『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』公開
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が2025年7月18日(金) より全国の劇場で公開され、日本映画史上最大のヒットを記録した『鬼滅の刃 無限列車編』(2020) を上回るペースの大ヒットスタートを切っている。本作は『鬼滅の刃』のクライマックスに当たる「無限城編」を三つに分けた三部作の第1作目。主人公・竈門炭治郎ら鬼殺隊による、鬼の巣窟・無限城での戦いを描く。
三部作の第一章のサブタイトルは「猗窩座再来」と名付けられた。『無限列車編』で多くの人が恨んだ猗窩座(あかざ)の再登場が予告されたのだ。今回は、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』の内容を踏まえて、ネタバレありで猗窩座という人物を深堀していこう。以下の内容は結末までのネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』の内容に関するネタバレを含みます。
Contents
『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』猗窩座はどうなった?
再来した猗窩座くん
『鬼滅の刃 無限列車編』では、炎柱・煉󠄁獄杏寿郎との任務に就いた炭治郎・伊之助・善逸が協力して下弦の壱・魘夢(えんむ)を撃破。しかし、そこに駆けつけた上弦の参・猗窩座によって煉獄が殺されてしまった。
この時、猗窩座が現れたのは、鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)から「近くにいた」ということで現場に向かうよう指示を受けたからだった。しかし、猗窩座は日の出から逃げる際に炭治郎が投げた刀が刺さり、無惨からは「柱でもない剣士から一撃を受けるとは」と叱責されている。
それだけでなく、猗窩座は煉獄の強さに惚れ込んで何度も鬼になれと誘ったが、その煉獄は炭治郎について「この少年は弱くない。侮辱するな」と太鼓判を押した。煉獄からも無惨からも炭治郎について怒られており、この時から炭治郎は猗窩座にとって因縁の相手となっている。
『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』では、猗窩座は出会いっぱなで炭治郎のことを「弱者」と呼び、名前も「竈門炭治郎」とフルネームで呼んでいる。それでも、ヒノカミ神楽で確実に攻撃を当てつつ猗窩座の攻撃をかわす炭治郎に、「杏寿郎の言葉は正しかった」と認め、「敬意」まで表している。
それでも、猗窩座の関心はすぐに炭治郎と一緒にいた水柱・冨岡義勇の方に移る。猗窩座は以前、水柱を殺したことがあるそうで、水柱との遭遇は50年ぶりと話している。その上で、義勇の名前を「覚えておきたい!」として聞き出そうとするのだ。
義勇はこれを拒否し、「喋るのが嫌いだから話しかけるな」とまで言って突き放すのだが、猗窩座は「俺は喋るのが好きだ」と返している。「刀鍛冶の里編」で無限城に召集された時には、他の鬼達を前に寡黙な姿を見せていたが、どうも人間の前では饒舌になるらしい。
猗窩座を倒したのは…?
炭治郎の口から義勇の名前を聞いた猗窩座は、ここから「義勇」呼びを始めるが、一方で改めて強くなったことを示した炭治郎に対しても「炭治郎」呼びを始める。しかし、煉獄はあそこで死んで良かったと言い張る猗窩座に対して炭治郎が激怒。弱い者は淘汰されるという猗窩座の主張に対し、炭治郎は誰もが最初は弱い赤子であり、強い者が弱い者を守るのが自然の摂理だと反論するのだった。
そしてこの炭治郎の言葉が猗窩座の人間時代の記憶を呼び起こす。素流道場の師範・慶蔵に同様のことを言われたのを不明瞭ながらも思い出し、猗窩座は炭治郎への不快感を強めていくのだ。
猗窩座は痣が現れて覚醒した義勇にも対応し、炭治郎は磁石のように正確な猗窩座の血鬼術の秘密を考察していく。そこで役に立ったのが、『鬼滅の刃 無限列車編』で猗窩座が煉獄に言った「その闘気、練り上げられている。至高の領域に近い」という言葉だった。
炭治郎は父から教わった「透き通る世界」が見える父の体捌きを会得。猗窩座が例によって義勇に「鬼になれ、義勇」と勧誘しているところを背後から近づき、「ヒノカミ神楽 斜陽転身」で首を斬り落としたのだった。猗窩座にとってはこの数百年で初めて見た「闘気の無い人間」だった。
猗窩座の人間時代は1777年以降?
