『ワン・バトル・アフター・アナザー』公開
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、トマス・ピンチョンの小説『ヴァインランド』(1998) を原作に、『リコリス・ピザ』(2021) などで知られるポール・トーマス・アンダーソンが主演のレオナルド・ディカプリオをはじめとする豪華キャストを迎えて製作されたアクションコメディー。批評家と観客の双方から高い評価を受け、ポール・トーマス・アンダーソン監督史上最高のヒットを記録している。
今回は、映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』をネタバレありで解説し、感想を記していこう。以下の内容は結末までのネタバレを含むため、必ず本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の内容および結末に関するネタバレを含みます。
Contents
『ワン・バトル・アフター・アナザー』ネタバレ解説
舞台は架空のアメリカ
『ワン・バトル・アフター・アナザー』の舞台は、“フレンチ75”という革命組織が権力に対して闘争を挑んでいた架空のアメリカだ。白人至上主義の団体である“クリスマスの冒険者”が登場するなど、本作の世界観は完全に架空ではないが、現実をやや誇張して描いたものだと言える。
フレンチ75は捕えられた難民を解放し、政治家を脅迫し、銀行を襲撃して権力との闘争を繰り広げる。2時間42分の上映時間のうちおおよそ1時間をかけて“フレンチ75”の時代を描いていく。その中心にいるのがテヤナ・テイラー演じるペルフィディアであり、爆破物担当の“ロケットマン”としてペルフィディアとフレンチ75を支えたレオナルド・ディカプリオ演じるパット・カルフーン(のちのボブ)である。
最初の3分の1の主人公と言えるペルフィディアは次々と権力に打撃を与えていくが、そのペルフィディアを執念で捕捉したのが移民等の収容所を指揮するロックジョーである。ペルフィディアを演じたテヤナ・テイラーとロックジョー役のショーン・ペンの演技が見事としか言いようがなく、最初の1時間で観客の心を捉えて物語は第二幕へと進んでいく。
ちなみにロックジョーを演じたショーン・ペンは、ポール・トーマス・アンダーソン監督とは映画『リコリス・ピザ』に続くタッグだ。
ボブとウィラ、ロックジョーの16年後の物語
生まれたばかりの娘とパットのもとを離れて革命に身を投じたペルフィディア、その逮捕と裏切りによってフレンチ75は壊滅。その16年後、革命に敗れ、ペルフィディアも去り、酒とクスリに溺れるパットは、けれどチェイス・インフィニティ演じる娘のウィラとバクタン・クロスという街でボブという名を使い平和に暮らしていた。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』の主人公ボブを演じたレオナルド・ディカプリオは、映画公開時点で50歳を迎えたが、本作では『タイタニック』(1997)、『華麗なるギャツビー』(2013) などで見せた姿とは見違える“ダメパパ”役を演じている。近年大人気となっているペドロ・パスカルが演じるパパキャラを思わせる瞬間もあり、新しい父親像を好演している。
そんなボブとウィラの前に、16年の月日を経て警視となったロックジョーが現れる。ロックジョーがウィラを追う理由は、“クリスマスの冒険者”という白人至上主義者の団体への入会に際し、“懸念”を払拭するためだった。
その懸念というのは、白人のロックジョーが16年前に黒人のペルフィディアと関係を持ち、その後に生まれた子ども、すなわちウィラがロックジョーの娘ではないかという疑念だった。クリスマスの冒険者は異人種間の交配を認めないため、ロックジョーはこの事実を確認し、必要とあらば“隠蔽”することにしたのだ。
この一連の背景が徐々に明らかになっていく流れが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』は非常に巧みだった。何かが起きてから種明かしがなされるまでの距離感が近すぎず遠すぎず、162分という上映時間の長さを感じさせない絶妙な塩梅になっていたように思う。
一方のクリスマスの冒険者も、ロックジョーの審査役だったスミスを送り込み、ロックジョーの抹殺を狙う。フレンチ75のメンバーだったデアンドラが保護したウィラ、ウィラを捜すボブとウィラの空手のセンセイであるセルジオ、ウィラを追うロックジョー、ロックジョーを追うスミスの逃走劇/闘争劇が幕を開くのである。
“革命”のもう一つの側面
注目したいのは、センセイやウィラを保護した修道院を通して描かれる“革命”のもう一つの側面である。時代に取り残されたボブは、1960年代の白黒映画を観続けていたり、センセイにお礼を言う時も「ビバ・ラ・レボリューション!」と、18世紀から20世紀のキューバ革命や南米の独立革戦争で広く使われたスローガンを叫んだりと少々古い革命家としての姿を見せている。
「今、何時?」のパスワードをめぐってイラついたボブが“リベラル”を非難するのは、ボブが投票での変革ではなく暴力による革命を目指した“ラディカル”だからだ。一方のセンセイもまた移民たちを守る活動に身を投じているが、なんだか余裕がある。
