正井「朧木果樹園の軌跡」 | VG+ (バゴプラ)
  • 筆者 正井
  • 更新日2022.08.21

正井「朧木果樹園の軌跡」

デザイン:谷脇栗太

公開日:2022.8.11

正井「朧木おぼろき果樹園の軌跡」
6,243字

海に泳ぐものはたくさんいるけれど、さかなと呼ばれるのは一種類だけだ。さかなのうちで一番大きくて強いものがふねになる。

ふねは港の一画をかこって大事に育てられたがしばしば入れ替わる。漁で大きなさかなを捕まえることができたら、ふねと戦わせるのだ。打ち勝った方が新たなふねになる。負けた方はふねではなくひとに食べられる。大人のさかなはみな、深い藍色の、硬い外殻に覆われていたが、口の中は柔らかい。口を開かせて内側から喉を刺せば容易に殺せた。殺したさかなは外殻をはずし、解体して、海辺の集落全体に配られる。今のふね候補はそれくらいな大きさだ。

そうやって殺したさかなの肉、塩漬けにして干したのをたっぷりと持たされた。かわりに故郷の果実を持ちかえることを約束した。十二世代を経てようやく実った果実だった。誰もがほしいだろうけれど、一つだけでも、と託された。

平坦な砂の地をひたすら内地に歩いていく。まばらに生えた草木を風がゆらす以外、物音がしないせいで、かえって海鳴りの音がまだ背中に響いているようにすら思う。故郷に帰るのは八年ぶりだった。踏みしめる地面がゆれないので足元がおぼつかない。八年ずっと、海に渡した桟橋か、ふねの囲いのうえで暮らしてきた。ふねはかれによく馴れて、囲いのうえに立つと、外殻を広げて尾をくねらせながら、ぐるぐると、二つの円を交互に描くようにして泳ぐ。

八年前、かれが海辺で師についてすぐのころに、このふねは捕らえられた。そして前のふね候補を打ち負かし、新たなふねとなった。以来、かれとふねはともに成長した。かれの体はじきにのびるのをやめたが、ふねは今もすくすくと育っている。ひとと違い、さかなは生きている限り成長を続ける。かれは背はのびないかわりに、ふねをひとに馴らし、育てる仕事を師から継いでいる。まだ継いでいる途中で、すべては譲られていない。

そう、それで、故郷。

ふねから離れて三日、砂の地に、光沢のある、深い藍色の屋根のならぶ集落が現れる。遠くから眺めると美しいが、近づくと灰色に荒廃している。見張り小屋の屋根は端から色褪せて、葉脈のようなヒビがびっしりと入っている。もう二、三ヶ月もすれば崩れてくるだろう。藍の色はさかなの色だった。さかなの外殻を乾かして、屋根材にすると、光沢は増すけれども、その日から褪色がはじまる。外殻は強く、きつい日差しや夜の外気からひとの柔い身を守ってくれるけれど、それは色が抜け切るまでだ。色が抜けて灰色になると、その瞬間からひとの身よりももろく崩れていく。

砂壁も外側から剥がれてところどころ薄くなっているのが、繕いもせずに放っておかれている。もっとも、ここは見張りなんて必要ないくらいに平和だった。集落には見張り小屋を最低ひとつ立てる決まりだから作っている。

他の家も似たりよったりだった。とくに褪色がひどいのは学舎だった。かつてかれが暦と歌、初歩の自然科学を学んだ学舎は、ななめに立った柱が残っている以外、ほとんど原型をとどめていなかった。子供が毎年入れ替わるうえに、集会だのなんだのが催されるたび、集落中の大人がここに集まることになるから、摩耗が激しく、繕いも間にあわない。かろうじて藍の色の残った屋根の残骸は、眺めているはしからぱらぱらと崩れて灰色の砂になる。

