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戦慄の炎上スリラー、アリ・アスター監督最新作『エディントンへようこそ』を、悲鳴を上げながらレビューする。
まずはどういう映画なのかをざっくり掻い摘む。
「一刻も早く、この町から出してくれ――」
鑑賞中、そのような焦燥感が幾度となく筆者を襲ったのだった。
『ヘレディタリー/継承』、『ミッドサマー』で現在のホラー映画界で不動の地位を築き、続く『ボーはおそれている』で世のフリークたちを困惑のどん底に突き落とした奇才、アリ・アスター監督による最新作『エディントンへようこそ』は「炎上スリラー」と銘打たれた長編第四弾。主演は『ボー』から引き続きホアキン・フェニックスが務める。
まずは本作『エディントンへようこそ』のあらましを簡単に説明しよう。
主人公であるジョー・クロスは昔気質の保安官。舞台となるニューメキシコの小町「エディントン」で気さくに人々に声を掛けて回り、まさに地域に寄り添うかたちで職務にあたっている。妻であるルイーズは慢性的な神経衰弱を抱え、同居する義母ドーンは日夜インターネットから発信される怪しげな陰謀論に耽溺して娘やジョーに世界の危機を一方的に発信し続けている。
さて、おりしも2020年、ジョーたちの住まうエディントンにもコロナ禍による脅威が到来する。
市長であるテッド・ガルシアは粛々とロックダウンによる行動制限を受け入れる。テッドは科学的見地に基づく感染対策を徹底し著名なIT企業と連携した大規模データセンター誘致を画策し、目前に控えた市長選でも再選を目指す野心家だ。一方、喘息持ちであり、あくまでも「エディントンまではコロナは届かない!」と主張するジョーはテッドの掲げる「屋外でのマスク着用の厳守」に反目したことがきっかけで自身も市長選に立候補する。
テッドに対抗するため、ジョーは保安官事務所の同僚たちと「市長は利権のために闇の政府(ディープ・ステイト)と癒着している!」と陰謀論まがいの主張を掲げ、付け焼き刃の暗号通貨による地域活性化を図るも、しかし時を同じくしてジョージ・フロイド殺人事件――白人警官による黒人男性殺害事件をきっかけにしたBLM(ブラック・ライヴズ・マター)が全米で過熱化する。アンティファ(反ファシストを掲げる活動家)によるテロまがいの運動や警察組織への抗議活動が各種SNSを通して若者たちに波及し始め、また義母を通して怪しげなカルト宗教の教祖と構成員たちがエディントンへ流入し始める。そして他ならないルイーズが、その思想に感化され始めていた……。
というのが中盤までの基本的な流れ。
この時点で賢明なる読者諸氏はうっすらと勘づき始めているかも知れないが、この物語において「心理的な安全地帯」は存在していない。
「誰もが多角的な一面を持っている」という多様性の話ではなく、エディントンに住む誰もが絶妙なところで「信頼できない人物」として設計されているようにしか筆者には思えなかった。この物語において手放しで「正しさ」を仮託し、寄り添うことのできる登場人物は存在せず、それは絶えず「居心地の悪さ」として頭の片隅に残り続け、そしてその違和は最悪なかたちで結実し、エディントンとジョーたちを制御不能なカオスへと飲み込んでゆく。
以下の内容は、映画『エディントンへようこそ』の本編のネタバレを含みます。
今回も監督からのいびつな“寵愛”を受けるホアキン・フェニックス
盤石な市長陣営を切り崩すため、ジョーは「戦略」としてテッドがルイーズに対して行ったという過去の性暴力事件を暴露する。
妻の尊厳を対価として焚べるその行いはテッドに甚大なダメージを与える……はずだったが、しかし他ならないルイーズ自身がその事実を公的に否定したため、ただただジョーは市長から軽蔑され、エディントンの大多数を占める彼の支持者たちからも白眼視されることになる。
またこの件がきっかけとなり、ルイーズはジョーと袂を分かってカルト教祖の元へ奔走することとなり、あとにはただ信頼を失墜させたジョーだけが取り残されることになる。この辺り、ほんとうにつらく、そもそもジョーの行い自体が決して許されるものではないので同情することも難しい。