センセイを演じたベニチオ・デル・トロはプエルトリコ出身。近年はMCU映画のコレクター役や『スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』(2017) のDJ役などでも知られるが、スティーヴン・ソダーバーグ監督の『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』(2008-2009) で革命家チェ・ゲバラを演じ、同作の共同プロデューサーを務めたことでも知られる。
センセイは当局が踏み込んできた時のために移民たちを教会に脱出させる地下通路を用意しているほか、街でスケボーを乗り回す若者たちもセンセイを信頼して迅速な動きを見せる。なかなか携帯の充電ができず焦り、パスワードも分からず怒るボブとの対比によって、センセイはますます頼り甲斐のある革命家に見えてくる。
ボブたちフレンチ75とセンセイの“革命”は、背中合わせだが真逆を向いている。かつてフレンチ75は移民を“解放”し、権力に攻撃を加えていたが、センセイは移民たちに居場所を与え、逃げ道を準備し、地域のコミュニティーを支えている。ウィラをはじめとする若者たちに空手を教えていたのもそうした活動の一環だろう。
つまり、センセイの“革命”は攻めることではなく、守ることにある。世界の状況がマイノリティにとってより厳しくなった今だからこそ、“革命”の意味が変化したと捉えることもできる。あるいはボブやペルフィディアが軽視していた活動に、センセイは地道に取り組んできたと捉えることもできる。
センセイの手配で捕まったボブが病院から脱出するシーンではジャクソン5の「Ready or not (Here I come)」(1970) が流れるのが印象的だ。「準備していようがいまいが、隠れることはできない/私が君を見つけて、ハッピーにしてみせる」と歌われ、開放的な雰囲気にマッチしている。
教会と革命
興味深いのは、スペイン語を操る南米系のセンセイが、移民たちを教会に集めることだ。教会が避難所になっているのだが、それだけでなく、ウィラが避難先として連れて行かれる場所もまた修道院なのだ。
近年、キリスト教は極右と排外主義と結びついた形で取り上げられることが多くなってしまったが、もともとキリスト教と革命の間には浅くない歴史がある。「解放の神学」と呼ばれる運動が1950年代以降に南米で台頭し、キリスト教の教えを根底に置いた解放運動が展開された。
最も象徴的な闘争がニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線によるサンディニスタ革命だ。サンディニスタ民族解放戦線は解放の神学を思想の基礎として置いており、革命後に樹立した新政府にはカトリックの司祭も入閣した。サンディニスタ革命においては修道会のシスターたちが民間人の保護を担っている。
武装して訓練に励むシスターというのは誇張された描写だが、このように『ワン・バトル・アフターアフター・アナザー』には革命の歴史を踏まえた設定がふんだんに詰め込まれているのである。
なお、小ネタとしては、センセイの道場に『スーパーマン』の日本語版ポスターが貼ってある、というものがある。ポール・トーマス・アンダーソン監督の義理の母は日本人である。また、その後のシーンでボブは偽名で「バットマン」とスパイダーマンの本名である「ピーター・パーカー」を名乗るシーンもある。ちなみに『ワン・バトル・アフターアフター・アナザー』の配給は、DC作品と同じワーナー・ブラザース・ピクチャーズが手がけている。
『ワン・バトル・アフターアフター・アナザー』ラストをネタバレ解説&考察
ウィラをめぐる真実
『ワン・バトル・アフターアフター・アナザー』のハイライトの一つが、ロックジョーがウィラに即席のDNA検査機を使い、二人が親子であるかどうかを確認するシーンだ。リアルタイムでじっくりと時間をかけて観客を待たせ、緊張感を演出。その画を持たせるショーン・ペンとチェイス・インフィニティの演技も見事だ。
結果、ウィラはロックジョーの娘であったことが発覚。ペルフィディアがウィラとボブのもとを去った理由の一つは、ウィラがロックジョーの娘である可能性をペルフィディア自身が知っていたからだろう。そうとはつゆ知らず、懸命にウィラの子育てに励む夫の姿が耐えられなかったという側面もあったのかもしれないし、ペルフィディアが革命家の家系であったことも影響しているのだろう。
そして、ここからは怒涛のカーチェイスが始まる。車種と性能の違いや、各車両に乗っている人物がどうなるのかという緊張感で、長い一本道を行ったり来たりする様子を飽きずに観ていられる。ボブとセンセイの珍道中はあまり長くはないが、「自由とは恐れないこと」と、ボブの背中を押すセンセイの姿が印象的だった。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』の“逃走”はいつしか“追跡”に変わっているのだが、面白いのはストーリーが何一つとして主人公ボブのためのご都合主義に流れていかないことだ。ボブが追うのはロックジョーの車にはもうウィラは乗っておらず、ウィラは仕事人アヴァンティQの車で別の組織の元へ連れてこられている。さらにボブがロックジョーに追いつく頃にはスミスがロックジョーを始末してしまうのだ。
ウィラが差し出されたのは、子どもの殺しもやる極悪非道な組織だった。先住民の血を引き、子どもの殺しはやらないという信念を貫いていたアヴァンティQは、最後の最後に考えを改め、自分の命と引き換えにウィラを助けたのだった。
脱出に成功したウィラだったが、スミスは事態を「きれいにする」ためにウィラをも殺そうとする。父が教えた合言葉を答えられないスミスに、ウィラは躊躇せず銃を発砲。ボブが直接絡むことなく、事件は解決する。しかし、その背景に重要な要素としてボブの存在があったことは確かだ。