ここを出たときにはただうるさいばかりだと思っていたが、

あるておゆき うみゆき くるるけゆき うみゆき うみふれば ふね

という、軌道歌を暗唱する子供たちの声が聞こえないと、集落はずいぶんと静かになってしまう。それをさびしいと思う程度には、かれは大人になっている。

新しい学舎は建てられていない。崩れきって砂になったら、そこを更地にしてまた新しく建てなおす。いずれにせよ、数世代前の悪天候のせいで今はどこも子供が少ない。無理に建てなおすよりは面倒がないと、みな家族ぐるみで隣の集落に移動している。隣といっても行き来には半日かかる。蛹化ようかを経た年寄りが二人、崩れた砂壁の前に遊戯盆をだして陣地取りに興じている。かれに気づくと、触角をゆらして挨拶をする。かれも無言で挨拶を返す。

灰色に色褪せた故郷のなかで、果樹だけがあざやかだった。

果樹は、村落の北側の小高い丘に生えている。球をいくつも重ねたような幹、背は低く、枝葉を扁平な形に広げている。まだ若い木だからか、ずんぐりした幹からわかれた枝は、どことなくたよりなく、葉の重みにすらしなっているように見える。丘に立ったときに感じる、生暖かい、わずかに甘いにおいのする空気を思い出して、かれは体を震わせた。葉ずれの音がここまで聞こえてくるような気がした。

かれの家は、集落からやや離れて、丘のふもとに、寄りそうようにしてある。姉が一人で暮らす家もまた、色褪せて端のほうから崩れつつあった。南側の壁はもうひび割れが大きくなって、砕片が地面に散らばっている。繕われないままのひび割れから内側をのぞくと、姉の背中が見えた。幼形のままでいることを選んだ姉は、今もかれとおなじ姿をしている。声をかけると、緑色の地に白い斑紋をもつ背がぶるりと震え、振りかえる。

――どうして、そんなところから?

と笑いながら姉がいう。かれは顎を打ちあせて返事をし、入口にまわる。姉はかれから干し肉を受けとり、ごちそうだね、といった。

――そっちは順調?

――うん、順調に育ってる。きっとおおきなふねになる。

――そう。

家の中は、砂が踏み固められた部分と、柔らかな砂の積もった部分がまだらになっている。姉は踏みかためられたところだけを歩く。そうするうちにも砂は壁からぱらぱらと落ちて、壁際から積もっていく。中央に広げられたむしろは、半分は表面が擦れて繊維がほつれているのに、もう半分はほとんど使われた形跡がない。姉がむしろのぼろぼろな方にうずくまり、かれに着座をうながした。そこはかれの定位置だった。姉の向かい側、一つのむしろの半分で、食事をとり、茶をのみ、遊戯盆で遊んだ。

――果実が実ったそうだね。

と尋ねる。姉は誇らしげに体を反らし、左右に揺らす。上の世代から果樹をあずかって育ててきた。数世代が待っていた実りをもたらしたことは、もちろん姉一人の功績ではないけれど、やはり誇らしい。

――あなたの分は、残してある。

姉が北の壁に脚先をむける。壁に開いた窓から、葉を茂らせた果樹が見える。

――まだ収穫していない。最後の一つだ。

さかなとひととの違いはもう一つ、初めから雌雄の分化しているひとと違い、生まれたばかりのさかなは全て雄であることだ。さかなのうち、最も大きく丈夫なものが雌になる。だから、ふねを育てるとは、雌になるように育てるということだった。かれの育てるふねは、相当に大きくなったが、変化の兆候はまだ見られない。それが見られるのは、かれの次の世代であろうと思う。

かれは姉の導きに従い、丘を登り、果樹のもとへ行く。丘の地面はわずかに暖かい。歩きながら、かれはもうゆれる地面のことを忘れている自分に気づく。

最後の果実はすぐに見つかった。立ちあがったかれの胸ほどの高さの枝に、分厚い皮殻を持った実が垂れさがっている。果実の重みで、その枝だけ下方へしなっている。脚先の爪で傷つけてしまわないように、二対の腕で囲むようにしてそっと果実を持ちあげると、枝のしなりが戻ってほかの枝とおなじ高さに並ぶ。そのままひねってもぎとった。果実は水を含んで重く、触角でふれると表面は冷たい。かれは重さに耐えかねたようにその場にしゃがみこむ。腹の体節の継ぎ目を通して温もりが体にしみこんでいく。