このあとジョーはテッドの資金集めパーティーに釘をさすために現場に出向くも、先の一件から案の定強く出ることだできず、衆目監視のもと比較的やわらかめにぺちん、と市長からジョーが頬を叩かれるシーンの居た堪れなさがものすごい。「ジョーが何をしたって言うんだよ!?」と脊髄反射で怒りがこみ上げるも「いや、実際それだけのことをしてるから仕方ないか……」と感情が行方不明になる。この辺りから筆者は黒沢清監督作品における役所広司を幻視し始めていた(『降霊』や『CURE』でほんとうにつらい目に遭ったり『回路』でおそらくひどい目に遭っていたり『カルスマ』や『ドッペルゲンガー』などで変な役をやらされる役所広司)。
まさに監督の真骨頂! 予測不可能な展開の数々に我々とホアキンは悶絶し絶叫する。
並行して、若者たちの間でBLM活動はいよいよ勢いを増し、特に「意中の女の子の気を引くため」に活動に熱を入れるブライアン少年に扇動されるまま、SNSによって持ち込まれた憎悪はいよいよ暴動となってエディントンを脅かす。対する保安官たちの反応はどこか他人事かついかにも面倒そうで、暴徒と化す彼らの対処にあたるジョーの言動は案の定携帯端末で撮影され、「少年少女を不当に弾圧する暴力警官」として切り取られ、拡散、炎上する。
(余談だが、有色人種の権利を主張する彼らを矢面に立って押し留めようとするのが黒人であるマイケル保安官捕であるところに監督の底意地の悪さを感じる。そう、エディントンで生じたBLMには「当事者」が抜け落ちているのだ)
かくして、ジョーの失意や絶望がピークに達した瞬間、彼の目に飛び込んできたのは休業中のバーで狼藉を働く(おそらくコロナに感染している)浮浪者・ロッジの姿であり、あろうことかジョーは彼をあっさりと射殺するのである。
おそらく、監督のファンなら『ヘレディタリー/継承』の例のシーンが脳裏によぎることであろう。あまりにスムーズ過ぎる特に意味のない私刑に頭が追いつかない筆者を置き去りにしたまま、彼の死体を秘密裏に河へ流したジョーは、返す刀でそのまま市長の家へと向かい──彼とその息子を狙撃して殺害するのである。
オォーーーーーーーィ!!???
頼む、脳が追いつく前に、並の映画なら一大事になる展開をポンポン連鎖させるのは、やめてくれ……。
まぁ、邪魔者がいなくなったら市長選も安泰やね。何食わぬ顔で捜査に乗り出し、市長殺しをBLM絡みと断定して積極的に捜査をわやくちゃにしようとするジョー。そのまま人一倍仕事熱心で使命に燃えていた若き保安官であるマイケルにあの手この手で罪をなすりつけるぞ! なるほど! 前半で存在していたマイケルがジョーにいつか保安官として大成する夢を語らう牧歌的なシーンはこのためにあったのか! だから、そういうのやめろって!
しかし市長の家はエディントンとプエブロ(ニューメキシコの伝統的な先住民族が統括する共同体)の境界線上に位置していたため、当該地区を担当するバタフライ捜査官が積極的に事件に介入してくる。この捜査官、あきらかに有能でジョーが隠蔽し損ねた証拠を的確にピックアップし続けるので否応なく不安が募ってくる。
すでに筆者の観客としての自我が、その立ち位置がかなり謎になっており、クライム・サスペンスとしてジョーはこの危機を乗り越えられるか……? というドキドキ感も当然あるにはあるが、しかしこの時点で相応にジョーに対する信頼感のなさもあるので「このまま大人しく捕まってくれ……」という想いもある。ほんとうに居心地が悪い。
ちなみにこの間、どさくさ紛れに(おそらく)ジョーもロッジ経由でコロナに感染しており、水面下で同僚たちに感染が広がってく描写がさらっと挿入されてきてスリップダメージのように我々のメンタルを着実に削ってくる抜かりのなさもある。ここから先のホアキンによる「声がガラガラになってどんどんしんどそうになっていく人」の演技が本当に上手く、なんでそんなことをするの? という気持ちになる。
そして物語とホアキンはカオスの先へ
そうこうしている間に物語はいよいよ最終局面へ突入して──炎上の一件からエディントンを認知したアンティファの構成員たちが、重武装して町に乗り込んでくるのである。
なんで??????? そういう話、一ミリもしてませんでしたよね?????
