千葉集「擬狐偽故」 | VG+ (バゴプラ)

千葉集「擬狐偽故」

デザイン:谷脇栗太

一般公開日:2022.8.11

千葉集「擬狐偽故ギコギコ
5,227字

ホテル〈ル・サンクルー〉。それは呪われた名だ。宿帳にサインするときはみな「ヒルトンにでも泊まったほうがまし」とでもいいたげに眉をひそめ、チェックアウトのさいは夜逃げのように去っていく。持ち帰られる土産話では、トランスカルヴァニアの名所旧跡が百も二百も並べられるが、滞在した場所だけは巧妙に言及が避けられる。〈ル・サンクルー〉の客は誰とも知り合いたがらない。知り合い同士だったとしても他人のふりをする。そこでは誰もが望んでひとりだ。

わたしは疲れていた。なんとなく、日本へ戻りたくなかった。チャトウィンが書いたように、疲れている人でなければ、トランスカルヴァニアに留まろうとはしない。

ウェルカムレターで呼びかけられていた「当ホテルの誇るバー〈レミニセンス〉で催される宿泊者の集い(毎晩夜九時〜十一時)」を無視し、旧市街跡近くの安酒場に二、三日通っていた。ところが、外のほうがホテルで見かけた顔に遭遇しやすく、むしろ閑古鳥の鳴く〈レミニセンス〉で飲んだほうが気安い。トランスカルヴァニアでの日々は、どう発音すればいいのかわからない地元産のスリヴォヴィッツとカルダモンを混ぜたカクテルの澄んだ琥珀色へ融けていき、気がつけば滞在最終日の夜になっていた。

そして、その女を見た。

巻いているというよりは、巻かれている。それが最初の印象だった。

女はカウンター席の端に座り、スマートフォンを眺めていた。アール・デコというよりはダーク・デコといった趣。〈レミニセンス〉のコードが許容する限界だ。そのシルエットはすらりと流れていたものの、一点、ボリュームのある襟巻きが全体の印象をいびつにしていた。

キツネの襟巻きだ。銀に近い白毛で、耳の頂と尻尾の先端だけ墨に浸したように黒い。よく手入れされていると見え、毛並みはふっくらとみずみずしい。深く閉じられた目は死に顔というよりはこんこんと眠っているようだ。鼻先まで近づけば、息づかいまで聞こえてきそうだった。

もしかして。

トランスカルヴァニアの倦怠、〈ル・サンクルー〉の孤絶の掟、自分のたどたどしい高地ドナウ語への恥じらい、それらをふりきってでも、声をかけずにはいられなかった。

「すてきな襟巻きですね」

ふりむいた顔は、存外におさなかった。

女が不審げにゆがませた口を開きかけ、「あら、ありがとうございます。ごていねいに」と首もとからの声に遮られる。高くてやわらかい、音楽的な発音。

キツネが黄金に輝く眼を見開いていた。

酔いよりも熱い昂ぶりが胸をつく。やはり。

エリマキキツネ。

生きている個体がいたなんて。

エリマキキツネは襟巻きのために生み出された種だ。元来、襟巻きは死んだキツネからはらわたを抜いてこしらえられていたが、それだとどうしても毛艶に劣るし、時間の経過で褪せてしまう。そこでトランスカルヴァニアのある毛皮商人が独自に研究と交配を重ね、生きたまま襟巻きにできるキツネを作りあげた。それがエリマキキツネだ。

エリマキキツネは骨がやわらかい。おかげで曲がったりひらたくなったりと襟巻き向きの形状をとれるのだが、反面、自立が極めて困難であるという脆弱さもあわせもつ。種に特有の病気も三十はくだらない。介助がないとたちまちに死ぬ。人に飼われることを前提にした動物だった。

十九世紀である。ダーウィンによってあらゆる動物たちが親類であるかもしれないと示唆され、動物愛護が盛りあがった時代だ。エリマキキツネは、最大の輸出先に想定されていた英国で最大の反発を受けた。チャールズ・ディケンズが All the Year Round 誌に寄せたエッセイが今に残る。「……エリマキキツネとは! いかにもロシア人らしい(本人にしかわからない思い込みからディケンズは生涯トランスカルヴァニア人をロシア人と混同していた)冒涜的な仕打ちだ。かれらの嗜虐的な本性は単に殺すだけでは飽き足らず、生きたまま地獄に送るのだ」。