丘の地面が暖かいのは、腐敗のためであるという。かつてこの星へ来たときに乗ってきた、大きなふねを殺して、食べて、その残りを埋めた。骨や内臓、濾過組織、骨にこびりついたわずかな肉。とても巨大なふねだったから、今も腐敗し続けていて、その熱が果樹を養う。かれもかれの姉もそのふねを見たことはない。本当に腐敗しているのかどうかもわからない。だがかれは、この温もりをふねの証だと思っている。

さかなは生涯成長しつづける。いずれ、この星の環境では養えないほどになる。そのとき、さかなは海から大きく跳ねて、次の環境へと向かう。腹には卵を抱えている。卵と自身とが、星の外側の厳しい環境に負けてしまわないよう、深い藍色の外殻を強い筋肉でしっかりと閉じ、星を渡る。

かれらはさかなに乗ってやってきた。かれは直接知らない。渡りを敢行したのは祖先たちだ。さかなとともに星を渡るとき、かれらはうっかり食べられないように、糸を吐いて繭を作り、さかなの口腔内にはりついて、蛹のまま休眠状態で運ばれる。移住の間、何人かは繭ごとさかなの腹に落ちて、星を渡る糧となる。

ひとがさかなとともに経た遍歴は、軌道歌のなかだけで知っている。ウズミビ、アリソ、アリョウ、オグルス、アルテオ、クルルケ……。海でさかなが年経ればふねとなり、次の星へと向かう。

ここはオボロキ。

ふねを殺して埋めた場所から、木が一本生えてきた。植物にくわしいものが、これは果樹、前の星からともにわたってきた果樹だと断じた。種がどこにまぎれていたのかはわからない。ふねの食餌に混じっていたのか、外殻のどこかにまぎれこんでいたのか、はたまた、ふねの胃に落ちただれかが持っていたのかもしれない。ともかくこの星にありえない木は根をはり、芽をだした。実をつけて、まぼろしの果樹はまぼろしではなくなった。

ここも次の星では軌道歌に歌われるだろうけれど、まだそのなかに入っていない。次がどこになるかは、さかな次第だ。おなじ星で生まれたさかなであっても、向かう場所は異なる。軌道歌は、宇宙へ飛びだしたさかなの数だけ分岐する。それが継がれるかどうかはわからない。さかなのたどりついた先が、ひとも暮らせるとはかぎらないからだ。活動可能な温度帯はひともさかなも似通っているが、ひとには陸が必要だ。陸があっても、食べられるものがないなら生きられない。ひとを食う大型の生物がいるかもしれない。ここにたどりついた当初も、飢えでずいぶんと死んだらしい。人口は今も少ないほうであるという。さかなと異なり、蛹を経ての性成熟か幼形のままでいるかという選択がひとにあるのは、あるいは航路の先になにがあるかわからないか
らかもしれない。

かれら全ての起点のウズミビ、楽園であったというアリソ、試練のアリョウ、オグルス、アルテオ、クルルケ、オボロキ……少なくとも、かれの知っている軌道歌に歌われる星の数だけ分岐がある。そのうちのいくつくらいが行きづまりになるのだろう。ひとは絶えたが、さかなや植物は命をつないだ星もあるだろう。

日が没しようとしていた。気温が下がりつつあった。砂地では夜の気温はぐっと低くなる。動けなくなる前に家に入らなければならない。体を持ちあげると、果樹の枝葉がかれの頭や背を撫でる。家に向かって歩きだすと、背後から、さわさわとかすかな音がした。丘に暖められた空気が、夕暮れの冷たい空気のなかで上昇気流となって、果樹をゆらしているのだった。かれはその音を背中で聞く。星以外、なにものも動かないような、静かな夜のなかで、かれと姉は、この音を聞きながら育った。

その日の夜は、眠るまで葉ずれの音を聞いていた。意識を失う直前、葉ずれの音は海鳴りへと変化して、かれの夢をふねへとつなげた。夢のなかで、かれはふねの外殻に抱かれて海中を泳いでいた。触角を海水が撫で過ぎる。泡が海中にさしこむ光を反射して、暗い海底を背景にすれば銀色に輝いた。