そんな筆者の困惑と驚愕をあざ笑うかのようにアンティファの構成員は保安官事務所に放火し、立て続けに地雷によって同僚たちを爆殺。また執拗な追跡と大火力による銃撃によってジョーを着実に追い詰めてゆく。絶体絶命! さっきまでこういうジャンルじゃなかったよね? しかし対するジョーもただではやられない!
あきらかにコロナが回り切ってつらそうになっている最中、ガンショップに飛び込み『コマンドー』さながら武装して機関銃でアンティファに果敢に立ち向かう! 閑散とした田舎町に硝煙とマズル・フラッシュが怒涛の勢いで飛び交い、そしてどさくさ紛れに流れ弾の巻き添えを喰らって無惨に殉職する偶然その場に居合わせたバタフライ! なんでだよ!!??
「この展開! 予測不可能!」というお決まりのキャッチコピーが筆者の脳裏に何度も浮かんでは消えてゆく。人間の想像力の限界を痛感するしかない。なんだ? これは? なんなんだ? これは? これは一体、なにがどうなったら終わるの? どうなったら、誰が勝つの? そのような困惑も銃声に飲まれ、無慈悲に洗い流される。
激戦によって大いに傷つくジョー。しかし同時に彼の進路を妨げる者はあらかた排除され(市長選って、「邪魔するヤツを全員物理的にぶっ倒せばOK!」みたいなルールはふつう採択されていないと思うんですけどぉ……)、熱病めいた暴走の先に、そして──。
ここから先の顛末は、あえて語るまい。
想像を絶する悪意の煮凝りに筆者は絶句し、「こんなの、よくホアキン許したな……」「監督はホアキンを一体どうしたいのか?」「ホアキンは叩くと音の出るたのしいおもちゃじゃないんだぞ」「ホアキン・フェニックスの尊厳……」などといった行き場のない感情に全身が埋め尽くされていたのだった。
あば、あばば、あばばばば…………。
まとめ・『エディントンへようこそ』とは何だったのか?
分断と扇動が吹き荒れる主体なき時代へようこそ
……さて、わやくちゃに動揺しつつも『エディントンへようこそ』を総括するに、作中で特に印象的だったのは登場人物の誰もがSNSやニュースサイトに頻繁にアクセスし、双方向に情報をやり取りし続けていることだ。
我々は繋がっている。時としてそれは物理的な時空間をバイパスして、本来はそこに存在していなかったものを表出させる。
BLMは飛び火のようにエディントンで活発化する。陰謀論は信憑性を欠いた世界の危機を警告して、そもそもジョーの市長選に対する動機だって、それは彼の内側から齎されたものだっただろうか? 人々を扇動するカルトの教義はわかりやすく世界の脅威を戯画化して……エディントンを襲撃したアンティファは、どうして恐ろしく高価そうなプライベート・ジェットを移動に用いることができたのだろうか?
そして確かにあったはずの脅威──浮浪者として孤立しているロッジがどこでコロナに感染しそれを町に持ち込んだのかを、誰も気にしない。気づきもしない。
我々は何を選び、何を目しているのだろう?
我々を操作するこの激情は、一体どこの誰が準備したものなのだろう?
ネットワークによってたやすく誰かの怒りが共有され、特定の属性を持つ隣人が敵と化す時代において安全な領域はまるで皆無で……この居心地の悪さを抱えたまま、我々はここで暮らすしかないのか?
どうしようもなく接続された我々は、レイヤーのように重ねられた第二の現実を生きているのかも知れない。
眼前の世界を見失い、個々人に心地よく調整し、シェアーされた怒りによって我を忘れた時、私たちは満を持してこの分断と扇動の世界に「住人」として迎えられるのだろう。
エディントンへ、ようこそ。と――。
映画『エディントンへようこそ』は、2025年12月12日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほかで公開中。
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー、ルーク・グライムス、ディードル・オコンネル、マイケル・ウォード
配給:ハピネットファントム・スタジオ 原題:EDDINGTON
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|2025年|アメリカ映画|
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『エディントンへようこそ』ラストの解説&考察はこちらから。
『ボーはおそれている』の解説&考察はこちらから。
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