女王直々に公許された英国動物虐待防止協会は、当時帽子を飾る鳥の羽への反対キャンペーンで気炎をあげていた〈キリストの動物のための英国婦人協会〉と手を組み、エリマキキツネを締め出した。心ある紳士たちは森でビーグル犬にキツネを追わせているあいだ、猟銃を抱えて東方におけるキツネ虐待について憂慮しあっていたのだった。

西欧の各国もこの動きに同調する。イタリア半島でも南部でわずかに受け入れられただけだった。険悪だったヨーロッパが、エリマキキツネの輸入禁止で一致を見せたのは歴史上の奇跡ともいえた。

思惑を外したトランスカルヴァニアの毛皮商人は本業へ回帰した。エリマキキツネを殺して骨や腸を抜き、毛皮だけヨーロッパ中へ出荷したのだ。

そして、売れた。アカギツネの皮を剥いでいたころよりも売れた。死んだエリマキキツネの皮は、当然のことながら襟巻きに向いていた。殺すぶんにはどこからも文句はつけられなかった。

エリマキキツネの毛皮の需要は急速に高まり、模造品まで流行った。しかし、需要に反して供給は伸び悩む。繁殖も困難で短命だったが、誰もそうした状況を改善しようと考えなかった。みな殺すことで得られる目先の利益に淫した。

十九世紀だった。

そうして。

「トランスカルヴァニアのエリマキキツネは二十世紀までに死に絶えた、と聞きました」

図鑑でしかお目にかかれない幻のイヌ科が目前にいる、その興奮をわたしは抑えながらいった。

キツネはぴちゃぴちゃ舐めていたミルク皿からわずかに頭をもちあげた。

「おくわしいのね。ええ、みんな死にました」

「あなたは生きている」

「あなたが生まれるずっと前からね」

「しゃべってもいる」

「あなたの知らない国の知らない時代のことばだっていくつも知っています」

「エリマキキツネが口をきくなんて、どんな本にも書かれていない」

「本を信じるの? 二十一世紀にもなって?」

そういって、こうこう、と笑う。これも、ものの本には書かれていない仕草だ。

「気をつけてね」と巻かれている女はスマホの画面から顔をあげずにいう。「この襟巻き、テキトーだから」

こうこうこう、とキツネの笑いが高くなる。

「地狐は千年にして通力を得る」キツネの口から出る言語が日本語に切り変わった。「わたしは七十四道中の王にして、白辰王菩薩の化身。あたえの裔、十方電ひらめく鳴る神。しかるに弘法大師に四国から追放された紫のひとり。もとの名は忘れました。そうした縁起のキツネです」

もしこうしたことが本のなかに書いてあるのであったら、わたしも与太話だとおもっただろう。しかし、英国人がよくいうように、ホテルのバーで語られた話はすべて真実である。信じようとしない者は、恥多い生涯を送るはめになる。

「昔はモテてたんですのよ。阿州から讃州まで、美狐ハク雌雄スケは残らずコマしたものです。

そこにあのにっくき空海がやってきた。最初は池の水を治めるのにもわたしたちを頼っていたのに、いざ四国ふたなしまを掌握すると、キツネの才知がおそろしくなった。従順で愚鈍なタヌキどもに乗り換えて、わたしたちの一族を追い出し、こう宣いました。

『おまえさんらには堪忍ならん。その身で、その意で、その口で、釈尊も恐れぬ十悪を成す。タヌキどものような謙虚さを身につけるまで、この島に戻ることはまかりならぬ』と。

わたしは狐縁を代表し、前へ進み出ました。

『ひどい。つらい。とてもかなしい。ねえ阿闍梨さま。あなた、おっしゃったじゃありませんの。三界は我が子で四海は我が兄弟、と。わたしたちは吾子でも兄弟でもありませんでしたのね。衆生の一切にキツネは含まれませんのね。それは、いいでしょう。化かされるほうがわるいのですもの。どこへなりとも棲処を払いますわ。

しかし、つつましさは秘された美徳です。他人には伺い知れません。それを身につけたかどうかなんて、いかに測りますの?』

『性根の清らかさは必ず事物に反映される。密厳国土の清浄にふさわしくなったらば、西海に鉄の橋が架かり、おまえたちを迎えるだろう』

わたしは悟りました。もう日本にはいられない。鉄の大橋なんて……コチコチで……ああいうの、日本のことばでなんといったのでしたっけ?」

キツネは高地ドナウ語で「無粋」や「ダサい」や「海の魚のにおいがする」というような意味の単語を出した。

「そういうものでつながれることが理想とされる一州で、息を吸い吐きできる場所なんてありません。

わたしは一族に別れを告げ、唐土へと流れました。

それからはまあいろいろ……いろいろありましたね。たとえば、宋では、とある将軍に見初められて……」

というような物語りが三時間ほど続き、膨らみ、蛇行していった。ようやくエリマキキツネのくだりに入ったのは、〈レミニセンス〉も閉店の間際だった。話のなかのキツネはイスタンブールでさんざん悪さを働いたすえに落ちのび、トランスカルヴァニアのある牧場に迷いこんでいた。

