ネタバレ解説&感想『火垂るの墓』ラストの意味は? 清太と節子が生きた時代、西宮のおばさんの人物像を考察 | VG+ (バゴプラ)

ネタバレ解説&感想『火垂るの墓』ラストの意味は? 清太と節子が生きた時代、西宮のおばさんの人物像を考察

(C)野坂昭如/新潮社,1988

Netflixでも反響を呼んだ『火垂るの墓』

1988年に公開された『火垂るの墓』は、『となりのトトロ』と同時上映された高畑勲監督の長編アニメーション映画第6作である。原作は野坂昭如の短編集『アメリカひじき 火垂るの墓』(1968)に収録された同名小説「火垂るの墓」で、野坂昭如の実体験をもとにした終戦直後の悲惨な状況を描いた小説だ。

書籍『スタジオジブリ作品関連資料集II』(1996)で高畑勲監督は、「本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」と語っている。また、全体主義の中でどこまで善性を保てるのかについて問うた作品であるとも語っている。

史実に基づき、忠実な表現を行ない、戦争の悲惨さを徹底して描いた『火垂るの墓』。今回は、そのラストの展開を中心に時代背景や気になるポイントを解説および考察し、感想を記していこう。なお、以下の内容はネタバレを含むため、必ず本編を視聴してから読んでいただきたい。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『火垂るの墓』の内容に関するネタバレを含みます。

『火垂るの墓』ネタバレ解説

オープニングで明かされるラスト

映画『火垂るの墓』で衝撃的なのは、そのオープニングだ。主人公の清太の「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」という語りから始まり、観客にこの映画のラストはバッドエンドであることを告げるのだ。そして、幽霊の清太の目線で、栄養失調で衰弱して死んでいく清太の様子が描かれる。

そこでの人々の反応は冷たい。おにぎりを渡す人が一人いるものの、衰弱して死んでいく戦災孤児に対して「アメリカ軍が来るのに恥ずかしい」と言い放つなど、あまりにもひどすぎる。高畑勲監督が映画を通して表現したかった戦争の恐ろしさとは、全体主義に飲み込まれる日本と、荒んだ環境で失われていく善性の様子なのだろうか。

清太と、彼が大事に抱えていたドロップの缶に入れられていた遺骨の主である妹の節子の幽霊の視点から『火垂るの墓』の物語ははじまっていく。そのストーリーは純粋な家族を築こうともがく清太と、それを押しつぶす戦後の日本の悲惨さ、そして追い詰められたならば、弱った人間を容赦なく叩く変わり果てた人の心だった。

戦争による「無関心」

『火垂るの墓』で描かれる戦争の被害は生々しい。特に清太と節子の母親が、全身に大やけどを負い、包帯にくるまれている姿は心臓を握られるような、そんな感覚に襲われる。しかし、本当に恐ろしいのはここからだ。徐々に戦争によって人の善性が失われていくのだ。

空襲のあと、親族を探す人々は死体に慣れ切ってしまっており、他人の死体をひっくり返しても平気でいる。最初こそ清太に良くしてくれる近所のおばさんなどもいたが、戦火が激しくなるにつれ、みんな心に余裕がなくなってくる。それは清太も同じだ。

清太は純粋なまでに節子との「家族」としての形を守ろうとするあまり、周囲の善意を拒絶してしまうところがある。そこに余裕がなくなった人々の言葉が加わることで、清太は余計に孤立を深め、悲劇のラストへと向かってしまうのだ。

西宮のおばさんと清太、どっちが悪いのか

焼け出された清太と節子は西宮のおばさんに引き取られるが、西宮のおばさんの言葉にはどこか棘がある。特に「軍人さんばっかり贅沢して」という言葉は、当時の市井の人々にとっては本音なのかもしれない。

海軍大尉の子どもの清太と、自分の子どもを育てながら戦火を生き抜かなければならない西宮のおばさん。感覚的なものにもとづくその溝は簡単に埋められるものではないだろう。働かない清太を責める言説も見受けられるが、清太はまだ14歳。本来ならば子どもらしい生活を謳歌していてもおかしくないのだ。