ボブが果たす役割
ボブはウィラの脱出、ロックジョーの退治、その裏にいたスミスとの対決にも関与することができなかった。ボブの行動は何一つうまくいっておらず、ずっと間違った道を進んでいたように思える。
だが実は、ボブは常にウィラの脱出に関わっていたとも言える。アヴァンティQはウィラに「誰かが追って来るか?」としつこく聞き、ウィラはそうだと答えた。父が追ってきてくれるという確信がウィラにはあって、どんなに遠くまで連れていかれても最後まで諦めない動機になっていたと考えられる。さらにそれを知ったアヴァンティQは、一人の親が子を失うという事実に罪悪感を抱いたのかもしれないし、復讐されるかもしれないという恐怖心も芽生えたのかもしれない。
また、ウィラのスミスとの対決においては、ボブがしつこく言い聞かせて持たせていた装置から音が鳴らなかったこと、ボブが教えていた合言葉をスミスが答えられなかったことで、ウィラはスミスを敵だと判断することができた。ボブはその場にいなくても、ウィラの力になっていたのである。
全てが終わってからボブはウィラのもとに辿り着くのだが、ボブにもやるべきことがある。この時点でウィラはボブと自分の間に血縁関係がないことを知っている。だから取り乱したように「あんたは誰?」とボブに銃を向けて問いかけるのだ。
英雄だと思っていた母は革命運動の裏切り者だった。そして、ずっと父だと思っていた人間は、実は赤の他人だった——そんな疑念を払拭できるのは、ボブ自身の「お父さんだよ」という言葉しかない。血のつながりではなく、心のつながりが親子を親子たらしめる。
テーマ自体は平凡なのだが、ウィラが経験した幾重もの苦難と、ボロボロになっても前に進むボブの珍道中によって、涙なしには観られないクライマックスとなっている。装置から流れてくる素朴な音楽も美しい。
ラストの意味は?
その後、ロックジョーが顔を撃たれても血まみれで生きていたというコミカルな展開もありつつ、最後にはクリスマスの冒険者たちに“ガス室送り”にされるというダークなジョークも。ウィラは母ペルフィディアからの手紙を読み、母の代わりにボブにハグをすると、あの日のペルフィディアのように、オークランドでの抗議活動に出かけて行くのだった。
ラストで流れる曲はギル・スコット・ヘロンの「The Revolution Will Not Be Televised」(1971)。劇中でもフレンチ75の合言葉として「革命はテレビに映らない」というこの曲の歌詞が採用されている。この曲は日本でも、東日本大震災が発生した翌年の2012年にShing02とHUNGERがリメイクして話題となった。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』ネタバレ感想&考察
実は緻密な“見せる”構成
『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、前評判通り、162分という長さを感じさせない傑作だった。最後までペルフィディアは再登場せず、やはり良い意味でご都合主義には流れないというのも興味深い展開だ。それにより、観客は次の展開が予想できず、さらにキャラクターの主体性と自由も奪われないという巧みな脚本であったように思う。
“逃走劇”というジャンルでは、ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッドナイト・ラン』(1988) を思わせる設定でもあった。『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、同作よりかはバディが頼りになる(『ミッドナイト・ラン』では賞金稼ぎの主人公が賞金首を連れて回る)のだが、コメディ要素によって観客が飽きずに珍道中を最後まで楽しめるという精神は共通する部分がある。
また、『ワン・バトル・アフター・アナザー』では、単調になり得る展開では背景でジョニー・グリーンウッドが手がけた音楽がずっとうっすら流れているという工夫もなされていた。これは「踊る大捜査線」などでも見られた演出で、観客が笑って見ていて良い場面なのか、しっかり話を聞くべき場面なのかを感覚的に誘導する、より大衆向けの演出だ。
冒頭の20分で派手なアクションを見せるというのも、MCU映画でも採用されている手法である。『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、豪華キャストに支えられた豪快な作品のようでいて、緻密に計算された構成の作品でもあったように思う。
その上で、やはりレオナルド・ディカプリオをはじめとする俳優陣の演技は見事だった。この時代に最小限のVFXで制作された作品としても目を見張るものがあった。 ポール・トーマス・アンダーソン監督の次回作、そして、50代に突入したレオナルド・ディカプリオの今後にも期待したい。
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は2025年10月2日より上映中。
【監督・脚本】ポール・トーマス・アンダーソン
【出演】レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、レジーナ・ホール、テヤナ・テイラー、チェイス・インフィニティ、ウッド・ハリス、アラナ・ヘイム
配給:ワーナー・ブラザース映画
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