それでも猗窩座は自力で首を繋げようとし、義勇に頭を落とされた後も、首を無くしてもまだ戦い続けた。炭治郎曰く、猗窩座は頭を斬り落とされても死なない無惨のように、何か別の存在に進化しようとしていたのである。この直前には義勇は猗窩座を「この男は修羅だ」と表現しており、猗窩座は“鬼神”へと進化しようとしていたのかもしれない。
しかし、そんな猗窩座を過去の記憶が押し留める。恋雪からなぜ強くなりたいのかを問われ、父に薬を持って帰って来られないから、と貧しい家で病気の父に高価な薬を持って帰るために盗みを繰り返していた。猗窩座が人間として生きていたのは江戸時代で、慶蔵が「江戸の罪人」と言っていることから江戸に住んでいたことが分かる。
狛治という名の人間だった猗窩座は繰り返し入墨刑を受けているが、江戸で入れ墨刑が導入されたのは1720年とされている。入れ墨は2本線だったが、1777年には再犯者にもう1本線を加えられるようになった。このことから、猗窩座が生きた江戸は1777年以降だと考察できる。
貧困とマイノリティ
父親のためならなんだって耐えられると考えていた狛治だったが、父は「迷惑をかけて申し訳なかった」と遺書を残して自死してしまう。遺言には「真っ当に生きろ、まだやり直せる」と書かれていたが、「貧乏人は生きることさえ許されねえのか」という狛治の言葉は、現代においても非常に重たい言葉だ。
猗窩座というキャラクターが興味深いのは、貧困が背景にあるからだ。特に江戸時代は厳格な身分制があり、生まれた時に身分が決まっている。武士は年貢(税)で暮らす支配層で、ゆえに身分の低かった狛治は鬼になっても刀を使おうとしないのかもしれない。
そんな狛治を拾ったのが素流道場の師範・慶蔵だった。慶蔵は狛治を自分の道場に住まわせ、病気の娘・恋雪の世話を頼んだ。父の看病で慣れていた狛治は根気強く恋雪の世話をしたが、病人から謝られ、泣かれることには慣れなかった。
「一番苦しいのは本人のはずなのに」という言葉が、狛治少年の心の優しさを十分すぎるほどに物語っている。この言葉に救われる人がどれだけいることか。それを口に出さずとも、当たり前のことだと受け入れている狛治。父もやはり「迷惑をかけて申し訳なかった」という言葉を遺してこの世を去ったが、幼い頃から介護をしてきた狛治にとっては、他者ができないことをできる自分がしてあげるというのは当たり前のことだったのだろう。
ここに猗窩座の物語の最も惹かれるポイントがある。病気の人や要介護の人に限らず、マイノリティの人々や、マジョリティとはニーズが異なる人々が周りにいるということ、自分とは違う他者と共に生きることは、想像力を豊かにして、同質性から解放される一番の近道だということが分かる。
ちなみに恋雪の世話をする時に、狛治がお手玉で遊ぶのは原作にない映画オリジナルの演出だ。お手玉の数が徐々に増え、両手で操るようになるまで、どれだけ長い月日を病床の恋雪の隣で過ごしたかということが分かるようになっている。
猗窩座の最期
ところが、狛治の人生最高の瞬間と最悪の瞬間はほとんど同時に訪れる。狛治は18歳の時に恋雪と婚約し、道場を継ぐことになったが、そのすぐ後に慶蔵と恋雪が毒殺されたのである。毒殺された経緯はこちらの記事に詳しいが、狛治は犯人である隣の道場の跡継ぎ息子を含む67名を素手で殺害。隣の道場が剣術道場であったことも、猗窩座時代に素手での戦いにこだわる背景の一つになったのかもしれない。
狛治は、花火が打ち上がる夜空の下で「俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります」と恋雪に約束していた。無限城で猗窩座を引き留めた恋雪が聞いた、なぜ強くなりたいのかという問いの答えがそこにあったが、狛治はそれを守ることができなかったのである。
狛治は放浪していたところを十二体の強い鬼を作ろうとしていた鬼舞辻無惨と遭遇。問答無用で顔に手を突っ込まれて鬼となり、人間の時の記憶を失ってしまった。つまり、猗窩座は無惨が十二鬼月を作った時の最初期のメンバーだということだ。
「刀鍛冶の里編」では、上弦のメンバーが113年変わっていないことにも触れられていた。後から入った童磨が猗窩座より上の上弦の弐になっていることにも触れられていたが、猗窩座は最初期から無惨を支えたメンバーだったのだろう。
記憶を失った猗窩座だが、術式展開をする際に浮かび上がる模様が恋雪の髪飾りと同じだったり、戦闘時の構えが慶蔵から教わった素流と同じだったり、技のモチーフが恋雪と見に行っていた花火だったりする。技に関しては、炭治郎&義勇に使った100発の攻撃「青銀乱残光」は、青銀乱と残光という花火の種類から取られている。また、人間時代に入っていた罪人の入れ墨も、鬼の紋様となって身体に広がっている。
猗窩座は人間時代を思い出し、さらに刀がすっぽ抜けた炭治郎から顔を殴られたことで慶蔵の「生まれ変われ少年」という言葉を思い出す。そして、父からの「真っ当に生きろ、まだやり直せる」という言葉と、恋雪への「俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります」という約束……。猗窩座は自分が「弱い奴」だと考える人間、辛抱できず自暴自棄になり、守るための拳で人を殺した自分を一番殺したかったのだと思い至る。