清太はいわゆる軍国少年ではないため、お国のために働くよりも節子が活き活きと暮らしてくれることを願っている。それに対して西宮のおばさんは家族を養うことに必死で、それゆえに清太につらく当たる。『火垂るの墓』では清太と西宮のおばさんは正反対のようで、実際は二人とも戦争による生活の変化の中で必死に戦前の豊かさを取り戻そうとしている人物なのである。。

どちらか一方が悪いわけではない。戦争で子ども時代を奪われて、それでも「家族」の形を守ろうと必死な清太。お国のために働くことが良いこととされる当時の全体主義の空気に染まりながらも、我が子を守ろうと必死な西宮のおばさん。『火垂るの墓』はどちらも戦争の被害者であると言いたいのではないだろうか。

『火垂るの墓』について西宮のおばさんと清太がどちらが悪いのかは、映画鑑賞後の視聴者の間で議論の対象になるが、実際はどちらも悪くない。それどころか、清太を責める空気も、西宮のおばさんを責める空気も危ういものだと感じられた。

『火垂るの墓』ラストをネタバレ解説&考察

子どもが子どもらしくいられない「戦争」

映画『火垂るの墓』がラストに向かって行く中で、清太と西宮のおばさんの間の溝は徐々に深まり、決定的なものになる。オルガンを弾く清太への言葉に関しては、西宮のおばさんを戦災孤児に辛くあたる血の通わない人間と責めることもできるし、清太をふらふらと働かない怠け者と責めることもできる。

前述の通り、どちらも正解だし、どちらも不正解だと言えるだろう。西宮のおばさんは戦争で心に余裕がなくなり、幼い子どもを疫病神と呼ぶほどに精神的に追い詰められている。そして、軍国少年としてお国のために働かない清太は、子どもらしくあろうとしているだけだともとれる。

子どもが子どもらしくいられない。それが戦争の恐ろしさなのだ。本来ならば横穴に住むという荒唐無稽な判断は大人が止めるべきだが、西宮のおばさんも、清太同様に正常な判断ができていないと考察できる。戦争はどこまでも人間らしさを奪っていくのだ。

清太と節子の父親はどこにいる?

映画『火垂るの墓』では清太は生活を立て直そうと最後まで父親に手紙を出しているが、返信はこない。それもそのはずである。清太と節子の父親の乗った巡洋艦「摩耶」は1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦で沈没している。

「摩耶」の船員は艦長の大江覧治大佐以下336名が死亡しており、その中に清太と節子の父親が含まれていることは容易に考察できる。そのため、清太が亡くなる1年前に父親は戦没しているのだ。当然、手紙など返ってくるはずもない。

しかし、清太と節子がそのことを知ることはない。激戦とされたレイテ沖海戦の最中にある「摩耶」の船員に手紙など届くはずないのだから。清太と節子は両親を二人とも戦争に奪われたのだった。清太が連合艦隊の沈没を知るのは日本の敗戦を知った時だった。

薄れていく倫理観と人間性

戦争でもっとも恐ろしいもの。それは子どもらしさや人間らしさを奪ったのと同じく、倫理観が希薄になることだ。清太は節子の身体に疥癬ができ、髪には虱が付き、下痢が止まらないという栄養失調状態であることを知ると、盗みや野荒らしをためらいなく行うようになる。

それどころか、映画『火垂るの墓』の最後の方の清太は空襲の最中に人のいなくなった家に押し入り、物を盗んだあげく、爆撃機に「やれやれ!」と声をあげている。そして、燃える家を見て笑うのだった。清太の中で節子が活き活きと子どもらしく生きることが彼の優先順位の一番になり、窃盗などの罪悪感が薄れていくことがよくわかる描写だ。

戦争は何もかも奪っていく。戦争をしても良いことなど一つもない。それは当たり前のことかもしれないが、妹思いで、空襲を怖がっていた少年が空襲を喜ぶようになった姿は、その当たり前を鋭く描写したものだと考察できる。

