2013年公開の映画『かぐや姫の物語』
2013年に公開されたスタジオジブリの映画『かぐや姫の物語』は、『火垂るの墓』(1988) や『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994) といった名作を生み出してきた高畑勲監督の遺作にして、アカデミー賞長編アニメ映画部門にもノミネートされた同監督の代表作の一つ。「日本最古のSF」として知られる『竹取物語』を原作に、8年の月日を費やして制作された労作だ。
今回はジブリ映画『かぐや姫の物語』について、特にそのラストに焦点を当ててネタバレありで解説&考察し、感想を記していこう。以下の内容はネタバレを含むため、必ず本編を視聴してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『かぐや姫の物語』の結末に関するネタバレを含みます。
Contents
ジブリ映画『かぐや姫の物語』ネタバレ解説&考察
序盤の原作との違いは?
高畑勲監督によるジブリ映画『かぐや姫の物語』では、原作の『竹取物語』の大筋のストーリーラインはなぞりながらも、ところどころでアレンジが加えられている。まず、主人公・かぐや姫は原作の竹から生まれたという設定からタケノコから生まれたという設定に変更されている。
原作の『竹取物語』というタイトルは、竹取を生業とする翁(おきな)がかぐや姫を輝く竹の中から見つけたという設定に由来している。一方、本作では『かぐや姫の物語』として、あくまでかぐや姫のストーリーであることを強調するタイトルが付けられている。
もう一つ、冒頭の描写での原作との違いは、かぐや姫が家に連れ帰られると、「小さい大人」から「赤ん坊」へと姿を変えるシーンだ。原作ではこのシーンはなく、かぐや姫は3ヶ月で成人になったと記しされているのみだ。
作者不明の原作『竹取物語』は西暦800〜900年代に書かれたとされている。教育学者のイヴァン・イリイチが指摘したように、人間が子ども→大人→老人というフェーズを経験するという概念は、近代的な労働制度と、それに伴い発展した学校制度と共に定着したとされる。かつては赤ん坊と大人の境界をそれほど意識しなかったのかもしれないが、現代で映像化するにあたっては、かぐや姫が赤ん坊から成長していく描写は避けて通るのが難しかったのだろう。
そして『かぐや姫の物語』では、すくすくと育っていくかぐや姫の幼少期が詳細に描かれる。かぐや姫は翁と媼(おうな)に大切に育てられる一方で、地元の捨丸ら少年たちと自然に触れながら成長していく。印象的なのは、かぐや姫が頭を打つなど痛い思いをする時に一気に成長するという描写だ。子どもは怪我をしながら成長していくということなのだろう。
なお、かぐや姫の声は、幼少期を内田未来、その後を朝倉あきが演じた。300人の候補者からオーディション選ばれた朝倉あきは、その後もドラマ『グランメゾン東京』(2019) の蛯名美優役など、実写作品の俳優として活躍を続けている。媼の声を演じたのは宮本信子、翁の声を演じたのは地井武男だったが、地井武男は2012年6月に逝去し、翁の声の一部は三宅裕司が演じている。
都、お歯黒、引き眉
原作『竹取物語』と同じように、翁は竹林で竹の中から金を見つけるようになる。『かぐや姫の物語』では、竹の中から高価な衣も出てくるという要素も取り入れられている。おそらく、かぐや姫が地球でも高貴に育てられるようにと、かぐや姫の故郷である月から贈られたものなのだろう。
そして翁は度々都に出るようになり、かぐや姫が大きくなった頃、翁、媼、かぐや姫は野山を離れて都に移り住むことになる。平安時代の都というのは京都のことだと考えられ、映画公開時には日本テレビで『「かぐや姫の物語」公開直前SP 「ジブリ流 京都旅~「かぐや姫の物語」の世界」』という特番の旅番組が放送されている。
広い屋敷で暮らすことになったかぐや姫だったが、「高貴の姫君」という社会的な役割を押し付けられ、礼儀を叩き込まれることになる。不思議な経験をして富を得た養父の翁の期待を一身に受けて育てられるのだ。
さらに、かぐや姫は屋敷に招かれた男たちの好奇の目にさらされ、屋敷を飛び出す場面も。『かぐや姫の物語』では、何度かかぐや姫の疾走シーンが登場するが、手描き風のアニメーションが躍動する、アニメ史に残る名場面となっている。