翌朝、故郷はすっかりにぎやかになっている。隣の集落に移っていたひとびとが、一時的に帰ってきたのだった。見知った顔もあれば、蛹化を経ていてすぐにわからない顔もある。名を呼ばれてはじめて幼馴染に気づき、薄情だ、と冗談まじりに責められて、変わったのはそっちのほう、と返せばいいのに、驚きのあまりまじまじと顔を見つめて、気まずい一瞬を過ごさせてから、二人一緒にふきだした。

かれの持ってきた干し肉を、集落に残っていたひとも含めて皆で等分し、一部を朝食としたあと壁を繕う。糸を吐き、砂を割れ目に詰めて固定する。本来繭のための糸だったが、かれらの世代は、ふねが十分に育つまで間にあわない。いずれにせよ、繕いのためだけに消費される繭糸だった。

――ふねはどう?

――順調に育っているよ。 ふねの大きさを説明すると、皆ほうっと体をゆらした。集落をまるまる一つ養うほどの肉、それでもまだ、本当のふねとなるには小さい。その途方もなさと、祖先らのはるばるとやってきた航路の遠さが重なって、かれらの体を震わせる。けれどもその一方で、生まれ育った土地に対する愛着は、無視できないくらいに大きくなっていた。ふねの口中で、蛹となってこの星を離れるのを想像するとき、祖先の航路を思うのとはべつの感情がかれの身を震わせた。もし仮に、ふねに乗れたとして、私はここを離れるだろうか? 想像の中で、いつしかかれは地上にいてふねを見送っている。ふねは空を埋めつくすほど大きく、藍の色は深かった。

昼になる前にすべての繕いを終えた。繭糸は、しばらくの間は光を虹色に反射するけれど、乾くと砂と同化して、どれが糸だったかわからなくなる。姉は、かれと二人で繕った砂壁を、脚先で軽くひっかいた。砂壁は、ほんの少し崩れて、あとはびくともしなかった。半分色褪せた屋根はどうしようもない。ごまかしごまかし、やるしかないねと姉は笑う。

――うちでもそろそろ、弟子を取ることにした。果樹を広げるつもり。

――広げる?

――果樹園にする。たくさん植えすぎると栄養を奪いあうから、塩梅がむずかしいが……。

姉は、もしさかなが取れたら、内臓を分けてほしいと言った。そのうち弟子に取りにいかせるから、と。かれはその約束と、果実の一顆を抱えて海辺に戻る。かれの師と、かれらの育てるふねのもとへ帰る。揺れる囲いの上に脚部の爪をひっかけて落ちないように踏ん張る日々に戻る。そして成熟し、弟子をとり、技術を伝えて死ぬ。

死ぬとひとは果樹の根元に埋葬されるか、海に沈められる。土の下かさかなの腹の中で、かれの体が腐敗する。ふねは生きている限り成長を続ける。十分に大きくなったふねが、朧木の海を、星を出る。かれらとともに。朧木は航路となり、歌の中にのみ名を残す。

 

 

 

 

正井「朧木果樹園の軌跡」は、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books) に収録されるSF短編小説です。『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』は2022年8月29日刊行。Amazon等で予約を受け付けております。
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正井

2014年に個人誌としてSF短編集『沈黙のために』を発表。2017年には『さまよえるベガ・君は』を、2019年には『沈黙のために』の新装版を発行した。「大食い女」を寄稿した『フード性悪説アンソロジー 燦々たる食卓』(2018) をはじめ、数多くの同人誌で小説および短歌・俳句を発表してきた。2019年に第一回ブンゲイファイトクラブ本戦出場。2020年には第一回かぐやSFコンテストで「よーほるの」が最終候補11作品に選出。Kaguya Planetに寄稿した、架空の土地を舞台にした人魚譚「宇比川」とケアとジェンダーをテーマにした「優しい女」はどちらも高い評価を受けた。唯一無二の作風でファンから強い支持を得ている。

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