そして猗窩座は自らを攻撃して破壊。それでも肉体は再生しようとするが、慶蔵の「死んでも見捨てない」という言葉、「もういいのよ」という恋雪の言葉に対し、無惨からの呼びかけを押し切って狛治に戻った。約束を守れなかったことを謝罪し続ける狛治だったが、恋雪は狛治が元に戻ったことを喜び、「おかえりなさい、あなた」と声をかけたところで猗窩座の肉体は滅びたのだった。
猗窩座とは何者だったのか
煉獄の言葉と猗窩座の最期
猗窩座は非常に特殊な鬼である。人間の頃の記憶をほとんど全て失っていたが、技や戦い方など全てに人間時代のなごりがあり、何より人と話すのを好んでいた。思えば、『鬼滅の刃 無限列車編』では、煉獄にも「死ぬな、杏寿郎」と説得を試みた。自分が認めた人間が死ぬということへの抵抗が残っていたのかもしれない。
ちなみに猗窩座は、鬼になっても女性は食べなかったという設定がある。恋雪を失ったことのショックからだろう。やはり人間時代の思い出をベースにした人間臭い鬼だったのだと思う。
一方で、猗窩座は煉獄に「若く強いまま」死んでくれとも言い放っており、弱さゆえに死んでいった人間と、その記憶に対する拒絶反応も感じられる。「若く強いまま」はまさに「歳をとって弱った」狛治の父の真逆に位置する評価だ。
そんな猗窩座がなぜ人間の心を取り戻すことができたのだろうか。猗窩座は最後に自分の弱さに気がついて自らを攻撃するという選択をとった。ここで思い出されるのは、他でもない煉獄さんの言葉だ。
煉獄は猗窩座と対峙した時に炭治郎を庇う中で「強さという言葉は肉体に対してのみ使う言葉ではない」と発言している。もしかすると、この言葉は猗窩座の中に残っていたのではないだろうか。猗窩座はずっと肉体的な強さを求めてきたが、最後には内面の弱さに気がつくことができた。そして、猗窩座は自分を葬るために煉獄に使った滅式を使ったのだった。
炭治郎は死ぬ間際の猗窩座から感謝の匂いがしたと呟いていた。猗窩座は炭治郎が慶蔵と同じまっすぐさで慶蔵のことを思い出させてくれたことはもちろん、『無限列車編』での炭治郎を通した煉獄とのやりとりも含めて「気づき」を与えてくれたとして、その出会いに感謝したのではないだろうか。
お喋り好きな猗窩座くん
そして、そこに辿り着くために必要だった要素が、猗窩座がお喋り好きだったということだ。そもそも自分の血鬼術の秘密である「闘気」は自分で口にしてしまっているし、煉獄との対話を諦めなかったことで強さは肉体のことだけではないという名言を引き出せている。意外とコミュニケーション能力が高い点も猗窩座の魅力の一つだ。
例えば、『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』でも、冨岡義勇の「俺は喋るのが嫌いだから話しかけるな」という言葉に対し、猗窩座は「そうか、お前は喋るのが嫌いなのか。俺は喋るのが好きだ」と返している。この会話には、コミュニケーションのテクニックの一つであるバックトラッキング(オウム返し)が使われており、相手が言ったことを繰り返すことで会話に相手に安心感や信頼を生む効果がある。
なんなら人間時代よりもコミュニケーションが達者になっている感もあるが、元々父や恋雪の看護をしているときに話をしたり、沈黙を気まずく感じないようにしたりと、看病の中で培われたスキルもあったのかもしれない。
だが、猗窩座にとって不幸だったのは、煉獄の死の間際の言葉を聞くことができなかったことだ。煉獄さんは炭治郎に「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。歯を食いしばって前を向け」と伝えた。だが、猗窩座は己の弱さに気づいた時、自らの手で命を終わらせることを決意したのだ。
もし煉獄のこの言葉が猗窩座に届いていれば、最期は踏みとどまり、人間の記憶を思い出させてくれたお礼にと、鬼殺隊と共に戦ってくれるという展開もあり得ただろうか。それとも、潔く散る方を選んだだろうか。いずれにせよ猗窩座は、貧困の中で生きることを強いられる理不尽や、弱者の側に立つことを教えてくれた人間らしい鬼だった。
『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』は2025年7月18日(金) 公開。
『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』の原作にあたる漫画『鬼滅の刃』の16巻・17巻・18巻は発売中。
『第一章 猗窩座再来』の続きは18巻の途中から始まる。
『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』はノベライズ版が発売中。
ゲーム『鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚2』は8月1日発売。
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