しかし、かぐや姫は地元の子ども達が故郷の山を去ったことを知り、屋敷へと帰っていく。あの子ども達は木材が採れる地を渡り歩く“木地師”という職人の子ども達で、季節が巡って木が生えてくるまで別の場所に移動しているのだ。
そうして、今は帰る場所がないことを悟ったかぐや姫は、歯を黒く塗り、眉毛を抜くことを受け入れる。当時の貴族は、成人女性の装いとしてお歯黒と引眉(歯を黒く塗り、眉毛を抜くこと)が施されていた。こうしてかぐや姫はついに“大人の女性”として生きることを受け入れざるを得なくなっていく。
欲望にさらされる、かぐや姫
かぐや姫はそれでも故郷の景色を忘れることはなく、屋敷の庭に野山を再現していた。そうしたかぐや姫の葛藤に目もくれずに浮かれているのが翁だ。贈り物が届けば、高貴な人々の仲間入りを果たしたと喜び、自分のことのように喜ぶ。かぐや姫の登場と共に成り上がった成金の翁は、かぐや姫を敬ってはいるものの、もはや階級上昇の手段のように扱っている感もある。
そんな中、原作『竹取物語』でも有名な5人の公達、車持皇子・石作皇子・阿部右大臣・大伴大納言・石上中納言が登場。それぞれ、かぐや姫を蓬莱の玉の枝・仏の御石の鉢・火鼠の皮衣・龍の首の珠・燕の子安貝に例えると、かぐや姫はその存在しない宝を持ってくるよう要求。この5人にまつわるエピソードは、多少のアレンジはあるものの原作のストーリーをなぞっている。
男達ら偽物を捧げられたかぐや姫は、自分も偽物と思い始め、故郷を再現した庭も偽物だと嘆くが、このシーンも含めて姫に寄り添い続ける媼の姿が印象的だ。5人の挑戦はそれぞれの形でいずれも失敗するが、むしろそれでかぐや姫に興味を抱いたのが御門(みかど)だった。
御門とは当時の天皇のことで、宮崎駿監督作品『もののけ姫』(1997) でも、ジコ坊が仕えていたのは帝(みかど)=天皇だった。ちなみに『もののけ姫』の舞台は室町時代と考えられており、『かぐや姫の物語』の400〜700年後の物語と予想できる。
御門はかぐや姫を抱きしめ、連れ去ろうとするが、かぐや姫は不思議な力で姿を消したのだった。男たちに、権力者たちに求め続けられるかぐや姫の心情たるや。故郷の景色は消え、捨丸についても都で盗みをしている姿を目撃しており、いよいよかぐや姫の心の拠り所が失われたものと考えられる。
ジブリ映画『かぐや姫の物語』ラストをネタバレ解説&考察
かぐや姫の“罪”と「羽衣伝説」
ジブリ映画『かぐや姫の物語』の終盤では、かぐや姫が翁と媼に自分は月から地球に降ろされたという事実を明かす。そして今、月の助けを呼んだがために、自分は月に帰らなければならないという。
『かぐや姫の物語』で特徴的な役割を果たすのが、高畑勲が作曲し、脚本の坂口理子と共同で作詞した「わらべ唄」だ。「春夏秋冬連れてこい」「せんぐり いのちが よみがえる」と、季節や命が巡るという意味の歌詞が唄われている。ちなみに「せんぐり」とは京言葉で「何度も」という意味である。
かぐや姫は、月にいた幼い頃に地球から帰ってきた天女がこの歌を唄っているのを聞いて歌を覚えていたと明かす。その天女は、地球から帰る際に羽衣を着せられたことで地球にいた時の記憶を失っていたが、なぜか「わらべ唄」だけは覚えていて、地球を見て歌いながら涙を流していたという。
「わらべ唄」の続きを歌った「天女の歌」は、「まつとしきかば、今かへりこむ」=「私を待っていてくれるなら、すぐにでもここに帰ってきます」と締めくくられていた。天女は記憶を失ってもなお、地球へ帰りたいと願っていたのだ。その様子を見たかぐや姫は地球に憧れ、その罰として月から地球に降ろされたのだという。
なお、この天女の物語は各地に伝わる「羽衣伝説」をベースにしている。「羽衣伝説」では、羽衣と共に天から降りてきた天女が水浴びをしていると、男に羽衣を隠されて天に帰ることができなくなる。伝説はそこからさまざまなパターンに分かれるが、天女と子どもの間に子どもが生まれるが、その後天女は羽衣を見つけて天に帰るというパターンがある。
『かぐや姫の物語』がそのストーリーを踏襲しているとすれば、かぐや姫が月で見た天女は、羽衣を着て地球の記憶を失ったものの、地球の美しい自然や自分の子どものことを思って涙していたと考えられる。天女が「私を待っていてくれるなら、すぐにでもここに帰ってきます」と歌っていたのは、地球を飛び立つ前に子どもに「わらべ唄」としてこの歌詞を聞かせていたからなのかもしれない。
ラストの意味は?
