることで、炎上狙いであり、韓国人に対する特別な感情はないと釈明したが、女性への性加害を揶揄したことに関する言及はなかった。)
千昭に関して気になるのは、未来から来た割には公の場で下ネタを言ったり、真琴に「女投げ」をやめるよう言ったり、感覚が随分と“昭和”なところだ。未来人とバレないように現代の日本人に合わせて振る舞っていたのか、もしくは未来はモラルも荒廃しているのかもしれない。
最後に、アニメ映画『時をかける少女』の時を超えるコンセプトは、細田守監督最新作『果てしなきスカーレット』にも引き継がれている。『時かけ』から19年、細田守脚本の『果てしなきスカーレット』では、時を超えてどんな物語が描かれたのか、そちらも劇場でチェックしてみよう。
『時をかける少女』はBlu-rayが発売中。
原作小説は角川文庫から発売中。
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