「これおはじきやろ、ドロップちゃうやんか」

「これおはじきやろ、ドロップちゃうやんか」。この清太の台詞は映画『火垂るの墓』を代表するものの一つで、節子が衰弱して判断力が落ちていることを現した名場面だ。節子はひもじさからサクマのドロップ缶の中におはじきを入れ、それを舐めている。さらには石と食事の区別もつかず。目からは光が消えている。

ラスト付近の節子はもうまともに動くことすらできず、清太の持ってきたスイカを口にするとそのまま命を落とす。これまで頑張ってきた清太も、まるで緊張の糸が切れたかのように、目から光を失い、死体に寄り添って眠るのだった。映画『火垂るの墓』で、苦しみの中でも最後の最後まで希望を持っていた清太が絶望した瞬間だった。

映画『火垂るの墓』のラストでは、戦争が終わり、一部の人間が豊かさを享受する中、最後の希望だった節子を失った清太も衰弱していくさまが描かれるのが生々しい。豪邸のすぐそばで戦災孤児が弱って死んでいく。そこに誰も興味を示さない。終戦後も戦争によって奪われた「心」の面が大きいことが考察できる描写だ。

『火垂るの墓』ネタバレ感想

いったい誰が悪かったのか

映画『火垂るの墓』は生前の清太の目線を中心にしつつ、時折、幽霊となった清太の目線で「どうすればよかったのか」を振り返る形式をとっている。そこでは、清太が節子の泣く声に耳をふさぐなど、死後の清太がどうすればよかったのかを回想するような描写が見て取れる。

清太が節子を救うにはどうすればよかったのか。それは現代人に投げかけられたテーマではないかと考察できる。たった4歳の子どもを救うために、同じく14歳の子どもが罪を犯さないといけない状況。この状況をつくったことこそが問題ではないだろうか。

高畑勲監督は『火垂るの墓』は反戦映画ではないと後年のインタビューで語っている。そもそも、本当に戦争に反対したいのならば、戦争を起こす前に何をすべきかを観客に訴えるべきだと考えたからだ。

それを踏まえると、本当に悪かったのは戦争に踏み切った当時の全体主義に染まり切った日本社会と大人たちであり、彼らの起こした不幸な副産物が『火垂るの墓』で描かれた清太と節子の姿だったと考察できる。

現代の清太と節子たちへ

2024年9月16日からNetflix(アメリカを含む世界190カ国以上)にて『火垂るの墓』の配信が開始され、日本でも2025年7月15日からNetflixにてインターネット配信が開始された。これはスタジオジブリ側が配信を好まないだけではなく、原作の権利上の問題があったとされる。

しかし、その問題が解決されたのが戦後80年というタイミングであり、戦争が起きれば人の心が荒み、命に無関心になるということへの警鐘を鳴らすのには最適なタイミングとなった。このタイミングで配信されたことには現代に生きる清太と節子に目を向けるべきだというメッセージがあるのではないだろうか。

現在も世界には清太や節子のような子どもたちが数多くいる。『火垂るの墓』を観た後は現実の戦争と侵略の解決へと、募金でも、SNSでの発信でも、できることをしてみるべきではないだろうか。このタイミングでの配信にはそのような意図もあるのではないか。

映画『火垂るの墓』のラストでは、清太と節子の幽霊が現代の神戸を見つめるところで終わるが、あの眼差しを無駄にしてはいけない。平和を享受する私たちには清太や節子を救うべき責任があると思わせてくれる作品だった。

高畑勲監督作『火垂るの墓』はNetflixにて配信中。

『火垂るの墓』Netflix配信ページ

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鯨ヶ岬 勇士

1998生まれのZ世代。好きだった映画鑑賞やドラマ鑑賞が高じ、その国の政治問題や差別問題に興味を持つようになり、それらのニュースを追うようになる。趣味は細々と小説を書くこと。
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