翁が月の使者を迎え撃つ準備を進める中、やはり優しい媼は、かぐや姫をこっそり故郷の山に連れていく。かぐや姫の「帰りたい」という発言は、故郷の山のことを指していると考えたのだろう。かぐや姫はそこで捨丸と再会を果たし、『千と千尋の神隠し』(2001) の千尋とハクを思わせるような空を舞うシーンが描かれる。
捨丸にはすでに妻と子がおり、この出来事を捨丸は夢と解釈する。捨丸は一度は盗人になったが、木地師の仕事に戻ったようだ。かぐや姫にとっては、捨丸と再会できたこともそうだが、故郷の大自然に再び触れられたことがラストシーンに向けての大きな経験になったものと思われる。
ジブリ映画『かぐや姫の物語』のラストでは、月から天人たちの一行が登場。かぐや姫が月に帰る哀しいシーンとミスマッチな明るいパレードのような雰囲気により、一層このシーンの「やるせなさ」が増していく。
翁が用意した軍勢も全く太刀打ちできず、拍子抜けなくらい簡単に天人はかぐや姫に到達。そしてここで、ずっとかぐや姫のお世話をしてきた女童が子ども達と一緒に姫が歌っていたわらべ唄を歌い始める。
“月の王”から羽衣を渡されたかぐや姫だったが、この歌と媼の声を耳にすると我に返り、翁と媼に最後の別れを告げる。かぐや姫は、感情と自然に溢れるこの星は汚れていないと主張するが、あっけないほどに簡単に羽衣を着せられると、記憶を失って月へと帰っていったのだった。
かぐや姫が月へ帰るシーンでは、これまでの登場人物達が月を見上げている。そして、記憶を失ったはずのかぐや姫だったが、遠く離れた地球を振り返ると、目に涙を浮かべるのだった。
羽衣を着せられたかぐや姫は、かつて姫が月で見た天女と同じように地球の記憶を失ったはずだ。しかし、天女がそうであったように、心のどこかに残る地球の人々と自然に対する感情だけは消えることはない、あのラストにはそんなメッセージが込められてい流ように感じた。
『かぐや姫の物語』のエンディングで流れる曲は二階堂和美「いのちの記憶」。
ジブリ映画『かぐや姫の物語』ネタバレ感想
「姫の罪」の裏側
高畑勲監督の遺作となったジブリ映画『かぐや姫の物語』は、当初、同時公開を目指していた宮崎駿監督の『風立ちぬ』(2013) と同年に公開された。実に8年もの月日と50億円とされる製作費を投じて製作されている。
書籍『スタジオジブリ物語』(2023) によると、高畑勲監督は当初、鈴木敏夫プロデューサーが提案した「姫の犯した罪と罰。」というコピーに反対していたという。初期の企画書に「罪」というテーマがあったことからこのコピーた提案されていたが、高畑監督は「うまくいかなった」ため内容を変えたと話したという。
それでも、高畑勲監督は結果的に「姫の犯した罪と罰。」というコピーを承諾し、その上で『かぐや姫の物語』のストーリーの内容をコピーに合わせることにしたという。つまり、「地球に憧れた罪」という部分は後から追加されたことになるが、この展開を「羽衣伝説」と組み合わせたことで、物語はさらに豊かな背景を持つことになった。
ちなみに1988年に同時上映された高畑勲監督の『火垂るの墓』と宮崎駿監督の『となりのトトロ』では当時ジブリのエースアニメーターだった近藤喜文が両監督から参加を求められ、結果的に『火垂るの墓』に加わったというエピソードがある。『となりのトトロ』の音楽は久石譲が手がけたが、別班で同時期に製作された『かぐや姫の物語』と『風立ちぬ』では、両作とも音楽を久石譲が担当している。久石譲の音楽が『かぐや姫の物語』で果たした役割も大きく、独特な作風の魅力をさらに後押しした一因だと言える。
自然と人間というテーマ
高畑勲と坂口理子が共同で脚本を手がけた『かぐや姫の物語』のストーリーについては、自然の中で育ったかぐや姫が、“社会”に関わるほどにその自由を奪われていき、憧れたはずの地球から月へと帰りたいと願うようになるという展開は、本作ならではのものだった。
一方で、最後にかぐや姫が地球に未練を持つ理由が、“人間”と“自然”の双方にあったという点にも注目したい。『かぐや姫の物語』は、ただ自然 vs 人間という二項対立を作るのではなく、美しい自然はもちろんのこと、愚かな人間の感情の中にも愛すべき点があるというテーマを打ち出している。
かぐや姫がそのように感じた大きな要因は、やはり最後の場面でもかぐや姫に声をかけた媼の存在が大きいのだろう。原作『竹取物語』ではほとんど役目がなかった媼だが、『かぐや姫の物語』では、全編を通してかぐや姫の数少ない理解者として姫を支えている。加えて、幼少の頃の野山での捨丸をはじめとする子ども達との記憶も、かぐや姫が人間は捨てたものではないと考える要因になったはずだ。
月から地球に来た姫、という日本最古(ともすれば世界最古)のSFとされる『竹取物語』。誰もが知るストーリーを通して、地球=自然と人間というテーマを描いた『かぐや姫の物語』は、やはり現代史に残る名作アニメーションだと言える。
映画『かぐや姫の物語』はBlu-rayが発売中。
サウンドトラックと絵コンテ集も発売中。
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