「みょうにクタッとしたのがいるなあ、とおもいました。近づいて腹を踏んでみると、もにゃもにゃしていて変な心地です。生きているのか死んでいるのかもわからない。踏み踏みしつづけていると、『痛い』と声がす る。おどろきました。

数は少なかったですね。三十もいなかったんじゃないかな。それが残ったエリマキキツネのすべてだというのです。この世界で最後の……。

うるわしいな、というこころが芽生えました。

なぜそう感じたのかは自分でもわかりません。どうしてかれらがそんなかたちをしていて、死に絶えかけているのかも知りません。とにかく、やわからくふんにゃりした有様がうらやましかった。

わたしはひらたいキツネにこう乞いました。

『あなたみたいになりたいな。近くに誰か、人はいない?』

近くの小屋に牧場主でもある毛皮商がいると教えてくれました。

人の雌に化けて男をたぶらかして殺す、という古典的な手段を使いました。そうして、毛皮商のしゃれこうべを手に入れたのです。あのクソ坊主がごらんになったら叱ったでしょうが、ここは阿讃ではありません。

人のしゃれこうべを頭に乗っけて宙返り、かくてエリマキキツネのできあがりです。

ひらたくなってみると世界が広く高く遅く感じられ、おだやかな心地に浸れます。

よろしい具合になったのもつかの間、死んだ毛皮商の牧場を受け継いだ別の商人がエリマキキツネたちの殺処分を決めました。前代の秘伝だった繁殖ノウハウを継承できず、土地を転売する方針に転じたのです。

わたしはエリマキキツネたちを率いて牧場を脱出しました。その過程でまた人が二、三くたばりましたけれど、いたしかたないこと。

エリマキキツネは野生では生きられない一族です。わたしもなんとかみなを助けようとがんばりましたが、ひと月も保ちませんでした。そうして、最後の一匹を看取ったわたしは陀天にこう誓ったのです。わたしがこのさきエリマキキツネをやっていこう、と。どうせわたしは次の千年も心をあらためず、阿波に鉄の橋は架からない。ならば、ヨーロッパでも日本でもないこの場所で、このままひらべったく気持ちよく生きながらえてもよいのではないか……」

「ありますよ」

差し挟まれたわたしの一言に、キツネは琥珀色の瞳を見開いて硬まった。

「えっ?」

「ありますよ、鉄の橋。今、四国と本州を結ぶ大きな鉄橋が架かっているんです。ご存じなかった?」

「えっ、えっ。え〜〜〜〜、そうなの。そうなんだ。……いや……いやあ〜〜〜そうなんだ。へえ〜〜〜」

キツネはしばらく呻吟したのち、「ま、いっか」と思案を放りだした。いつのまにか高地ドナウ語に戻っている。

「戻る気にはなりませんか」そう、わたしは訊ねた。「空海は千年前に死にました。もう仏教の国でもない。ふるさとを見たいというお気持ちがあるなら、助力できると思いますが」

「ご親切に。でも、この子がさびしがりますわ」

キツネは、ねえ? と巻かれている女の耳を鼻先でつっついた。

女は不快そうに顔をしかめ、キツネとともに席を立つ。時計は深夜の一時を回っていた。わたしは帰国したいのか、どうなのか、まだわからない。

キツネは二度と戻ってこなかった。

 

 

 

 

千葉集「擬狐偽故ギコギコ」は、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books) に収録されたSF短編小説です。『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』は2022年8月29日刊行。Amazon等で予約を受け付けております。

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千葉集

2019年に動物をコマにして回す〈動物回し〉というゲームをめぐる学園SF「回転する動物の静止点」で第10回創元SF短編賞宮内悠介賞を受賞。審査員の宮内さんから、ドライブ感ある文章や光る表現を高く評価され、「文体においてすでにしてSFが成立している好例」と評された。2020年には、カビだらけの世界を描いたポストヒューマンSF「次の教室まで何マイル?」で第1回かぐやSFコンテストの最終候補に選出。「次の教室まで何マイル?」は、リカとサンスウとオンガクが人間になるために単位集めに奔走する冒険譚で、飄々とした文体の中にユーモアのセンスが光る作品だ。

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